凛の決意
「それでね」
凛はゆっくり口を開いた。
「もう一個、言ってないことがある」
父と母が同時に凛を見る。
さっきまで普通に話していたはずなのに、その視線を受けた瞬間、胸の奥が少しだけ緊張する。
凛はコップを指先でくるりと回した。
言うのは、別に難しいことじゃない。
でも――
なんとなく、ちゃんと伝えたいと思った。
母が静かに聞く。
「なに?」
凛は一度息を吸ってから言った。
「最近よく遊んでるでしょ」
母が頷く。
「うん」
父も腕を組んだまま言う。
「月城くん」
凛は少しだけ笑う。
「そう」
短く頷く。
少し沈黙が落ちる。
テレビのニュースの音だけが、遠くで流れている。
凛はテーブルの木目を見ながら言う。
「付き合ってる」
その言葉が落ちた瞬間、リビングの空気がほんの少し静かになった。
凛はちらっと顔を上げる。
父は驚いた顔をするでもなく、新聞を横に置いた。
母も数秒だけ凛を見ていたが――
ふっと笑った。
「やっぱり」
凛は一瞬固まる。
「……え?」
父も小さく頷く。
「まあ、そうだろうなと思ってた」
凛の目が少し丸くなる。
「そんな分かりやすかった?」
母はくすっと笑う。
「最近、月城くんの話多かったもの」
凛は思わず視線を逸らす。
「そんなに……?」
父が言う。
「夏休み入ってから出かける回数も増えたって聞いてるし」
凛の耳が少し赤くなる。
「観察されてる……」
母が優しく聞く。
「いつから?」
凛は少し考える。
思い返す。
体育祭のあと。
音楽室。
あのときの玲の顔。
凛は小さく笑う。
「夏休み入るちょっと前」
父が頷く。
「なるほど」
それから少し真面目な声で聞く。
「どんな子なんだ?」
凛は少し驚く。
「どんなって」
父は肩をすくめる。
「娘の彼氏だからな」
凛は思わず笑う。
「なんかその言い方やめて」
母が笑う。
「気になるのよ」
凛は少しだけ考える。
玲の顔を思い出す。
前髪をかきあげる仕草。
静かな声。
ピアノを弾く指。
凛はゆっくり言った。
「静かな人」
父が聞く。
「大人しい?」
凛は首を少し傾ける。
「うーん」
少し考えてから言う。
「落ち着いてる」
「最近はちょっとふざけてるけど」
母が頷く。
「凛と合いそう」
凛は小さく笑う。
「たぶん」
それから少しだけ真面目な顔になる。
「でも」
父と母が見る。
凛は続ける。
「すごく頑張ってる人」
父が少し興味を持った顔をする。
「頑張ってる?」
凛は頷く。
「うん」
言葉を選びながら話す。
「前はあんまりクラスの人と話さない感じだったんだけど」
「最近は結構話すようになってて」
母が言う。
「凛の影響?」
凛は少し考える。
「逆かも」
父が眉を上げる。
「逆?」
凛は小さく笑う。
「玲が頑張ってるの見て」
「私も頑張ろうって思う」
少し静かな空気。
母は優しく凛を見ている。
父は腕を組んだまま、少し考えている。
凛は続ける。
「文化祭も」
「本当は出るタイプじゃないと思う」
「でも出ようとしてる」
母が静かに聞く。
「どうして?」
凛は少しだけ視線を落とす。
そして言う。
「私の隣に立つため」
父と母は何も言わない。
凛は少し照れながら笑う。
「ちょっと大げさかもしれないけど」
でも。
本当に、そう感じた。
玲は変わろうとしている。
あの人なりに。
ゆっくり。
でも確かに。
父がふっと息を吐く。
「いい子だな」
凛は少し驚く。
父は続ける。
「凛がそう言うなら」
母も頷く。
「会ってみたいわね」
凛が慌てる。
「いやそれはまだいい!」
父が笑う。
「そのうちな」
凛は小さくため息をつく。
でも、胸の奥は少しだけ軽くなっていた。
ちゃんと伝えた。
隠していたわけじゃないけど、改めて言うとやっぱり少し照れる。
凛はスマホに目を落とす。
まだ玲からメッセージは来ていない。
でも、きっとあとで連絡する。
父がふと聞く。
「それで」
凛が顔を上げる。
父は言う。
「文化祭の話はそこにつながるんだろ?」
凛は少しだけ黙る。
そして、静かに頷いた。
凛は少しだけ黙った。
コップの中の水を見つめる。
さっきまで普通に話していたのに、この話になると、なぜか胸の奥が少しだけ熱くなる。
凛は指先でコップをくるりと回す。
そしてゆっくり言った。
「うん」
母が静かに待っている。
父も腕を組んだまま凛を見る。
凛は言葉を選びながら続ける。
「玲といると」
少し笑う。
「なんか、力抜ける」
父が少し首を傾ける。
「力?」
凛は頷く。
「私、学校だと結構“ちゃんとしてる人”だから」
父が小さく笑う。
「それはそうだろう」
母も頷く。
「小さい頃からそうだものね」
凛は苦笑する。
「別に嫌だったわけじゃないけど」
少し間を置く。
「ずっとそうしてきたから」
「それが普通になってた」
凛は少し視線を落とす。
学校での自分を思い浮かべる。
クラスのまとめ役。
勉強。運動。
周りからの期待。
“凛なら大丈夫”
“凛ならちゃんとしてる”
そう言われるのは嫌じゃない。
むしろ誇らしい。
でも。
凛は少し笑う。
「玲の前だと」
「それ、しなくていい」
母が優しく聞く。
「自然に?」
凛は頷く。
「うん」
「なんか」
言葉を探す。
「気づいたら普通に話してて」
「気づいたら笑ってて」
「気づいたら頼ってる」
凛は少し照れたように笑った。
「たぶん私」
「玲の前だと、ちょっとだらけてる」
父が小さく笑う。
「それはいいことだ」
凛が父を見る。
父は言う。
「人はずっと力入れてると疲れる」
母も頷く。
「そうね」
凛は少し考える。
そして続けた。
「でも」
父と母が凛を見る。
凛は言う。
「玲は」
少しだけ言葉に迷う。
「頑張ってる」
静かな声だった。
「クラスでも前より話すようになったし」
「みんなの前でも普通にいるようになってきてる」
母が言う。
「凛のため?」
凛は少し考えてから答える。
「……たぶん」
そして続ける。
「隣に立つため」
その言葉のあと、少し静かな空気が流れる。
凛は小さく息を吐いた。
「玲、前はあんまりそういうの気にしない人だったと思う」
「でも」
凛は少しだけ笑う。
「最近、変わろうとしてる」
父が静かに聞く。
「どうしてそう思う?」
凛は少し考える。
それから言う。
「この前」
「クラスで」
少し迷う。
でも話した。
「玲のこと、釣り合ってないって言ってる人がいて」
母の表情が少し曇る。
父の眉もわずかに動く。
凛は慌てて言う。
「別に喧嘩とかじゃないよ」
「玲も気にしてる感じじゃなかった」
少し間。
「でも」
凛は続ける。
「それ聞いてから」
「髪とか、服とか」
「ちょっと変えようとしてる」
父が言う。
「なるほど」
凛は静かに頷く。
「私の隣に立つために」
少し恥ずかしい言葉だけど。
でも、それが一番しっくりくる。
母が優しく聞く。
「凛はどうしたいの?」
凛は少しだけ考えた。
そして言う。
「今まで」
「私は“ちゃんとしてる私”でいた」
父が頷く。
「優等生」
凛は苦笑する。
「まあね」
それから続ける。
「それは別にやめない」
「勉強も頑張るし」
「ちゃんとするのは嫌いじゃない」
父が「うん」と頷く。
凛は顔を上げる。
「でも」
「玲が隣に来ようとしてくれてるなら」
少し間。
胸の奥にあった言葉を、そのまま出す。
「今度は」
「私から行きたい」
母が微笑む。
父も静かに凛を見る。
凛は少し照れながら続ける。
「玲の隣」
静かな夜。
窓の外では蝉の声が弱くなっていた。
父がゆっくり言う。
「いいんじゃないか」
凛が父を見る。
父は少し笑っていた。
「お互い頑張ってるなら」
「いい関係だ」
母も頷く。
「凛らしいわ」
凛は少し照れる。
父が聞く。
「それで」
「文化祭?」
凛は頷く。
「うん」
少しだけ緊張した声。
「玲のピアノで」
「歌ってもいいかなって」
数秒の沈黙。
それから母が微笑んだ。
「いいじゃない」
父も言う。
「見てみたいな」
凛が慌てる。
「来なくていい!」
父が笑う。
「それは無理だ」
凛は小さくため息をついた。
でも。
胸の奥は、少しだけ軽かった。
凛はスマホを手に取る。
画面を開く。
玲とのトーク。
少しだけ指が止まる。
そして打つ。
《玲》
すぐに既読がつく。
《なに?》
凛は小さく笑う。
そして送った。
《文化祭》
少し間。
《一緒に出る》
数秒後。
返信が来る。
《了解》
《じゃあ練習しよう》
凛はスマホを見ながら笑った。
その横で父が言う。
「決まりだな」
凛は頷く。
少し照れながら。
「うん」
小さく言った。
「歌う」




