夏休み中の登校日
夏休みの登校日。
朝から蝉の声がうるさい。
久しぶりの制服。
久しぶりの教室。
ドアを開けた瞬間、
凛は一瞬だけ視線の集まり方が違うことに気づく。
ほんの一拍。
ざわめきが、少しだけ遅れる。
「おはよー」
いつも通りの声。
いつも通りの笑顔。
女子が駆け寄る。
「ねえねえ」
来ると思ってた。
「夏休みどうだった?」
本題じゃない前振り。
「普通」
「月城くんとは?」
直球。
凛は鞄を机に置く。
「会ったよ?」
さらっと。
「どのくらい?」
「まあまあ」
濁す。
でも否定はしない。
女子たちの目がきらっとする。
「やっぱ付き合ってんの?」
凛は椅子を引きながら首を傾げる。
「何をもって“付き合ってる”って言うの?」
逃げでも否定でもない返し。
「いやいやいや」
「それはもう黒でしょ」
「だから何が」
笑う。
でも耳は少し赤い。
そのとき。
教室のドアが開く。
玲。
一瞬で空気が変わる。
大げさじゃない。
でも、確実に。
佐伯がにやっとする。
「おー月城」
「お前夏休みどうだった?」
「普通」
いつもの調子。
でも。
「藍原と会ってた?」
誰かが軽く投げる。
玲は一瞬だけ視線を凛へ向ける。
凛も見る。
ほんの一秒。
「会ってたけど」
即答。
ざわっ。
「どこ行ったの?」
「図書館とか」
「優等生すぎ」
佐伯が笑う。
玲は肩をすくめる。
「他に何期待してんの」
軽い。
いつも通り。
でも、“隠さない”ことが新しい。
凛はそれを聞きながら、
ノートを出すふりをして小さく息を吐く。
(言うんだ)
前なら、ぼかした。
流した。
今は違う。
クラスのあちこちでひそひそ声。
「絶対なんかあるよね」
「でも決定打ない」
「藍原あんなこと言ったのに」
「月城も否定しないし」
曖昧。
でも確実に“セット扱い”。
自然とできる小さな輪。
凛の机の周り。
そこに玲が来る。
何の宣言もなく。
何の躊躇もなく。
「課題終わった?」
「終わってる」
「見せて」
「やだ」
軽口。
距離は、夏休み前よりさらに自然。
女子が小声で囁く。
「……もう隠す気なくない?」
「というか隠してた?」
玲は淡々と言う。
「仲良いのは隠す必要ないからね」
2人の様子を山下が少し離れたところから見ている。
目が合う。
凛は逸らさない。
にこっと笑う。
挑発でもなく。
見せつけでもなく。
“当たり前”の顔。
玲は気づいていない。
凛がわざと逸らさなかったこと。
文化祭の準備について話し合う時間。
「クラス代表どうする?」
誰かの一言で、空気が決まる。
視線が、自然と凛に集まる。
「凛でよくない?」
「去年もまとめてくれたし」
「安心感あるよね」
笑いながら。
でも、ほとんど決定事項みたいな空気。
凛は一瞬だけ目を伏せる。
断れる。
今ならまだ。
ふと、斜め後ろを見る。
玲と目が合う。
ほんの一瞬。
逸らされない。
でも、助け舟も出さない。
ただ見ている。
「私でよければ」
口が先に動く。
「助かる〜!」
「やっぱ凛だよね」
先生も頷く。
「頼んだよ」
拍手みたいな空気。
ちゃんとしてる子。
任せられる子。
その位置に、すっと戻る。
話し合いが始まる。
「出し物どうする?」
「模擬店?」
「演劇?」
「凛どう思う?」
何度も名前を呼ばれる。
凛はノートを開きながら言う。
「一回、候補全部出してから絞ろうか」
「さすが」
「やっぱ藍原いると違うわ〜」
笑い声。
自然な流れ。
できている。
ちゃんと、できている。
そのとき。
「月城くんは〜?、なんか案ある?」
誰かが振る。
玲は少しだけ考えてから言う。
「食べ物系は回転早いほうがいいだろ」
「たしかに」
「じゃあクレープとか?」
凛が自然に続ける。
「材料も管理しやすいし」
「いいじゃん」
二人の会話は、クラスメイトから見れば普通だ。
特別じゃない。
でも。
目が合う時間が、ほんの少し長い。
それだけで、心拍がずれる。
(だめだめ)
凛は視線を資料に戻す。
“普通”でいる。
それが今のルール。
放課後。
だいたいの方向性が決まる。
「凛、まとめといてくれる?」
「先生に出す紙もお願いしていい?」
断れる。
今度こそ。
「……うん、やっとくね」
言ってしまう。
「ほんと助かる」
「頼りになる〜」
笑顔で返す。
でも。
胸の奥が、じわっと重い。
玲が机に肘をつきながら言う。
「全部やる気?」
軽い調子。
クラスメイトもいる。
だから凛も軽く返す。
「別に全部じゃないよ」
「顔が全部って言ってる」
「なにそれ」
周りが笑う。
「月城くんひど」
「凛に厳しい〜」
冗談の空気。
でも。
玲は目を逸らさない。
「半分くらいにしとけ」
それだけ。
命令じゃない。
心配でもない。
ただのアドバイスみたいに。
凛は一瞬だけ黙る。
「……考えとく」
それが精一杯。
教室を出る。
自然と隣になる。
でも、触れない。
誰が見ても“仲いいクラスメイト”。
それだけ。
「断れなかったね」
玲が小さく言う。
「分かった?」
「うん」
凛は苦笑する。
「期待されるとさ」
一拍。
「違うって言いづらい」
風が吹く。
凛の黒い髪がふわり視線を誘導する。
「やりたくないわけじゃないの」
凛は続ける。
「でも、ちゃんとしすぎてる気がする」
前までは。
それが誇らしかった。
“ちゃんとしてる”は、武器だった。
今は。
少しだけ、息苦しい。
玲はしばらく黙ってから言う。
「ちゃんとしてなくても、誰も死なない」
凛は思わず笑う。
「極端」
「事実」
少しだけ肩の力が抜ける。
「ねえ」
凛が言う。
「私、ちゃんとしてないと、何が残るんだろ」
それは、小さな本音。
玲は歩きながら答える。
「俺にはそれでも凛が残る」
即答。
凛は顔を上げる。
「それ外で言ったら引かれるよ」
「外で言わない」
当たり前みたいに。
その言葉が、あたたかい。
役割は、まだ降りていない。
これからもきっと頼られる。
期待も消えない。
でも。
ちゃんとしてなくても受け入れる人がいる。
それはもう分かっている。
だからこそ。
外でちゃんとする自分との間に、少しだけ隙間ができる。
その隙間が、少しだけ痛い。
夏休みは、まだ終わらない。
文化祭まで、まだ時間はある。
凛はまだ、役割の中に立っている。
でも。
ほんの少しだけ。
降りたいと思う自分を、自覚し始めていた。
帰り際。
「今日どうする?」
凛が自然に言う。
周りに数人いる。
隠さない。
「少し寄る?」
「いいよ」
その会話を、
ちゃんと聞いているクラスメイトがいる。
でも。
もう驚かない。
「やっぱな」
という空気。
女子のひとりがぽつり。
「なんかさ」
「うん?」
「付き合ってなくてもあれはもう特別枠だよね」




