異世界編 2-20
フルカネルリだ。狼については亜種ではなく別種として記録することにした。流石にあそこまで異なる点が存在するものをただの亜種とするわけにはいかないだろう。
《わかればなんだっていいような気がするけどナー?》
私としてはそれでも構わないが、例えそれが仮のものであったとしても名称は存在した方が良いだろう。
解析は終わった。解体して筋肉や骨格も確認した。主要な血管がどこを通っているのかも理解したし、どこをどの程度までなら弄っても平気かもわかった。
それと、なぜこの世界の魔法を私が使えるかも。
この世界の通常の生物は、大なり小なり魔法を使うことができる。例えそれが全く魔力を持たない者でもそれは変わることはない。
何故ならこの世界の全てはあの神の作った魔法であるからだ。故に人も獣もどんなものでも自らの命と存在を削れば魔法を使うことができる。
このように命を削って使った魔法は普通の魔法よりも数段強くなる。しかしここで重要なのは、普段使える魔力が多いからといってこの時に使える魔力が多いとは限らないと言うことだ。
この世界では殆どの生物は四大の属性から体を構成している。よって存在を削って使う魔法はその構成している属性のバランスを崩壊させて使う訳だが、通常使っている魔法は産まれる以前に与えられた魔力の中で体を作る構成からあぶれた物で、構成には関係無いので消費しても問題は無いわけだ。
人によって火の属性が多かったり風がわずかに少なかったりするとそれだけである程度性格にも影響するようで、火が得意な魔法使いに激情家が多いのは火属性の割合が高いとそうなりやすくなると言う理由があるらしい。
何が言いたいかと言うと、普段使っている魔力がいくら多くても存在を削る魔法を使う際には全く関係は無いと言うことだ。
この時の魔法の強さは体を構成している魔力が多ければ多いほど強力になり、少なければ少ないほど弱くなる。つまり、まさにこの世界では才能がものを言う訳だ。
ちなみに光と闇は肉体ではなく精神を構成する属性であり、ここでは省くことにする。
そして、なぜこの世界の出身ではない私がこの世界の魔法を使えるかと言うと、ナイアが私に小さな魔力の受け皿を作ってくれたからだ。
この世界の生物ならば受け皿の代わりに自分という水滴に魔力という水を取り込めるのだが、それは全てが魔法でできているこの世界の存在だからできる事であり、実体であり実体でない魔法でできた体を持たない私はナイアがやってくれたように受け皿を用意して水を受け止めてやるしか無い。
だが、利点もある。魔法でできた体ではないために魔力を使いきっても全く関係なく行動することができるのだ。
それだけではなく、少し疲れるがその受け皿そのものを大きくすることもできる。これは体が魔法でできていないものだけの特権だが、受け皿を作るまでが異様に辛い上に痛いのであまりおすすめはしない。
魔法は大きく分けて二種類存在する。
一つは私や精霊、魔物がよく使っている‘魔法’。
もう一つは基本的に人間しか使うことはない‘魔術’。この二つだけだ。
どう違うかと言うと、魔術は世界のどこにでも居る精霊に魔力を渡して術式を作ってもらって使うもので、魔法は自らの力で術式を作り上げて発動するものだ。
魔術に詠唱が必要な理由は、簡単に言ってしまえば自分の周りに居る精霊に集まってもらうためである。
集まってもらわなければ魔力は受け取り相手がいないので無視されるか、もしくはガメられるか、24面サイコロで二十回連続で何が出るかを当てられる程度に運が良ければしっかり働いてもらえるかの三択。最後のは練習のような何でもない状態ではなく、命を懸けた戦争の真っ只中のような時の方が物見遊山の精霊が手を貸してくれる確率は高くなるようだ。
しかし当人の使える魔力以外の属性の魔術はけして使えず、ある程度威力は決定されてしまっている。
その分使いやすく、術式をわざわざ作らなくても良いために魔法を使う人間は存在しないようだ。
……まあ、実際はそんな器用なことができるような人間はあまりいないから廃れたようだ。
……………そこまで難しいか?
《フルカネルリは常人じゃ無いから平気なのサー》
『……そうよねぇ……?』
フルカネルリの魔法考察、その2
ちなみに、魔法は自らの知識と魔力と操作力の許す限り改造し、より強力に、より悪辣にすることができる。私のような研究馬鹿には堪らない仕様だな。
《自分で研究馬鹿って言っちゃっター!?》