テスト結果とクラスの纏まり
中間テストの結果は、放課後すぐに掲示された。
廊下の一角に集まる人だかり。
それぞれが自分の名前を探し、安堵したり、落ち込んだり、騒いだりしている。
「藍原、やっぱ入ってたね」
誰かの声がする。
「月城もだ」
別の声が続いた。
掲示板の上位三十名の中に、二人の名前は並んでいた。
藍原凛――18位
月城玲。――9位
「普通にすごくね?」
「外部入学の試験難しいらしいからやっぱ頭いいんだな」
そんな声が、遠くで聞こえた気がした。
玲は特に何も思わず、その場を離れる。
結果は、想定の範囲内だった。
一方で凛は、少しだけ掲示板の前に立ち止まっていた。
(……やっぱり)
月城玲の名前。
自分より上。
不思議と悔しさはなかった。
むしろ、変な納得が胸の奥に落ちる。
(やっぱり、ちゃんとできる人なんだ)
凛は小さく息を吐き、すぐに表情を戻した。
「凛、見た?」
女子グループの一人が駆け寄ってくる。
「うん」
「さすがだね」
「みんなも悪くなかったじゃん」
そんな会話をしながら、凛は自然に輪に戻る。
そのまま教室へ戻る途中。
「ねえねえ、今日このあとさ」
クラスの男子が声を上げた。
「テスト終わったし、どっか行かない?」
その一言で、空気が一気に軽くなる。
「行く行く」
「どこ行く?」
「駅前でいいじゃん」
クラスの数人が集まり始める。
凛のグループも、そこに含まれていた。
「藍原も来るでしょ?」
「うーん……」
一瞬、凛の視線が揺れる。
その先に、玲の姿があった。
玲は席に座ったまま、鞄をまとめている。
「月城も来る?」
誰かが何気なく聞いた。
玲は顔を上げる。
「……いや、今日は帰る」
「え、ノリ悪」
笑いながら言われるが、空気は悪くならない。
「家の用事?」
「そんな感じ」
「ま、いいか」
深くは踏み込まれない。
玲は、もともとそういう立ち位置だった。
凛は、そのやり取りを見ていた。
ほんの少しだけ、胸の奥が静かになる。
「凛は?」
「……行くよ」
少し間を置いてから、そう答えた。
「付き合い、だから」
誰に言ったわけでもないのに、言い訳みたいな言葉だった。
「よっしゃ決まり」
クラスの一部特に男子が、放課後の予定に浮き足立つ。
玲はその輪から、自然に外れる。
教室を出るとき、凛と目が合った。
言葉は交わさない。
ただ一瞬、視線だけが重なる。
それだけで十分だった。
凛はすぐに友達の方へ戻る。
玲は、反対方向へ歩く。
帰り道、凛はふと思った。
(……もし月城くんが行くって言ってたら)
自分は、行きたいと心から思えたのかな。
そんな考えが浮かんだこと自体が、
凛にとっては少しだけ、意外だった。
駅前の通りは、放課後の高校生で賑わっていた。
「とりあえずカラオケ行こーぜ」
「え、私クレープ派なんだけど」
そんな声が飛び交い、自然と二手に分かれる。
凛は女子グループと一緒に、駅前のカフェに入った。
「テスト終わったー!」
「ほんとそれ」
テーブルに飲み物が置かれ、笑い声が弾む。
凛も、いつも通り笑っていた。
相槌を打ち、話題を拾い、場を乱さない。
――ちゃんと、やれている。
周りから見れば、いつもの藍原凛だった。
「凛、今回も良かったね?」
「それなりにね!」
「ずる」
軽い冗談が飛ぶ。
凛は曖昧に笑って、ストローを回した。
(……こういうの、嫌いじゃない)
そう思う。
楽しいし、居心地が悪いわけでもない。
でも。
ふとした瞬間、視線が窓の外へ向かう。
ガラス越しに見える夕方の街。
帰宅する人の流れ。
(……月城くん、もう家かな)
考える必要のないことを、考えてしまう。
「凛、どうしたの?」
「え? なんでもない」
すぐに笑顔に戻す。
――付き合い、だから。
そう自分に言い聞かせる。
誰かと過ごす時間を、大切にしないといけない立場だと、凛は知っていた。
でも。
(静かなあの空間も心地よかったな)
そんな気持ちが、胸の奥で小さく揺れていた。
⸻
一方その頃。
玲は、最寄り駅から一人で家へ向かっていた。
夕方の空気は涼しく、足取りは軽い。
(今日は、やけに騒がしかったな)
テストが終わった解放感。
教室のざわめき。
入学後初めての定期テストだったので、玲の名前が載っていた事で少し視線を多く感じた。
玲にとっては、少しだけ疲れる空間だった。
家に着くと、靴を脱ぎ、静かな室内に入る。
いつも通りの一人の時間。
冷蔵庫から水を取り、机に向かう。
――変わらない。
それが、玲にとっては心地いい。
けれど、ノートを開いたまま、手が止まる。
ふと、掲示板で見た名前を思い出す。
藍原凛。
(……やっぱ、ちゃんとできる人だ)
勉強ができる、だけじゃない。
周りと関わり、期待に応え、場に合わせる。
玲にはできない、というより、選ばなかったこと。
(いまさらああいう場所に、俺はいらない)
そう思う。
だから、誘いを断った。
いつも通り。
でも。
(……行かなくてよかった、はずなんだけど)
完全に割り切れていない自分に、気づく。
静かな部屋の中で、玲は小さく息を吐いた。
凛が誰かと笑っている光景を、想像してしまう。
それが嫌なわけじゃない。
ただ――。
(俺がいる場所じゃない、ってだけだ)
そう結論づけて、ペンを取る。
一人の時間は、変わらず落ち着く。
なのに今日は、少しだけ音楽室の静けさを思い出していた。
誰もいないはずなのに、
そこにもう一人分の気配が残っている気がして。
玲は、その感覚を深く考えないようにした。
まだ、それを言葉にするには早すぎたから。
翌日の朝のホームルーム前。
教室はいつもよりざわついていた。
「昨日さ、マジで楽しかったよな」
「藍原と同じテーブルだったんだけど」
「え、ずる」
男子の声が、やけに大きい。
普段は凛たち女子グループと遊ぶ機会が少ない分、余韻が抜けていない様子だった。
「藍原、普通に話しやすかったわ」
「分かる。もっと近寄りがたい感じかと思ってた」
「それな」
そんな会話が、あちこちから聞こえてくる。
凛は女子グループの中で、それらを特別気にすることもなく座っていた。
「ねえ凛、昨日どうだった?」
「楽しかったよ?、カラオケして帰っただけ」
「えー、凛が大人数のとこ来るの割と珍しいしクラスメンバーと盛り上がったんじゃないの?」
「何時もよりは話しかけられたかもね」
凛は笑って流す。
教室の空気は、どこか浮ついている。
一方、玲は自分の席で静かに鞄を整理していた。
周囲の会話は、自然と耳に入ってくる。
「藍原と話せたんだけどさ」
「○○ちゃんも結構可愛かった」
「昨日、写真撮ればよかったな」
特別聞こうとしなくても、聞こえてしまう。
玲は特に表情を変えなかった。
いつものことだ。
自分が関わらない世界の話。
「月城」
後ろから声がかかる。
振り返ると、佐伯陽斗が立っていた。
「昨日、お前も来ればよかったのに」
「ごめんね。用事がなければね」
「みんな楽しそうだったぞ」
「テストの順位貼り出しのとこに名前あったから興味持たれたと思うんだけどなぁ〜。クラスに馴染むチャンスだったのに~」
軽い調子だった。
気遣いでも、誘いでもない。
ただの事実として。
「そう」
「次あったらさ、来いよ」
陽斗はそれだけ言って、自分の席へ戻る。
玲は小さく息を吐いた。
(行っても、たぶん同じだ)
楽しいか、楽しくないか。
…………多分楽しいのだろう。
この学校には俺の家のことをしてっている人はほとんどいないはずだ。
そう分かっている。
けれど。
1度逃げのスタンスを取ると中々抜けられない。
ふと、前の席に座る凛の背中を見る。
クラスの生徒に囲まれ、自然に笑っている姿。
(……ちゃんと、やってるな)
昨日と同じ感想が浮かぶ。
凛は、周囲に合わせることができる。
期待される役割を、自然にこなす。
それができるから、尊敬される。
羨ましい、とは思わない。
ただ。
俺も逃げなかったらああなっていたのかな。
凛は、ふと後ろを振り返った。
一瞬、玲と目が合う。
「おはよう、月城くん」
「おはよう」
それだけの、短いやり取り。
教室のざわめきの中では、違和感なく見えた。
凛はすぐに前を向く。
玲も、視線を戻す。
周囲はまだ、昨日の話題で盛り上がっている。
それでも。
教室の中に、昨日とは違う空気が、静かに混じり始めていた。




