デート
待ち合わせは正午。
駅前の広場は、お昼らしい賑わいに包まれていた。
冬に向かう空は高く澄み、光は柔らかいのに、どこかくっきりと輪郭を持っている。
凛は、約束の十五分前に着いていた。
早すぎると分かっていながら、家でじっとしていられなかった。
ガラス張りのビルに映る自分の姿を、もう一度だけ確認する。
高い位置で結んだポニーテール。
揺れるたびに、黒髪の内側から青のインナーカラーがのぞく。
光が当たると、深い海のように色が変わる。
「……派手すぎないよね」
小さく呟く。
でも、今日は少しだけ特別でいたかった。
前に偶然、休みの日に玲と会ったことがあった。
あのときは本当に偶然で、どちらもラフな格好だった。
それでも嬉しかった。
けれど今日は違う。
“会うために”来ている。
それが胸の奥を何度も熱くする。
スマホを見る。
まだ時間はある。
深呼吸を一つ。
そのときだった。
「……藍原?」
名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。
振り向く。
時間が、ほんの一瞬だけゆっくりになる。
玲が立っていた。
髪を上げている。
いつもは前髪に少し隠れている目が、今日ははっきり見える。
光を受けて、まっすぐで、静かで、思わず息を止めてしまうほど綺麗だった。
首元がすっきりしていて、大人びて見える。
シンプルなのに洗練された服装。
無理をしている感じはないのに、確実に“いつもより特別”。
凛は一瞬、言葉を失った。
「……え」
間の抜けた声が出る。
玲が少しだけ首をかしげる。
「何、その反応」
「いや、ちょっと待って……」
視線が逸らせない。
こんなに目がはっきり見えるの、校外学習以来かもしれない。
整った輪郭。
涼しげなのに、どこか柔らかい目元。
胸がうるさい。
「……今日、なんか違う」
やっと絞り出す。
玲は一瞬だけ視線を外し、少し照れたように笑う。
「藍原も」
「え?」
「髪、似合ってる」
その一言で、顔が一気に熱くなる。
思わずポニーテールに触れる。
青と黒のグラデーションが揺れる。
「……ちゃんと、してきたから」
声が小さくなる。
玲の視線が、髪を追う。
光を受けて色が変わるのを、確かめるように。
「似合ってるね」
さらりと言う。
凛は完全に言葉を失った。
前に偶然会った日のことが、頭をよぎる。
あのときもポニーテールだったが褒められたのは今回が初めてだ。
それに今は前とは違う。
今日は、お互いが“意識している”。
空気が、少しだけ甘い。
近いのに、触れていない距離。
風が吹く。
凛のポニーテールが揺れ、玲の上げた髪の隙間を光が通る。
一瞬、目が合う。
どちらも逸らさない。
鼓動だけが速い。
「……行こっか」
先に言ったのは凛だった。
このまま立ち尽くしていたら、きっと何も話せなくなる。
玲が小さく頷く。
二人並んで歩き出す。
肩と肩の間には、まだ少しの距離。
でもその距離は、前よりも確実に近い。
昼の光の中で。
今日が特別な一日になることを、二人ともまだ言葉にしていなかった。
それでも、分かっていた。
駅前の喧騒を抜けると、通りは少しだけ落ち着いた。
昼の光は明るいのに、どこか柔らかい。
並んで歩く二人の影が、同じ方向に伸びている。
最初は、少しだけぎこちなかった。
「……どこ行く?」
凛が聞く。
「藍原が行きたいとこでいいよ」
「それ一番困るやつ」
小さく笑いが重なる。
沈黙が怖いわけじゃない。
ただ、何か話さなきゃと思ってしまう。
でも不思議と、嫌な沈黙ではなかった。
歩幅を自然に合わせていることに、凛は気づく。
玲もそれに気づいているのか、ほんの少しだけ歩調を緩めた。
その小さな気遣いが、胸を温かくする。
「……体育祭さ」
凛が切り出す。
「うん」
「アンカー決まる前、何考えてたの?」
玲が少しだけ視線を上げる。
「ああ……」
少し考えるように空を見てから、
「正直、山下に“俺だろ”って言われたとき、ちょっとムカついてた」
凛が吹き出す。
「そこ?」
「だってさ」
玲は肩をすくめる。
「凛、走者のとき俺のこと庇っただろ」
「だから結構本気で走ったんだよね」
「なのに当たり前のように言われるとね」
心臓が跳ねる。
「あの時は普通に嫌だっただけ」
「でも確かに月城くんが軽く見られててイライラしちゃってたかも」
「うん」
「藍原らしくは無かったけど、俺は嬉しかった」
玲は少しだけ真剣な目になる。
「何もしないの、嫌だった」
凛の呼吸が止まりそうになる。
「あれがあったから、本番も本気で走った」
「変わろうかなって思ったんだよね」
あの瞬間が蘇る。
トラックを駆け抜ける姿。
息が上がっているのに、まっすぐこっちを見ていた目。
「……かっこよかったよ」
「ちゃんと私を見て走ってくれてた」
自然に出た言葉だった。
言った瞬間、少し遅れて自覚する。
玲が一瞬、足を止めかける。
「それ、反則」
「何が?」
「その言い方」
少し照れたように笑う。
凛の胸が、また大きく鳴る。
「藍原も」
「え?」
「最後、バトン受け取るときの顔」
「見てたの?」
「今自分で見ててくれたって言ってたじゃん」
さらりと言われて、頭が真っ白になる。
風が吹く。
ポニーテールが揺れ、玲の袖にふわりと触れる。
一瞬だけ、布越しに温度を感じた。
離れる。
でも、前より距離は近い。
「……体育祭、楽しかった?」
凛が少しだけ不安そうに聞く。
玲は少し黙る。
そして、
「今までの中では一番楽しかった」
はっきりと言った。
「前なら、多分リレー断ってた」
凛が横を見る。
「打ち上げも?」
「うん」
玲は小さく笑う。
「なんか、今は違う」
「……何が?」
一瞬、玲の視線が凛に向く。
真っ直ぐで、逃げない目。
「環境」
少し間を置いて、
「隣にいる人、とか」
心臓が痛いくらい鳴る。
言葉は曖昧なのに、意味ははっきりしている。
凛は誤魔化すように前を見る。
「……じゃあ、今日はもっと楽しくさせないと」
「ハードル上げるなよ」
「自信あるもん」
少しだけ胸を張る。
玲が笑う。
その笑顔を、凛は初めて“独占している”気がした。
人混みを抜けるとき、自然に距離が縮まる。
肩が触れそうで、触れない。
でももう、不自然ではない。
歩きながら、凛は思う。
学校の廊下とは違う。
音楽室とも違う。
今は、誰もいない。
二人だけの時間。
そして、玲も同じことを考えている気がした。
視線が合う。
今度は逸らさない。
そのまま、目的地が見えてくる。
今日の一番大事な時間が、これから始まる。




