凛の誘いとそれぞれの日曜日
打ち上げの空気は、少しずつ変わっていた。
最初の勢いは落ち着き、
笑い声は続いているけれど、どこか波が引いたあとのような静けさが混ざる。
山下は戻ってから、いつも通りに振る舞っていた。
「いやマジで最後は気合」
冗談を言い、
ポテトをつまみ、
笑う。
でも凛は気づいている。
笑うまでに一瞬の間があること。
目が少しだけ合わないこと。
自分がそうさせたのだという事実が、胸に重く落ちる。
けれど。
後悔は、していない。
はっきりと伝えたことは、間違っていない。
凛はグラスを持ちながら、自然と視線を動かす。
少し離れた席に、玲がいる。
騒がしさの中で、落ち着いた輪郭。
大きく笑うわけでもなく、
でも孤立もしていない。
誰かに話しかけられれば短く返し、
聞き役に回り、
時々ほんの少しだけ口元を緩める。
昨日までは、それだけだった。
“クラスメイトの一人”。
でも今は違う。
あの音楽室の時間を知っているのは、自分だけだ。
ピアノの鍵盤に触れる指。
光の中の横顔。
「信じてる」と言った声。
思い出すだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
それはもう、はっきりしている。
好き、なんだと思う。
自覚した瞬間、頬が少し熱くなる。
でも同時に、現実がよぎる。
今日、自分は山下を断った。
そしてその様子を、みんなは察している。
小声で交わされる言葉。
「どうだった?」
「振られたっぽい」
完全に聞こえていなくても、雰囲気で分かる。
噂は、きっと月曜にはもっと形になる。
そんな状況で、すぐに玲を誘うのはどうなんだろう。
軽く見られる?
山下に対して冷たく映る?
そう考えると、足がすくむ。
それでも。
今日、玲が一瞬だけ見せた表情が頭から離れない。
告白の噂を耳にしたときの、あの静かな揺れ。
あれは、何だったんだろう。
もし。
少しでも自分に向いているのなら。
逃したくない。
店の外で解散になる。
「月曜まじで暇」
「昼まで寝るわ」
代休の話題が自然に出る。
凛の鼓動が少し速くなる。
今?
いや、今はみんながいる。
でも、聞くだけなら。
勇気を出す。
「月城くん」
名前を呼ぶと、玲が振り向く。
「月曜って予定ある?」
声がほんの少しだけ固い。
玲は少し考えるように目を伏せる。
「特にない」
短い答え。
それだけで、心が軽くなる。
「そっか」
それ以上は言わない。
今は、まだ。
自然に手を振って別れる。
帰り道。
街灯がぽつぽつと灯る。
凛は何度もスマホを握る。
誘う理由。
ただ会いたい、じゃだめだ。
ちゃんとしたきっかけがほしい。
家に着く。
制服を脱いで、ベッドに腰を下ろす。
静かな部屋。
今日の出来事が一気に押し寄せる。
山下の「好きだ」という声。
自分の「ごめん」。
そして。
玲の目。
トーク画面を開く。
カーソルが点滅する。
《月城くん、暇?》
送ってしまえば簡単だ。
でも消す。
軽い。
《明日どっか行かない?》
消す。
直接すぎる。
深呼吸。
自分たちらしい理由。
音楽。
あの時間の続き。
指がゆっくり動く。
《この前のピアノの話、ちゃんと聞きたいなって思ってて》
少し間を空ける。
《月曜、もし時間あったら付き合ってほしい》
送信ボタンの上で、指が止まる。
本当に送る?
今ならまだ消せる。
胸がうるさい。
でも。
もう逃げたくない。
タップ。
送信。
画面が静かになる。
既読はつかない。
時間だけが進む。
凛はベッドに倒れ込む。
枕に顔を埋める。
これでいい。
これで、自分はちゃんと前に進んだ。
あとは。
返事を待つだけ。
凛 ― 日曜の朝
目が覚めたのは、カーテン越しに差し込む淡い光のせいだった。
白くにじんだ朝日が、天井をぼんやりと照らしている。
体はまだ重い。昨日の疲れが残っているのか、まぶたも完全には開かない。
ぼんやりとした意識の中で、まず思い出したのは体育祭のことだった。
歓声。
拍手。
バトンを受け取る時の玲の顔。
――そして。
送った。
昨夜、自分から送ったメッセージ。
その事実が、ゆっくりと現実に戻ってくる。
心臓が一拍、強く鳴る。
布団の中で小さく息を吸う。
まだスマホは見ていない。
見たら、何かが決まってしまう気がして。
断られていたらどうしよう。
既読がついていなかったら?
変に思われていたら?
いろんな可能性が、寝起きの頭の中でぐるぐる回る。
逃げたい気持ちと、知りたい気持ちがぶつかる。
少しだけ迷ってから、枕元に置いたスマホへ手を伸ばす。
冷たい感触。
画面をタップする。
通知が一件。
名前を見た瞬間、指が止まる。
――玲。
喉が乾く。
そっと開く。
《いいよ》
たった三文字。
それだけ。
なのに。
全身の血が一気に熱を持つ。
いいよ。
断られてない。
嫌がられてない。
会える。
二人で。
昨日は勢いで送れたのに、今はその意味の重さがずしりと胸に落ちてくる。
「……ほんとに?」
小さく呟く。
何度も画面を見直す。
文字は変わらない。
夢じゃない。
嬉しい。
でも、同時にとてつもなく恥ずかしい。
自分から誘った。
二人きりで。
顔が熱い。
布団を頭までかぶる。
「やば……」
声がこもる。
月曜に、玲と会う。
学校じゃない。
友達もいない。
逃げ場もない。
それでも。
不安よりも、楽しみの方が大きい。
昨日、山下の告白を断ったとき。
思い出されたのは玲との時間だった。
あの瞬間、気持ちに気づいた。
まだ付き合いたいかは分からないけど好きになっている。
だから今、迷いはない。
あるのはただ――緊張。
どういう服で行こう。
どんな話する?
告白は流石に早すぎるよね。
まだお互い深く知らないし……でも。
恋人になって知っていくこともできるよね。
そこまで考えて、布団の中で顔を真っ赤にする。
「いやいやいや……」
まだ早い。
でも。
何かが動き出している。
スマホを胸に抱きしめる。
月曜が待ち遠しいなんて、初めてかもしれない。
凛はしばらく天井を見つめたまま、鼓動が落ち着くのを待っていた。
⸻
玲 ― 日曜の朝
目が覚めたのは、いつもより少し早かった。
理由は分からない。
ただ、眠りが浅かった気がする。
体育祭の疲れか、それとも。
枕元のスマホを手に取る。
画面をつける。
凛の名前。
通知の時間は昨夜。
静かな朝の空気の中で、その文字がやけにくっきり見える。
タップする。
《月曜、もし時間あったら付き合ってほしい》
ベッドの上で、しばらく画面を見つめる。
昨日の出来事がよみがえる。
山下の告白。
凛のした返事。
その後度々合う目。
そして、そのあと自分と話していたときの表情。
あれは。
偶然じゃない。
月曜は代休。
学校はない。
わざわざその日に誘う意味。
ただの話なら、教室でできる。
わざわざ遊びに誘われている。
それを分かっていないほど、自分は鈍くない。
胸の奥が、少しだけ熱を持つ。
期待するな。
勝手に決めつけるな。
そう思うのに。
もし。
ほんの少しでも、好意があるのなら。
昨日、凛が誰かの隣に立つ未来を想像した。
それが、嫌だと感じた。
自分の感情に気づいた瞬間だった。
指先が画面の上で止まる。
長文は送らない。
重くしない。
凛が構えないように。
《いいよ》
短く打つ。
少し迷ってから、送信。
メッセージが飛んでいく。
ベッドに背を預ける。
天井を見上げる。
二人で会う。
何を話す?
凛は何を言うつもりなんだろう。
もし告白だったら?
そこまで考えて、軽く息を吐く。
「……考えすぎか」
でも。
ゼロではない。
昨日の凛の目は、まっすぐだった。
自分を見ていた。
それを思い出すと、胸の奥が静かに高鳴る。
逃げない。
今回は。
曖昧にもしない。
何が来ても、ちゃんと向き合う。
カーテンを開ける。
光が差し込む。
月曜が来るのが、少しだけ楽しみだと思っている自分を、もう否定しなかった。




