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フルカネルリだ。今年は例年よりも気温が低いと同時に湿度も低いらしく、冷たく乾いた風がこの町を覆っている。
今年は……少なくとも今月中は雪が降ることはないだろう。クトがそれを知ったときはかなり落ち込んでいた。犬で言えば尻尾がしゅんと垂れていて、耳がぺたりと伏せられているような状態だ。
とりあえずそんなクトの頭を撫でてみたら、白兎が嫉妬と抗議の混じりあったような視線を向けてきた。なぜだろうな?
《わかっててそういうことを言うのは趣味が悪いと思うヨー?》
『……そうよねぇ………わからない、ってことはぁ……ないはずよねぇ………?』
まあ、およその予想はつくが………確証が無い。こちらの世界では私は他人の頭の中身を読むことはあまりしたくないし、自衛以外では殺人もしたくはないから確認する術がない。
……直接聞けばいいと? その通りではあるのだが、直接聞いても白兎は答えてくれないのだ。
《女心は厄介だよネー》
『……そうよねぇ……』
アザギ。お前は私と違って純粋な女だろうが。女心がわからないと言える立場では無いだろう。
『……人によって、色々違うからぁ……わかりづらいものはぁ……わかりづらいのよぉ………?』
そうだな。だからこそ私は人間を含む知的生命体のことを知りたいと願うわけだし。
……さて、それではそろそろ白兎の視線も痛くなってきたことだし、機嫌をとるとしようかね。
《それがいいヨー》
白兎は私がしばらく頭を撫でていたら機嫌を直した。その間はクトが何故か物欲しげな目で私のことを見つめていた。
そこでナイアに頭を撫でてもらったところ、クトゥグアにそれを目撃されて大喧嘩に。一方的にクトゥグアがキレていただけにも見えたが、ナイアがそう言っていたのだからそれでいいのだろう。
最終的にクトゥグアはアブホースに無理矢理沈黙させられていた。具体的には衝撃を逃がせないように背骨を伸ばされてから殴られていた。人間ならば確実に原子崩壊を起こしていたであろう威力だ。痛そうだな。
「あのね。そろそろあんたもいい年なんだから、少しは周りのことを考えられるようになったらどうなの?」
「うるせえ。いい年とか言うなお前も同い年だろうが」
「私は良い年よ? だからあんたも良い年なの」
「それにしちゃあ昨日の夜はぴーぴー泣いてべふぇるぼっ!?」
何かを口走ろうとしたクトゥグアがアブホースに後ろ回し蹴りを食らってきりもみ回転しながら吹き飛んだ。見事な重心移動と威力を殺さない脱力からの筋肉の緊張。これはかなり痛いな。
「ぉぉあ゛……効いたぁ………」
「……今のはお兄ちゃんが悪いよ。デリカシー無さすぎ」
「うんうん。瑠璃でももっとデリカシーあるよ。いくらなんでも酷い」
おや、何故か私まで責められているな。流石の私でもここまでのことはやらないぞ? 何故生徒の前でわざわざそんなことを暴露しようとするのかが理解できない。
「何しやがる!」
「セクハラしてくるような馬鹿には良い薬よ」
「これはセクハラじゃねえ!惚気だ!」
「どっちにしろ私が恥ずかしいことには変わり無いじゃないの!」
「知るか!」
「なんですって!」
…………やれやれ。中の良いことだ。私達が居ることなど既に忘れているのだろうな。
《クトゥグアもアブホースも熱くなると周りが見えなくなるタイプだからネー。昔からよくあったことだヨー》
そうか。こんなのがよくあったのか。お前も大変だな。
「そうなんだよねぇ……最近やっと素直になって付き合いだしたと思ったら、今度は見ているこっちが砂糖を吐きそうな掛け合いとかするしさぁ……」
「あ、クト先生もそういう悩みがあるの? うちのお父さんとお母さんもなんだ」
「いつもあんな?」
「ううん。もっと直接的に甘ったるい。普通に行動してるはずなのに、何であんなに甘い空気を撒き散らせるのかな? ……瑠璃、わかる?」
「わかるわけがなかろう。ただ、明らかに熟年の息と言うか域で、何も言っていないどころか相手のことを見てもいないのに相手が何をしたいのか、何を欲しがっているのかがわかる……といった感じか?」
「わかってるじゃん!? って言うかなんでわかるの!?」
会ったことがあるし、直接見たこともあるからだな。
だが、仲が良いと言うのは良いことだ。なんの問題もないと思うのだが……?
「……フルカネルリちゃんって大人だね。私はあれを『仲が良い』で笑って済ませることができるほど大人じゃないからなぁ……」
「そうか? 見方を変えればむしろ微笑ましいだろう。素直じゃない男と素直じゃない女が、近づき離れて居るところを見るのは。巻き込まれなければ可愛いも」
右に頭を傾ける。炎の塊が私の頭があった所を通り抜け、一瞬で壁を蒸発させながら突き進んでいった。
全く熱くなかったところから、恐らく外に拡散されるはずの熱量まで一点に集めているのだろう。流石は炎の邪神だな。
…………だが、だからこそこんなところでそんな物を撒き散らさないで欲しいのだが……。
「俺がてめえを愛している想いの方が強えに決まってんだろうが!」
「いくらクトゥグアでもこれだけは譲れないわ!私があなたを好きだという気持ちが負けるわけ無いでしょうがっ!」
「っだと!? やるかゴルァ!?」
「やってやろうじゃないの!私がどれだけあんたのことを想っているのか、その魂に刻み付けてやるわ!」
「はっ!返り討ちにしてやる!」
「それは無理な相談ね。だって勝つのは私だもの!」
………………。
クトを見てみる。遠い目をして明後日の方向を眺めていた。
白兎を見てみる。人差し指で頬を掻きながら苦笑いをしていた。
アザギを見てみる。無害で無力な小動物同士の喧嘩を眺めるいじめっこのような笑い方をしていた。
ナイアを見てみる。すると私と目があったので、とりあえずビデオカメラの術式を渡しておいた。もう一度目があったのでニヤリと笑ってやると、同じような笑いが帰ってきた。朋友よ。
「それじゃアー、その採点にはボクがつくヨー」
「贔屓したら魂ごと焼き尽くすから覚悟しろよ?」
「そうね。刻み潰し押し潰し擂り潰してあげるわよ」
「怖い怖イー。安心してヨー。ボクはそういうことはしないサー」
そう言いながら三柱の邪神はどこかに消えていった。
「………はぁ……なんだか口の中が甘ったるいよぉ……」
「あー、それわかる……」
「なら、ここにちょうど青汁があるぞ」
「卑しき私めにどうか瑠璃大明神様の有する青汁を恵んでください」
「あ、白兎ちゃんずるい!フルカネルリちゃん!私にもちょうだい? ね?」
……別にそこまでしなくとも普通にやるがな。
喧嘩するほど仲が良いを体現した二人。