リレーの練習と体育祭前夜
混合リレーのメンバーが決まった。
女子二人、男子二人。
佐藤美晴、月城玲、藍原凛、山下拓海。
「順番どうする?」
委員長の三浦が問いかけると、山下がすぐに手を挙げた。
「アンカーは俺だろ」
冗談半分、でも本気が混ざっている。
「最後盛り上げたいしさ」
「自信あるんだ?」
凛が軽く笑う。
「あるある。任せろって」
その勢いに押される形で、順番は決まった。
一走目:佐藤
二走目:月城
三走目:藍原
アンカー:山下
校庭に並ぶ四人。
「じゃあ一回流してみよ」
スタート。
佐藤が安定した走りで入り、
スムーズに玲へ渡す。
玲は余計な動きをせず、淡々と加速する。
「月城、結構速いな」
クラスメイトが後ろから声を上げる。
玲は振り返らない。
そして凛の待つゾーンへ。
「藍原」
短く呼ぶ。
凛は一瞬、目を上げる。
「うん」
バトンが触れる。
ほんのわずかな接触。
凛は受け取ると同時に走り出す。
——走りやすい。
リズムが自然と合う。
凛の呼吸が、少し整う。
直線。
アンカーの山下が手を伸ばす。
「藍原!」
名前を強く呼ぶ。
凛はタイミングを合わせ、しっかり渡す。
距離は近い。
肩が触れそうなほど。
山下はそのまま力強く駆け出す。
「いいじゃん!」
戻ってきた山下が笑う。
「藍原、ナイス」
「ありがとう」
凛はいつもの調子で返す。
「本番も俺に任せとけ」
「うん、頼りにしてる」
その言葉に、山下は少しだけ嬉しそうにする。
でも。
次の練習。
玲から凛へ渡すとき。
「もう少し内側で渡してくれる?」
凛が言う。
「分かった」
即答。
もう一度。
今度は完璧に噛み合う。
「今の、すごくやりやすい」
凛の声が、ほんの少し柔らかい。
山下はその変化に気づく。
自分に向けられる笑顔と、
月城に向けられる声色が、ほんのわずかに違う。
はっきり違うわけじゃない。
でも、なんとなく。
「月城、藍原と息合ってんな」
軽く言う。
「そう?」
玲は表情を変えない。
「相性が良いみたい!ねっ?」
凛が答える。
その言い方が、自然すぎた。
休憩中。
山下が凛の隣に座る。
「本番、緊張する?」
「少しは」
「俺が最後決めるから安心しろよ」
「うん」
凛は笑う。
ちゃんと距離はある。
誰に対しても同じ態度。
けれど。
少し離れた場所で水を飲んでいる玲を見ると、
「月城くん」
と自然に呼ぶ。
「さっきの位置、あれで固定でいい?」
「いいと思う」
「じゃあ本番もそれでいこ!」
「了解。がんばろ」
会話は短い。
でも、凛の表情が少しだけ素になる。
山下は、それを見ていた。
敵意ではない。
ただ、胸の奥に小さな違和感が残る。
——自分はアンカーだ。
目立つ役割だ。
それなのに。
なぜか、凛の視線が一番落ち着く場所は、
そこではない気がする。
夕日が校庭を染める。
練習は数日続いた。
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体育祭前日の学校は、いつもより少しだけ音が大きかった。
廊下には各クラスの旗が並び、
色とりどりの布が空調の風に揺れている。
グラウンドでは、先生たちが最後のライン引きをしていた。
白い石灰の粉が夕日に照らされ、淡く光る。
校内放送が流れる。
「明日は八時半までに集合してください」
その声に、あちこちで「土曜日なのに早いな」「寝坊するわ」と笑いが起きる。
放課後の教室も、落ち着かない空気に包まれていた。
机は端に寄せられ、中央には空間。
クラス旗が広げられ、何人かが最終チェックをしている。
「ここ、ちょっとシワある」
「アイロンかける?」
「混合リレー何時?」
「午後一。昼休み明け応援合戦の後すぐ」
声が飛び交う。
黒板には大きく、
“優勝”
その下に誰かが書き足した、
“混合で決める”
という文字。
「山下、アンカー頼むぞー」
茶化す声。
「任せろって。最後は俺が持ってく」
山下は軽く拳を握る。
その様子に、何人かが「おー」と声を上げた。
混合リレーは、いつの間にかクラスの象徴になっていた。
そしてその中心には凛と玲もいる。
最初のころは少しぎこちなかった二人のやり取りも、
ここ数日の練習で自然になっていた。
「月城、明日ゾーンちょっと内側でいいよね?」
「うん、あの位置で安定してる」
「助かる」
そんな短いやり取りが、教室の中でも普通に交わされる。
誰ももう驚かない。
練習のたびに細かい確認をしてきたからこそ、
会話に理由がある。
作戦の話。
タイミングの話。
バトンの角度。
それがあるから、二人が話していても違和感がない。
むしろ、
「混合の二人に聞いた方が早くない?」
「そうそう、あの二人どっちも頭も良くて詳しいし」
そう言われるようになっていた。
凛が中心に立つのは変わらない。
でもその隣に、自然に玲がいる瞬間が増えている。
玲自身も、それを強く意識しているわけではなかった。
ただ、練習で交わした確認が、そのまま教室でも続いているだけだ。
凛がクラス旗を確認していると、玲が近づく。
「明日、バトンの位置確認する?」
「うん、少しだけ早めに行ける?」
「いいよ」
そのやり取りを、近くにいた三浦が聞いていた。
「さすが2人とも妥協しないね」
軽く笑う。
「頼りにしてるからね2人とも」
凛は笑って頷き、
玲は特に照れもせず「了解」と返す。
空気は穏やかだった。
誰かが無理をしている感じも、
特別扱いの空気もない。
ただ、練習を積み重ねた結果として、
二人の距離が“自然になった”だけ。
それでも。
凛がふとした瞬間、玲の方を見る頻度は増えている。
「明日、楽しみ?」
不意に、凛が聞く。
「まあ」
「私はちょっと緊張してる」
「珍しいね」
「そう見えるだけだよ」
凛は少しだけ声を落とす。
「余裕あるように見えるでしょ?」
「そうだね……うん」
「……見せてるだけ」
一瞬だけ、目が合う。
その空気は、ほんのわずかに静かだった。
だがすぐに、
「凛ー!ここどうする?」
呼ばれる。
「今行く!」
いつもの明るい声に戻る。
玲は凛にだけ見えるよう口パクで言う。
「た・の・し・も・う!」
凛は少しびっくりしたような表情をした後に笑顔で友達の方へ行く。
玲はその背中を見送る。
前夜の教室は騒がしい。
期待と緊張が混ざり合っている。
でもその中で、
凛と玲の間には、少しだけ落ち着いた空気が流れていた。
それは特別ではない。
ただ、積み重ねの結果。
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夕方。
部活終わりのグラウンド脇。
体育祭前日ということもあって、どこか落ち着かない空気が漂っている。
山下は自販機の前で立ち止まり、スポーツドリンクを買った。
「アンカー様、お疲れ」
背後から声がする。
同じクラスの友人、加藤だ。
「うるせぇ」
そう言いながらも、山下は少しだけ笑う。
「でもマジでさ、混合いい感じじゃん」
「だろ?」
「藍原とだいぶ息合ってるよな」
その言葉に、山下は少し視線を逸らす。
「まあな。練習したし」
「いや、それだけじゃなくて」
加藤はニヤッとする。
「距離、縮まったろ?」
図星だった。
凛とバトンを渡す瞬間。
名前を呼ばれる瞬間。
「任せる」と言われたときの感覚。
どれも、少しずつ確かに近づいた証拠のように思えた。
「……悪くない」
山下は正直に言う。
「本番、うまくいったらさ」
「お?」
「言おうかなって」
「マジかよ」
加藤が笑う。
「体育祭補正狙い?」
「違ぇよ」
否定はするが、完全には否定できない。
体育祭という特別な日。
アンカーという目立つ役割。
もし、最後に勝てたら。
その勢いで——
「チャンスではあるよな」
加藤は真面目な声になる。
「でもさ」
「何だよ」
「月城、気になんね?」
山下の動きが一瞬止まる。
「別に」
「ほんとに?」
グラウンドでは、まだどこかのクラスが応援練習をしている。
遠くから太鼓の音が響く。
「混合のあの二人、なんか息合ってるじゃん」
加藤は軽い口調で言う。
「作戦の話してるだけだろ」
山下は即答する。
「そうだけどさ」
言葉が続かない。
自分だって分かっている。
凛は誰に対しても平等だ。
自分にも、月城にも。
でも。
月城に向けるときだけ、
ほんの少し声が落ち着く。
あれは気のせいか?
「……気にしてたらキリねぇだろ」
山下は缶を開ける。
「俺はアンカーだし。明日決めるの俺だし」
「おー、強気」
「勝ったら言う」
はっきり言った。
「負けたら?」
「……そのとき考える」
加藤は肩をすくめる。
「ま、いける気はするよ」
「だろ?」
山下は空を見上げる。
夕焼けはもう消えかけている。
体育祭は明日。
勝てば、勢いに乗れる。
練習で縮めた距離は、嘘じゃない。
そう信じたい。
それでも胸の奥に、
小さな違和感が残る。
——明日、全部はっきりする。
山下はそう思い込むように、
グラウンドを後にした。




