クラスでの2人 夏休み前の爆弾
六月の終わり。
体育祭の喧騒も普段の日常に溶け落ちていく。
教室にはいつもの机の並び。
いつものざわめき。
でも。
凛にとっても、玲にとっても、
“ただの日常”ではなくなっていた。
朝の教室
凛が黒板にその日の予定を書いている。
チョークの音が静かに響く。
「藍原、そこ漢字違う」
後ろから声。
凛が振り返る。
みんなのいるところでは苗字で呼ぶことにしていた。
「違わないし」
「いや、ほら」
玲が立ち上がって前に出る。
黒板を指差す。
二人の距離が近い。
自然すぎる距離。
「……あ」
凛が小さく笑う。
「ほんとだ」
教室がざわっとする。
「え、藍原ミスるの?」
「レアじゃん」
凛は少しだけ照れる。
「人間なんで」
玲がチョークを取って直す。
その流れが、あまりに自然。
それを見ていた凛の友人がぽつり。
「最近さ」
「うん?」
「月城くんと普通に喋るよね」
凛は一瞬だけ詰まる。
でもすぐに笑う。
「前から喋ってたよ?」
「いや、今の距離感は違う」
その言葉に、凛の耳が少し赤くなる。
玲は気づいていないふりをして席に戻る。
昼休み。
凛の机の周りにはいつもの女子グループ。
そこに、珍しく男子も混ざる日が増えた。
きっかけは、ほんの小さなことだった。
「月城くん、数学教えて」
凛が何気なく言った。
それだけ。
玲が椅子を持ってくる。
机の円が少し広がる。
「ここ、どうやるの?」
凛の友人がノートを差し出す。
玲が説明する。
思ったより分かりやすい。
「え、月城くんってこんな教え方上手いんだね?」
「普通」
「普通じゃない」
凛が横から言う。
少し誇らしげ。
その言い方が、もう近い。
男子のひとりが笑う。
「なんか藍原、月城に甘くない?」
空気が一瞬止まる。
凛は即答。
「事実言ってるだけ」
でも声がほんの少し早い。
友人がニヤッとする。
「へぇー」
玲は静かに水を飲む。
何も言わない。
でもその場から離れない。
それが一番の変化だった。
前なら、距離を取っていた。
今は、自然にそこにいる。
凛の輪の中に。
ある日の放課後。
窓から入る風がぬるい。
蝉の声が遠くで鳴き始める。
音楽室は相変わらず静か。
でも。
以前より、笑い声が増えた。
凛が椅子に浅く座る。
「今日さ」
「うん」
「昼、普通に玲がいるの変な感じしなかった」
「慣れただけだろ」
「うん」
少し考える。
「それが嬉しい」
ぽつり。
玲が視線を上げる。
凛はすぐに目を逸らす。
「今のなし」
「最近それ多い」
「黙って」
笑い合う。
安定。
安心。
でも。
完全に安全ではない。
昼休みの輪の中で、
玲が自然にいる時間が増えるほど、
“違和感”もゆっくり育っていた。
七月半ば。
期末テストの範囲が発表される。
教室が悲鳴に包まれる。
凛はプリントを整えながら言う。
「早めにやれば大丈夫」
その横で玲が頷く。
友人がぽつり。
「なんかさ」
「この二人、息合ってない?」
凛が一瞬固まる。
玲は普通に言う。
「勉強の話だからね」
自然すぎる返し。
でも。
目が一瞬、合う。
その“分かり合っている感じ”が、
じわじわと、周囲に伝わり始めていた。
七月末。
湿気が教室にまとわりつく。
昼休み。
凛の机の周りには、いつもの女子と、最近増えた男子の姿。
その中に、山下もいる。
笑い声。
「藍原それ違うだろ」
「違わないって」
凛が笑う。
自然。
でも距離はきちんとある。
玲は少し離れた男子グループの端にいる。
最近は、そこにいる時間が増えた。
佐伯と喋りながら適度に男子グループのにも混ざる。
以前より会話に入る。
笑うことも増えた。
男子のひとりが、ぽつり。
「最近さ」
「ん?」
「お前、藍原と普通に話してるよな」
「前からだろ」
「いや、前より近い」
玲は肩をすくめる。
「そうか?」
「体育祭から関わること増えたからかな」
その横で、山下が口を挟む。
少しだけ不満げに。
「勘違いすんなよ」
玲が視線を向ける。
「何が」
「藍原がお前のこと特別好いてるわけじゃない」
空気が少しだけ変わる。
周囲が静まる。
山下は続ける。
「俺らがあそこにいるから、ついでに話してるだけだろ」
軽い口調。
でも、ほんの少しだけ刺がある。
玲は数秒、黙る。
視線は逸らさない。
でも怒らない。
「そっか」
それだけ。
あまりに軽い。
男子のひとりが「お、おう」と空気を戻す。
話題は別の方向へ流れる。
山下は少し拍子抜けした顔をする。
一方で。
教室の端。
凛はその一部始終を見ていた。
ノートを持つ手が止まる。
(今の、何)
山下の言葉。
玲の反応。
怒らない。
焦らない。
ムキにもならない。
ただ、流した。
凛の胸の奥が、じんわり熱くなる。
(……なんでそんな余裕なの)
放課後。
音楽室。
凛が先に来ている。
少しだけ、いつもより無言。
玲が入ってくる。
「今日静かだな」
「別に」
「なんかあった?」
凛は少し迷う。
でも言わない。
代わりに。
「ねぇ」
「うん」
「昼さ」
「うん」
「男子と仲良さそうだったね」
玲が少し笑う。
「普通」
「山下とも?」
一瞬だけ、間。
でも玲は変わらない。
「普通に話しただけ」
凛はじっと見る。
探るように。
でも、揺れていない。
(……強い)
玲は静かに言う。
「俺、まだ途中だから」
「何が」
「凛の隣に立つやつとして」
さらっと。
当たり前みたいに。
凛の呼吸が一瞬止まる。
「だからさ」
「うん」
「誰が何言っても、別にいい」
凛の胸がぎゅっとなる。
悔しい。
嬉しい。
負けた感じ。
「……ふーん」
わざとそっけなく言う。
でも目はやわらかい。
「何」
「別に」
凛は少しだけ近づく。
「じゃあさ」
「うん」
「もっと仲良くしよっか」
玲が首を傾げる。
「今でも十分だろ」
凛が小さく笑う。
「足りない」
「私はもっと居るのが当たり前になりたい」
その目は、少しだけ挑戦的。
(ついで?)
(好いてるわけじゃない?)
そんなわけない。
“見せつける”とかじゃない。
ただ。
もっと自然に。
もっと当たり前に。
隣にいる姿を、誰の目にも。
凛は心の中で決める。
期末テスト答案返却日。
教室がざわつく。
「藍原また一位じゃん」
「やっぱな」
凛はいつものように苦笑する。
「たまたま」
少し遅れて。
「玲も上位入ってるぞ」
佐伯の声。
玲が肩をすくめる。
「まあな」
自然。
並ぶ名前。
上位常連。
それはもう珍しくない。
でも――
二人の空気は、少しだけ違う。
期末最終日。
解放感が教室を満たす。
机ががたがた動き、笑い声が弾む。
「夏休み前に打ち上げしようぜ!」
男子グループが盛り上がる。
女子も巻き込まれる。
「どこ行く?」
「カラオケ?」
「ボウリング!」
自然と凛の机の周りに人が集まる。
「藍原来るよな?」
男子が言う。
凛は軽く首を傾げる。
「誰行くの?」
名前が挙がる。
山下や加藤を含む数人の男子。
女子数名。
でも。
玲の名前は出ない。
凛は、静かに聞く。
「月城くんは?」
男子のひとりが曖昧に笑う。
「あー、月城は別に……」
「男子で後で声かけるし」
「あんま来ないだろこういうの」
その“分け方”。
凛は一瞬だけ黙る。
それから。
本当にさらっと言う。
「月城くんいないなら、行かないかな」
空気が止まる。
「……え?」
「なんで?」
女子が目を丸くする。
男子は固まる。
凛は穏やかに続ける。
「いちばん仲いい異性、玲月城くんだから」
教室がざわつく。
「ちょ、待って」
「それどういう」
凛は肩をすくめる。
涼しい顔。
「他の男子は、そのついでで話してるだけだし」
山下の目が、はっきり揺れる。
その言葉。
数日前、自分が玲に言ったもの。
凛は笑う。
「だから月城くんいないなら、別にいいかな」
沈黙。
重いわけじゃない。
でも軽くもない。
男子のひとりが慌てて言う。
「いや、別にハブってるとかじゃ」
「うんわかってる。」
「そんなに仲良いって訳じゃないもんね月城くんと」
凛の声は優しい。
でも引かない。
山下が小さく息を吐く。
視線を逸らす。
「そっか、分かった」
短く。
それ以上何も言わない。
女子たちが凛を取り囲む。
「え、え、何今の」
「さらっと爆弾」
凛は笑う。
「事実言っただけ」
耳は少し赤い。
でも目はまっすぐ。
教室の端。
玲は空気の変化を感じている。
何が起きたのかは分からない。
でも。
凛が自分を見た。
一瞬だけ。
逃げない目で。
終業式も終わり放課後。
結局、打ち上げの話はまとまらなかった。
「じゃあまた連絡するわー」
曖昧なまま流れる。
凛は鞄を肩にかける。
廊下で玲と並ぶ。
「何かあった?」
玲が聞く。
凛は少しだけ考える。
そして、笑う。
「別に」
「怪しい」
「怪しくない」
少し間。
「ただ」
凛は前を向いたまま言う。
「玲がいないと、つまんないなって言っただけ」
玲が足を止めかける。
「……それ、爆弾だぞ」
「知ってる」
凛がちらっと見る。
「後悔してない」
「もう夏休み入ってしばらく会わないからみんな忘れてくれるよきっと」
その目は、揺れていない。
蝉が鳴く。
強い日差し。
教室ではまだ、さっきの言葉が話題になっている。
「ほぼ公開告白じゃん」
「え、付き合ってるのかな?」
「いやでも決定的ではなくない?」
曖昧なまま。
確信に届かないまま。
ざわめき。
椅子の音。
笑い声。
凛は見上げる。
玲と目が合う。
校門を出る。
凛が小さく言う。
「夏休み」
「うん」
「いっぱい会うから」
玲が少し笑う。
「確定なんだ」
「当然」
即答。
そして。
教室の中ではまだ、
「結局どうなの?」という声が飛び交っている。
答えは出ない。
出さない。
爆弾だけ落として。
余韻を残して。
二人は並んで夏へ向かって歩く。
夏が始まる。




