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陽だまりのキミ  作者: トマトクン
第一章
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1 ドラマツルギー

ドラマツルギー――演劇・戯曲に関する理論。演劇論。作劇法。





「私、邂逅っていう言葉、すごく素敵だと思っています」


 僕が気になっていた女の子は、開口一番にこう言った。

 邂逅――めぐりあい。偶然の出会い。思いがけない顔合わせ。邂逅とは、そんな意味を内包している言葉。


 だから彼女がこのような発言をしたとき、いささかピントのずれた表現を使っているものだと一瞬だけいぶかしんだ。しかし彼女の表情を窺ってみると、その感情はいとも簡単に氷解していった。


 この出会い。

 偶然か、必然か。

 因果関係はいずこか。


 まるで彼女は、ドラマツルギーにおける明確な役割を求めているようだった。

 それは定型的な演技。

 さらには現状の変化。


 そして、瞬時にこの言葉を思い出す。



『全世界は劇場。すべての男女は演技者。人々は出番と退場のときをもっている。一人の人間は一生のうちに多くの役割を演じるのだ』



 とにかく、今必要なのは起こっている事象に変化をつけることだった。

 今、僕たちは、一つ先のステージへと進むための内的なエネルギーを求めていた。それをお互いに知っていて、理解していた。だからこのやり取りは、お約束で儀式だった。


「あのさ」


 そして僕は、その先の言葉を飲み込んだ。


「なんですか?」


 女の子は首をかしげてきた。


「もしかして僕達はさ、偶然ここで出会ったことになる?」


「はい」


「そうすると、以前にも出会っていたことにもなるんだ」


「はい」


 もう一度、その言葉を繰り返した。


「だから、邂逅なんです」


「つまり、僕と君はここではないどこかで出会っていた、と」


 もちろんこの言葉は、一義的な解釈ではなかった。とはいっても、デジャヴに似た不確定性極まる無意識領域での漠然とした問いでもなく、不特定多数の女の子を不純な動機で貶める誘い文句でもなかった。


 理由は、その女の子と暗黙裡の了解があったからだった。これまでに、彼女とはいくども視線のやり取りをしてきた。しかし彼女は、あのブロックサインみたいなやり取りをフラットに清算したがっていた。


 そしてこの瞬間こそが、偶然の出会いだと称したかった。

 でも、僕はこのやり取りに白々しさを感じていた。


 ――なぜなら僕達は、このよく晴れた昼下がりの日曜日に、広大な敷地面積を誇る都立公園の一角の穴場スポットに現れることをお互いに知っていた。


 そう、すでに知っていた。知らないふりをしていたし、知らないふりにしていた。

 そのせいもあってか、罪の意識を共有するような、なんともいい難いものを感じてしまった。それはフォークダンスで異性と手をつなぐ前のかしこまった演出にも似ていたし、あるいはクジャクが交尾をする前に行う直載的な求愛ダンスとも比喩できた。


 やはり、違和感がほんの少しだけ残っていたのだ。

 そして、その感情が伝わったらしい。

 女の子が眉根をよせていた。


「やっぱり、おかしいですか?」


 彼女はいささか悲しそうに言った。

 でも、彼女の表情は明るかった。


 きれいな栗色の髪がゆれて、瞳は輝いていた。そう、彼女の瞳。それは不思議な彩色で、サファイアとかそんなかんじの色だった。


「私、あなたとどこかで出会ったことがあるような気がします」


「うん」


「そんなふうにいったらどう思いますか?」


「だから邂逅なんだ」


「はい、だから邂逅なんです」


「でも」


「でも?」


「僕はそう思わないって言ったらどうするの?」


 女の子は少し黙りこんでから、


「いじわるしないでください」


 と、小声でつぶやいた。

 頬が少しだけ膨らんだ。


「いじわるはしていないよ」


「いじわるしました」


 年相応の表情だ。


「そっか」


「だったら、思わなくてもいいですけど」


 女の子は、拗ねたように言った。

 だけど、本心ではこうだった。


 ――これは邂逅なんです。


 瞳は言葉よりも雄弁に語ってくれた。


「やっぱり、君とはどこかで出会っていて、今の邂逅はほんの偶然だったんだね」


 結局、僕は顔をすくめながらそうつぶやいていた。

 すると女の子は、いたずらが見つかった子供のように笑ってごまかした。


「なんか諭されているみたいですね」


「うん、そうしているから」


 だってそうだ。

 今から綺麗なスタート。

 なんてわけにはいかない。

 僕はこの二ヶ月間、自分自身の変化を深く自覚してきたのだから。




   ◇◇◇




 僕が、件の女の子を意識した瞬間は、二か月くらい前だった。

 それは彼女が、ほんの背景だった一部分から急にフォーカスされ、極めて重要な視点として認識されたからだといえた。ただ、なんとなく、ほんの一瞬だけどこかで交差した光景――繰り返し見続けていただけに過ぎなかったその視点が、いつのまにか彼女を明確にとらえていた。


 ときには、ある絶対的な瞬間を切り取ってしまいたかった。それは、ヴァインダーに納めてしまいたいぐらいに思えるほどだった。


 しかし、厳密にはひとめぼれといった甘美な現象ではなかった。一拍も二泊もおいた距離で気になっていったかんじなのが不思議だった。



   ◇◇◇




 ともあれ、女の子は邂逅を主張した。

 僕とは、意味合いが異なっていた。


 最初こそは起こっていたはずの偶然が、積み重なった上での必然へと変貌したと思っていた。

 彼女と出会うことが、偶然から必然へ。

 僕は、そうだと思っていた。


 そして彼女にどう声をかけようかと悩みながらも、僕自身が圧倒的にこういうことへの向いてなさから投げっぱなしにしたままだった。だけど、物事というのには適宜なタイミングが存在していた。自然と、声をかけるタイミングがあった。すべてはそういうふうに出来上がっていて、あとはなぞるだけに過ぎなかった。


 もう少し深く考えてみれば、お互いが知人との関係性を構築するために定めた数値基準を満たしたともいえた。関係性の変化を求める、ある一定の閾値を突破したとも表現できた。


 これらの現象は、とらえようのない不思議な感覚として僕の胸中をえぐってきた。だから、なんでも好意的に受け止められる高揚感があった。


 ただ、俯瞰的に見れば、よくある事柄に違いなかった。なぜなら、現に世の中はそういう現象で満ち溢れている。街を歩けば、仲睦まじい男女のペアはそこかしこに見受けられるし、友人の朝日も女の子とステディな関係性を保つのに事欠かない。


 そう、普遍的なこと。でないと、人は悠久の孤独にさらされてしまう。そういうふうにできている、と理解すべきなのだった。




   ◇◇◇




「あの」


 と、女の子がつぶやき、僕は意識をそちらに戻した。

 彼女は、僕が持っていたスケッチブックの端を見ていた。そこには、色彩の階調を比較するために遊びで書いた青葉が描いてあった。


「これは、病葉みたいな色ですね」


 女の子は、くすんだ赤と黄色を混ぜたような葉を指さして言った。


「わくらば?」


「はい、病葉です」


「わくらばって?」


「あー」


 どうやら僕の意図を理解したみたいで、女の子は説明をした。


「病葉っていうのは、夏の青葉にまじって、赤や黄色に色づいてしまった弱めの葉のことなんです」


「へぇ」


「その由来から、儚さという意味を感じさせる言葉なんですよ」


「儚いか」


「だから、私、この言葉も素敵……いえ、好きなんです」


「好き?」


「はい」


「さっき素敵って言ってたけと、素敵と好きに違いはあるの?」


「ありますよ」


「なんだろう?」


「それは教えません」


「どうして?」


「なんとなくです」


「いじわるだよね」


「私はいじわるでもいいんですよ」


 女の子は、なぜか嬉しそうにつぶやいた。それから口をもごもごさせて、なにかを言いたそうにした。


「どうしたのさ?」


 僕はおそらく望み通りの返答ができた。


「さっき、面白いことを思い出したんです」


「ん?」


「あのですね、邂逅と書いてわくらばとも読めるんですよ」


「そうなの?」


「そうです。不思議だと思いませんか?」






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