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陽だまりのキミ  作者: トマトクン
第一章
10/12

10 ストリートパフォーマー






「由佳先輩」


「ん? なに?」


「あの、先日勧めてくださった本、とても面白かったです。しかも、続きがあるって聞いて、これは読まなくてはいけないと思ったんですけど」


 上沢は、マリモのぬいぐるみを抱きかかえながら言った。このぬいぐるみは、上沢が二度目の来訪のときに発見した代物だ。


「は、マリモっ。私にとっての理想の緑がこんなところあったなんて」


 と、いたく感動しているようだった。

 そしてそれ以来、彼は熱心な寵愛を受けはじめた。上沢に見染められてからたった三週間足らずで、三年間分以上の愛情は注がれていた。


「お、あの小説気に入ったの?」


「あ、はい」


「マリモとどっちをとる?」


「うっ、それは」


「あーかわいいなぁ。いちいち小動物っぽいんだから」


「えっと、あ、あの由佳先輩。それで、本の続きはこの部屋にありますか?」


「うんと、続きは……えっと、どこにあったかな?」


 やがて由佳先輩は、見境なく積まれた本の山から探しはじめた。

 もちろん上沢も、一緒になって探していた。二人ともいろんな場所を、頭隠して尻隠さず状態で探すものだから、僕と朝日も本探しに参加した。

 そして、三十分が経過した。


「あったぁ! ぜんぶ見つけたよ。すみれちゃん」


「わっ、ありがとうございます。先輩方」


「どういたしまして。はぁ~、それにしても一仕事したなぁ。この、ウォーリーを探せ的感覚の書物探しは、けっこうやみつきになる可能性を秘めていそう」


「たしかに、掃除の途中でマンガが読みたくなる現象に似ていますよね」


「そうね、はい」


 由佳先輩は、上沢に最後の一冊を渡した。 


「わぁ~」


 上沢が感嘆の声を上げた。


「長編が十冊、短編が六冊。確実に面白い本をこんなに読めるなんて、わくわくが止まりません。あんなに楽しかった一巻でさえ、スロースタータ扱いされてたんですから。だからこれから先は、間違いなく最高傑作が待っていますね。あー、これは幸せな気持ちです」


 ぬいぐるみを愛撫しながら、とにかく喜んでいた。どうやらこらえきれずに、評判の下調べまでしていたようだ。

 しかしそれを見て、由佳先輩がつぶやいた。


「私は読み終わってしまったんだ」


「あっ、由佳先輩」


「すっ、すみれちゃん。なにその嗜虐的な視線は」


「すいませんっ!」


「べつに羨ましくなんかっ、私だって再読するんだから」


「そうですよ、再読すれば完璧ですよ」


 なんだか、上沢の方が二歳年上に見える構図が生まれていた。


「いい、すみれちゃん。私だって同じくらい楽しめるんだからね」


「あのさ、由佳先輩。それはムリっしょ。初読の感動をいつまでも味わいたいとは思うけど、一度目にしたものはさ」


「優介くんは黙っていて」


 すごすごと引き下がるそぶりの朝日に、僕はそっと聞いてみた。


「なあ、朝日。さっきの由佳先輩って、本にツンデレ?」


「違うぞ、三木。それは間違っている」


 朝日は、きりっとした表情で断言した。この系統の話に詳しい彼に聞いてみたけど、どうやら違うようだった。


「そっか」


「そうだ。まあ、諸説はあるが、俺の中では微妙に違うな。ただし同意を得られるとはかぎらない、ってやつだけど」


「ふーん」 


 僕と朝日は、それからもう少しそんな話をした。

 由佳先輩と上沢は、許容範囲ぎりぎりのネタばれで騒いでいた。


 で、そのあいだ、日坂はあいかわらず文庫本を読んでいた。

 内容は、確信犯的に事件を投げっぱなしにして、じつは信じられない叙述トリックをしかけたことで喝采を浴びた有名なミステリ本だった。


「ところでさ、今年の優勝、3Bだったな」


「えっ?」


「合唱祭だよ」


「合唱……あ、そうだったね」


「三木、ぼーっとしすぎだぜ。まあ、おまえらしいけど」


「ごめん」


 そう、合唱祭も終わった。

 今は五月で、葉桜の季節。

 

 そして、上沢の好きな緑という言葉が連結して浮かんだ。さらにはマリモの大群がおしよせてきて勝手にブラックアウト。


「朝日」


「なんだ」


「ちょっと聞いていい?」


「ああ、いいけど」


「あのさ、上沢はこんなに馴染んでいるのに、なんで『読書同好会』に入部するの保留しているんだろうか。もう三週間も経つのに」


 しかし、それを聞いた朝日は、怪訝そうな表情をした。


「さぁ? 上沢すみれについてさ、おまえが知らなくて俺が知っていたら、それはそれで問題のような気がするぜ」


「……」


「三木はあれだよな。忘れっぽいのが玉にキズだ」


 上沢のことでなにか忘れているのか、とぼくは一瞬だけ思った。


「まあ、そうだね」


「あーおまえ、もしかしてさ、今月末に引っ越しの手伝いするのを忘れてないか?」


 しかし、話は全然違う方向へと飛んだ。


「ん? 由佳先輩?」


「そうだよ」


「いや、朝日。さすがに覚えてるよ」


「ほんとかよ」


「まあね」


 実際はグレーゾーンだった。




   ◇◇◇




 覚えているといえば、先日の由佳先輩の記憶力には驚かされた。 

 今日から一週間前――ゴールデンウイークに入る直前のことで、まだ、僕と由佳先輩しか部室に来ていなかったときだった。

 由佳先輩はいきなりぽん、と僕の背中を叩きながら言った。


「和人くん、和人くん」


「あの、どうしたんですか?」


「和人くんってば」


「由佳先輩、落ち着いてください」


「そうもいってられないよ、和人くん。私、たいへんなことを思い出した」


「なんですか?」


「あのね、ここ三日間、私はすみれちゃんをどこかで見たことある気がしてたのよ。で、何度か顔を合わせているうちに、小骨が詰まったような感覚はどんどんと広がっていったの」


「はい」


「それで、やっぱり出会っていた――ううん、私が知っていたみたい。きっと彼女は覚えていないだろうけど。でも、M市のK駅前でストリートパフォーマーをしているすみれちゃんを、一度だけ見たことがあるの」


「ストリートパフォーマー?」


「うん、凄かったんだから」


 これこそ、本当の邂逅だ。

 二人はK駅で出会っていた。


 K駅周辺は、他の都市外観とは全く趣が異なる場所で、新旧、清濁併せ持ち、今にも馥郁たる芸術の香りが漂ってきそうな若者の街だった。おおげさにいえば、サブカルチャー文化を担っている街とも表現できた。


 それで、個性あふれる雑貨系のショップ、ライブハウス、ミニシアターなんかも数多く点在していて、そういう雰囲気のおかげからか、ストリートパフォーマーとしての文化がかなり熟成されていた。メッカとしても有名なくらいだ。




   ◇◇◇




 やがて上沢がやってきて、由佳先輩はそのことを聞いた。


「はい。私、二回だけしましたよ」


 それが上沢の答えだった。


「たった二回? それじゃあ、私が見れたのはものすごい貴重じゃない」


「でも、その、私はつなぎでしたので」


「つなぎ?」


「あの、幕間みたいなものではないですか」


 僕は口を挟んだ。


「あー、そっか」


「そうです。三木先輩のいうとおり幕間ですね」


「へぇー。まあ、それはいいとしてさ。すみれちゃんはもうやらないの? 手品だってさ、ありえないほどのレパートリー持っているじゃない。あっ、それとも、ストリートパーフォーマの規制が厳しくなってきてダメになったとか?」


「いいえ、由佳先輩。そんなことはないです。それに私、路上使用許可証も持っています。やろうと試みたらできないこともありません。でも」


「ん?」


「私がたくさんの人前で手品をできたのは、お師匠さんが隣にいたからなので」


「お師匠さん?」


「はい。それと私、綿密な準備はできても、想定外の事態に対処できないタイプなのです。お師匠さんがいないと難しいと思います。それが理由です」


「あ、お師匠さんはどんな人なの?」


 僕が聞くと、上沢は口に手を当てながら言った。


「そうですね。お師匠さんは、英国紳士とガンジーを足して二で割ったような初老の人ですよ。親しい人には、サスペンダー伯爵と呼ばれていました」


「あのさ上沢、なんだかさっぱりわかんないんだけど」


「うん、たしかに」


 由佳先輩でさえ、首をかしげていた。


「そうですよね。ただ、本当にそんなかんじの人なんです」


 しかし、笑うに笑えない呼称だ。なんとも珍妙な気分になった。


「そしてこの春、お師匠さんは『世界を見つめに北へ行く』とか言いだして、いつのまにか北海道に行ってしまいました」


「旅行? 旅人なの?」


「はい」


「そういえば、清水女史も『セカイを探しに北へ行く』って、この街からいなくなったんだ」


 それから由佳先輩は、清水女史と『読書同好会』の変遷について語った。


「それにしても、どうして遠くにいくんですかね」


「荒野を求めているのかな」


「やっぱり、その二人には類似関係ありそうですよ」


「どうだろうね。すみれちゃん」


「とにかく、お二方とも凄い旅人体質なのはたしかですね」


 最後に上沢は、そうまとめた。




   ◇◇◇




 上沢とストリートパフォーマー。

 結局、そのときぐらいから感じてきたのかもしれない。


 最近、最初に出会った三カ月前に比べて、なんだか上沢のことを全然知らないような気がしていた。ほんとは、すこしずつ確実に知っていったはずだった。なのに知らないというへんな感覚が生まれていた。


 まるで逆転現象のようだ。

 今では、知っていることと知らないことを天秤に掛けたら、釣り合うまでの分銅を知っている側に載せなくてはならなかった。


 すこし前までは、そんなこと思わなかった。しかし、そのことを十分に自覚するのも大切だと思った。

 知っているという錯覚、知るべきだという驕り。これらを深く引き起こさないことも、また重要であった。


 好奇心はネコを殺す。ネコでないけど。

 そう。今、僕が上沢について知っていること。


 ハンガリー人のクオーター。栗色の髪、サファィアの瞳。森のような格好を好む。週三回ぐらいの割合で、お米が好物になる。本が好き。緑色を形容詞変換させたいぐらいが好き。照れたらところ構わず手品をしてしまう。しかしその手品が異様に巧い。独特な感性、世界観を持っている。下準備に余念がない。想定外の事態に対処するのをかなり苦手としている。表層にとらわれない自由を標榜しているけど、それは孤独に似たものだと思っている。


 そして、ストリートパフォーマの幕間をやっている。

 

 この程度のことでは、おそらく、本質的な部分から遠く離れた上沢の直観を触れているに過ぎなかったのだ。


「……」


 ひとつ、溜息がもれた。


「アレだよな」


 僕は部屋の中で絵を描きながら、おもわずつぶやいていた。







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