校外学習
五月の空は高く、柔らかい日差しがバスの窓から差し込んでいた。校外学習のため、クラス全員で自然公園へ向かう。クラスメイトたちは楽しそうに席を取り、冗談や笑い声が絶えない。遠足は、まだ互いの距離感がはっきりしないこの時期に、クラスメイトとの関係を深める絶好の催しだった。
玲は窓側の席に座り、景色を眺めつつも心は少し浮ついていた。賑やかな声が耳に入る一方で、自然と自分のペースで行動することを選んでいる。クラスメイトと完全に打ち解けるにはまだ時間がかかる──そんな気持ちが、背筋を少し緊張させる。
「おい、玲、窓の外見てみろよ。あれ、絶対きれいな撮影ポイントだぞ」
隣に座った陽斗が肩を叩きながら笑いかけてきた。
「ん……ああ、うん」
玲は軽く答えつつ、少しだけ視線を外に向ける。陽斗は誰にでもフレンドリーで、自然と周囲を巻き込むタイプだ。こうして話しかけてくれるのはありがたいが、玲はあくまで程よい距離を保ったまま。
バスが公園に到着すると、生徒たちは班ごとにまとまって降りていく。各班には班長がいて、簡単な地図をもとに回るルートや休憩ポイントを確認する。玲は班の中心には立たず、少し後ろに位置して周囲の流れを見守る。
凛は女子たちと楽しそうに歩きながら、笑顔を絶やさずに班をまとめる。玲の目には、自然な笑顔を見せる凛の姿が少し特別に映ったが、今日は話す機会はまだ訪れない。
「玲、休憩地点で軽くお菓子交換しようぜ。持ってきたやつ見せてくれよ」
陽斗が声をかけ、手に持った小袋をちらりと見せる。
「……いいよ、後で」
玲はわずかに笑みを浮かべ、会話は最小限に留めつつ、陽斗の明るい雰囲気を楽しむ。こうしたやり取りだけでも、高校生活らしい開放感と賑やかさを感じることができた。
やがて森の小道に差し掛かり、小休憩のベンチに着く時間になった。女子たちはお菓子を広げて談笑し、陽斗もリュックから軽くつまめるお菓子を取り出す。
そのとき、陽斗の別クラスの彼女、藤沢彩花が軽やかな足取りでやってきた。
「陽斗くん、ちょっとお菓子もらっていい?」
彩花は笑顔で声をかけ、手を差し出す。玲の視線が自然と彩花に向く。
「……あ、初めまして。藤沢彩花さんだよね?」
玲は少し緊張しながら挨拶する。
彩花はにこやかに頷く。
「そうです、よろしくね!あ、月城くん……陽斗に会いに行った時教室でちょっと見かけたことあるかも」
陽斗が横で楽しそうに笑う。
「俺の彼女だ、仲良くしてやれよ玲?」
「はい、よろしくお願いします」
玲は軽く頭を下げ、彩花の明るい笑顔に少し緊張しつつも、自然な距離感を保ったまま会話を続ける。
班の雰囲気はさらに和やかになり、木漏れ日の下で生徒たちはお菓子をつまみながら笑い合う。玲は班の輪に完全に入ることはしないが、こうして短い会話を交わすだけでも、クラスの賑やかさを感じ、高校生活の開放感を味わうことができた。
遠足の小道を歩きながら、玲は時折凛の姿を目で追った。笑顔を絶やさず班をまとめる凛の自然な立ち振る舞いは、どこか特別なものに見え、遠くからでも目を離せなかった。
森の中の休憩ベンチで、彩花は陽斗とお菓子を分け合いながら笑う。玲は少し離れた日陰に立ち、班全体の賑やかさを眺める。自分はまだ距離を置いているけれど、この空間の中で、少しずつ居場所を感じ始めていた。
「……さて、次のポイントまで行くか」
陽斗が言い、班は再び歩き出す。緑に囲まれた小道、笑い声、風の音──すべてが心地よく混ざり合い、まだぎこちないけれども、少しずつ高校生活に馴染む玲の心を、柔らかく包み込んでいた。
クラス行動になり先頭を歩く凛は、少し立ち止まって地図を確認していた。全体はすでに前に進み、女子たちはお菓子をつまみながら談笑し、他の男子は景色を楽しんでいる。自然の中に差し込む五月の陽光は、木々の葉を透かし、足元に細かな影を落としていた。
ふと、玲も同じ場所で足を止め、後ろを見回す。クラスメイトたちは前に進んでしまい、気づけば二人だけが小道に残っていた。互いに軽く目を合わせ、わずかに微笑む。
「……地図、見やすいな」
玲が声をかける。
「うん、ちょっと道がわかりにくいところがあるから助かるよね」
凛は少し身を乗り出して地図を指し示す。玲は彼女の手元を覗き込みながら、微かに距離を縮める。
その瞬間、森の中をそよぐ春風が吹き、凛の視界に玲の前髪がふわりと揺れた。ふと目を上げた凛は、そこで初めて、玲の瞳をしっかりと捉えた。
──青い。
透明感があり、光を反射してきらめく青。玲のクウォーターゆえに独特な深みを帯びているその色に、凛は息を止める。普段の教室では見せない表情が、ここで初めて目に入ったのだ。
(……きれいな目だな)
心の中で、思わず呟く。凛は目をそらそうとしたが、同時にもっと見ていたい自分にも気づいた。
玲は何も気づかず、地図に目を戻しながら道順を確認する。凛は心臓の鼓動が少し早まるのを感じながらも、自然に微笑むことを選んだ。声に出さずとも、短い沈黙の中で二人の間にわずかな特別な空気が流れた。
「ここを右に曲がれば、次の展望台に出られるはずだ」
玲が指を差す。凛もその方向を見ると、木漏れ日の中で道が伸びているのが見えた。
「ありがとう。助かる」
凛は小さく頭を下げる。玲は軽くうなずき、ふと横を見た凛の視線に気づき、微かに目を細めた。
風が再び吹き、前髪が揺れる。凛はそのたびに、青い瞳の奥にある透明感と柔らかさを意識せずにはいられなかった。二人だけの静かな時間は、ほんの数分だったが、遠足の賑やかさの中で、確かに心に残る特別な瞬間となった。
やがてクラス声が遠くから聞こえ始め、二人は自然と歩き出す。互いに距離はまだある──それでも、さっきの数秒間の出来事は、二人の間に微かな意識の芽を生ませていた。
緑に囲まれた小道を進む中で、凛は心の奥で小さくつぶやく。
「……次は、もう少しちゃんと話せたらいいな」
玲もまた、風に揺れる木々を眺めながら、知らず知らずのうちに凛の存在を意識していた。
昼食の時間、広場の芝生にシートを広げ、班ごとにお弁当を広げる。凛は女子たちと談笑しながら楽しそうに食べ、玲は少し離れた日陰に座りつつ、班の様子を眺める。遠くで陽斗と彩花がじゃれ合う姿も目に入り、微かに笑みがこぼれた。
「結構歩いたな……」
玲は小さく息をつき、緑に囲まれた開放感に身を委ねる。凛も笑顔で同じ空間を楽しんでおり、二人の間に特別な会話はなくとも、微妙な距離感が心地よく残っていた。
午後の散策も無事に終わり、帰りのバスに乗り込むと、クラスメイトたちは疲れた表情を見せながらも、校外学習の思い出話で盛り上がる。玲は窓から流れる景色を眺めながら、今日の静かな瞬間を反芻する。
「……少しずつ、新しい居場所を作っていけるかな」
心の中で静かに呟く。遠足はただの校外学習ではなく、クラスの輪に少しずつ馴染む自分を感じる時間でもあった。
バスが学校に到着し、扉が開くと五月の光が再び差し込む。生徒たちは疲れながらも満足そうに降りていく。玲はまだ少し距離を保ちながらも、凛の存在を意識しつつ、今日の思い出を胸に刻んだ。
こうして、日常の延長としての遠足は静かに幕を閉じた。校外学習は終わったが、心の中には小さな記憶と、次に繋がる期待だけがそっと残っていた。




