異世界編 2-88
大陸中を回り終え、母さんの居る中心の島に戻った。母さんはいつも通りの無表情を崩さないまま、帰ってきたばかりの私に向かって避けられない速度で正体不明の術式を飛ばしてきた。
……恐らくこれが記憶を書き込む術式なのだろうが、何か言ってからにして欲しかった。
ナギ殿が心配そうな顔をしているが、母さんのことだから数秒で終わるはずだ。
そう考えている間にも術式の光は薄れ、書き込みが終了したという文字列が並んだ。
「……せめてただいまの一言くらい言わせてくれてもいいと思うのだが。ただいま」
「お帰り。どうせ数秒で終わるんだ。大して変わりはしない」
確かにその通りなのだが………まあ、母さんに何を言っても無駄か。諦めた方がいいな。もう終わったことでもあるし。
……それにしても妙な気分だ。頭の中に私の知らない事が常識レベルにまで刻み込まれている。所々おかしいような気もするが、母さん作だから仕方無い。きっと色々なところに母さんの常識が混ざっているんだろう。
「それってきっと致命的ですよね?」
「ナギ殿はたまに本当に命知らずな事を言うな?」
やれやれ。特に怒っていないようだから良いものの、もし母さんが怒ったらどうするんだ? 私では止められないぞ?
帰ってから一日休み、すぐに私とナギ殿、そしてウルシフィはナギ殿の世界に移動することになった。餞別として色々なものを貰ったのだが、なぜ母さんは私の戸籍と住民票と銀行預金(残高二兆円)を用意できたのだろうか?
「お前たちが旅行に行っている間に一度世界を渡って用意してきたからに決まっているだろう」
「……なんという非常識。流石母さんだ」
「息子の門出だからな。奮発した」
……母さんにもそういった感情はあったのだな。
そう思っていると、急に足元の魔法陣が輝き始めた。どうやら魔法が起動を始めたらしい。
「向こうの世界には精霊はそこのウルシフィのみだから魔術は使えない。魔法なら使えるが、一般的には認知されていないから使わないことをすすめるぞ」
母さんは最後まで別れの言葉を言わない。だから私も、別れの言葉は言わない。
「……またいつか、会いに行く」
「……絶対です」
『そのときは私も行くからね。……っと、そろそろ変わっておこうか。……にゃあ』
私達がそう言うと、母さんは少しだけ驚いたような顔をして、それからゆっくりと笑みを浮かべた。
「……また、いつか」
母さんが言うと同時に光がさらに激しくなり、私達の視界を埋め尽くした。
そして気がつくと、私とウルシフィにとっては見慣れない、ナギ殿にとっては見慣れた景色が目に入った。
「……ただいま……私の世界……っ!」
隣でナギ殿が僅かに泣いている。しかしその顔は、眩しいまでの笑顔だった。
フルカネルリだ。私は今、この世界で手に入れたものを持ち帰るべく、大陸を球状に包み込んでいる結界の中身が丸々入るように球形の小さな瓶の中の空間を拡げている。
《……フルカネルリ。これでよかったノー?》
ああ。問題ない。
私はナイアにそう返す。
ディオとナギをこの世界から元の世界に戻してやるだけなら簡単だった。しかし、ディオの体を完全に向こうの世界に固定し、人間としてナギと同時に死ぬようにするには、ナギの魔力では足りなかったのだ。
そこで私は、私の結界で覆われていない外側を魔力としてナギの体に組み込んだ。
こうしてやればその世界に住んでいた人数分の魔力と回復速度が得られ、ディオが消えることも、ナギが魔力切れで発狂することも無くなったと言っていい。
……その代わりに、私の結界の外が駄目神ごと完全に消滅し、太陽すらも消えてしまった。
……まあ、息子のためだ。研究に多少の遅れが出るかもしれんが、そのくらいのことは許容してやるべきだろう。
そう思いながら作った瓶に、太陽と月を作って浮かべる。球形の結界をそのままこの瓶の中に転移させれば……ほら、できた。
時間の流れは外の約三十倍。しかしこの中に生きる者達は高密の魔力によって通常の三十倍以上生きるだろう。
こういった実験場が欲しかったんだ。帰ってからは重宝することになるだろう。
ただ、使いすぎるとすぐに死んでしまう。まあ、魔力があって老化をほとんど停止状態にしてくれるので使おうとすれば使えるだろうが。
《……研究途中だった物もあるんでショー?》
ああ。あったな。消えてしまったが。
…………だが、私の今の一番の興味はディオとナギの恋の行方だ。しかもそれはディオのためにもなる。一石二鳥だ。
ナギにも楔を仕込んであるし、観察することもできるから問題ない。
『……ふふふふ……瑠璃はぁ……やっぱり、瑠璃なのねぇ………♪』
それはそうだ。私は私でありたいからな。
…………さて、用意も終わった、この世界も終わった。ならばもう用は無い。帰るとしよう。
懐かしき、私達の世界へ。
フルカネルリ、帰還。