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テスト前

中間テストまで、あと一週間。


 朝のホームルーム前の教室は、いつもより少しだけ張り詰めた空気に包まれていた。

 机の上にはすでに教科書やノートが広げられ、前の席では誰かが小声で範囲を確認している。


「やば……数学、範囲広くない?」

「英語は単語ゲーだよね」


 そんな会話が、あちこちから聞こえてくる。


 月城玲は、窓際の自分の席で静かに問題集をめくっていた。

 特別に気合を入れているわけではない。ただ、やるべきことを淡々とこなしているだけだ。


 ふと、教室の中央が少しだけ騒がしくなる。


 藍原凛を中心に、女子グループと数人の男子が集まっていた。


「藍原、理科どこ出ると思う?」

「えー、そこ聞く? たぶんワークの後半じゃない?」


 凛は笑いながら答え、男子たちも調子よく相槌を打つ。

 最近はこういう光景が増えた。

 女子グループの輪の中にいるとき限定で、凛はクラスの男子とも普通に会話をする。


 玲はその様子を横目で見ながら、特に意識せず視線をノートに戻した。


 ――自分には関係ない。


 そう思っていた、そのときだった。


「……あ、月城くん」


 不意に名前を呼ばれ、玲は顔を上げる。


 凛が、グループの輪から一歩だけ離れて、こちらを見ていた。


「おはよう。今日、ちょっと暑いね」


「……ああ。そうだな」


 それだけの、短い会話。


 だが、その一瞬で、教室の空気がわずかに揺れた。


 凛はそれ以上話しかけることもなく、自然に元の輪へ戻っていく。

 玲もまた、何事もなかったようにノートへ視線を落とした。


 ――ただの挨拶だ。


 そう割り切ろうとしたが、周囲の視線が少しだけ刺さるのを感じた。



 ひそひそとした声が、背後で交わされる。


 玲は気づかないふりをしてページをめくった。

 人と深く関わらない。

 それが、自分の選んできた立ち位置だ。


 けれど。


 休み時間になると、また同じことが起きた。


「月城くん、テスト範囲もう見た?」


 今度は、凛が通りがかりに、ほんの一言。


「一応」


「そっか。じゃあ大丈夫そうだね」


 それだけ言って、凛は友達のもとへ戻る。


 玲は小さく息を吐いた。


 ――なんで、俺にだけ。


 不思議に思わないわけではない。

 だが、自分から理由を探しにいくほどの積極性もなかった。


 一方で、そのやりとりを見ていたクラスメイトたちは、少しずつ違和感を覚え始めていた。



 玲は基本、必要以上に話さない。

 陽斗と最低限会話するくらいで、他とは距離を保っている。


 だからこそ。


 凛と自然に言葉を交わしている光景は、目立った。


 凛のほうは、まるで意識していない様子だった。

 誰かに話しかけるのと同じテンポで、同じ距離感で。


 けれど――

 個人で話している男子は、玲だけだった。


 それに気づいたのは、クラスの中でもごく一部。

 まだ噂になるほどではない、曖昧な違和感。


 玲自身も、それを“変化”として受け止めてはいなかった。


 ただ。


 ノートに視線を落としながら、胸の奥に小さな引っかかりが残る。


(……普通に話してるだけ、だよな)


 そう自分に言い聞かせながら、玲は次の問題へ目を移した。


 中間テストまで、あと一週間。

 教室の中ではまだ誰も気づいていない。



 放課後の校舎は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


 月城玲は、旧校舎へ続く渡り廊下を歩きながら、遠くで聞こえる部活の掛け声をぼんやりと聞いていた。

 今日は音楽室に行くつもりはなかった。

 ただ、気づけば足が向いていた。


 扉を開けると、先客がいた。


「あ……」


 ピアノの横に立っていた藍原凛が、こちらを振り返る。


「月城くん。来たね」


「……そっちこそ」


 凛は少しだけ笑って、自然に距離を詰めてくる。

 教室より、ほんの少しだけ近い距離。


 それに、玲はもう慣れ始めていた。


「テスト近いのに、ここ来ちゃった」


「集中できない?」


「うん。教室だと……ちょっとね」


 凛はそう言って、肩をすくめる。


「最近さ、周りからずっと言われるんだよね。

 “藍原って頭いいよね”って」


 何気ない口調。

 けれど、その言葉の裏にあるものを、玲は感じ取る。


「期待、ってやつ?」


「……うん。たぶん中学の時のを知られてて」


 凛は窓際に寄り、外を見た。

 その横顔は、教室で見せる完璧な表情より、少しだけ力が抜けている。


「できて当たり前、みたいに言われるとさ。

 失敗できないなって思うこと、増えた」


 玲は何も言わず、椅子に腰掛ける。


 凛はそのまま話を続けた。


「だからかな。月城くんと話してると、変に構えなくていい」


 少しだけ、距離が縮まる。


「……それ、俺でいいのか」


「いいよ」


 即答だった。


 凛は一瞬だけ視線を逸らし、続ける。


「だって月城くんはここでの私の方が私だと思ってくれてそうだし」


 玲は小さく息を吐いた。


「まぁ外部入学だからこれまでを知らないからな」


「それが、安心するんだよ」


 その言葉は、凛自身も理由をはっきり理解していないようだった。


 しばらく沈黙が落ちる。


 やがて凛が、ふと思い出したように言った。


「そういえばさ。前から思ってたんだけど」


「?」


「月城くん、頭いいよね」


 玲は、ほんの一瞬だけ動きを止めた。


「……なんでそう思う」


「授業中」


 凛は即答する。


「先生の説明聞いてるときの目。

 ノートの取り方も、問題解くタイミングも」


 凛は自分でも驚いたように、少し照れた笑いを浮かべた。


「私、結構見てた」


 無意識だった、というような言い方だった。


「他の人より、なんか……落ち着いてるっていうか」


「……そう見えるだけだ」


「それでも」


 凛は首を振る。


「わかる人には、わかるよ」


 玲はそれ以上否定しなかった。


 凛は少し安心したように息を吐き、ピアノの椅子に腰掛ける。


「だからさ」


 凛は、さっきよりも近い距離で言った。


「月城くんの前だと、ちゃんとできる私じゃなくてもいい気がする」


 その言葉は、音楽室の静けさに溶けていく。


 玲は、凛を見た。


 クラスで尊敬される藍原凛。

 期待を背負い、完璧でいようとする藍原凛。


 そして今、目の前にいるのは。


「……無理しなくていいだろ」


 それだけ言う。


 凛は少し驚いた顔をしてから、ふっと笑った。


「そう言ってくれるの、月城くんだけだよ」


 その言葉に、玲は返事をしなかった。



 放課後の廊下は、部活終わりで帰る生徒たちで賑わっていた。


「なあ、藍原って最近さ」


 昇降口付近で、山下が靴箱に体重を預けながら言った。


「ちょっと雰囲気違くね?」


 隣で靴紐を結んでいた加藤が、顔を上げる。


「何が?」


「いや、なんつーか……前より柔らかくなった気がする」


 加藤は少し考えてから、肩をすくめた。


「気のせいじゃね?

 もともと優しいだろ」


「そうだけどさ」


「それか高校生活に慣れたんだろ」


 山下は、校舎の奥をちらりと見る。


「最近、男子と話すとき増えたじゃん。

 クラスのやつらと」


「女子と一緒のときな」


「それでもだよ」


 山下は深くは踏み込まない。

 ただ、何かを引っかけるような言い方だった。


「……あれ、前はなかった気がする」


 加藤はそれ以上追及しなかった。


「でもさ」


 代わりに、ぽつりと続ける。


「誰か特定の男子と仲いい、とかは聞かないな」


「他のやつよりは仲良いと思うんだけど、あんまり近づけないんだよなぁ」


 


 一方、教室では。


「ねえ凛、最近忙しそうじゃない?」


 女子の一人が、軽い調子で聞いた。


「そう?」


「なんかさ、放課後すぐいなくなる日あるじゃん」


 凛は一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに笑う。


「あー、ちょっと用事」


「ふーん」


 深追いはされない。

 凛の言葉は、いつもそれで通ってきた。


 凛自身も、そのやり取りを特別なものだとは思っていない。


 ただ最近、放課後になると少しだけ胸が静かになる場所があって。

 そこへ行く足取りが、自然になっていただけだ。


 その理由を、まだ凛ははっきり言葉にしていなかった。


 旧校舎帰りの渡り廊下。

 夕方の光が差し込む。


 凛は無意識に、前を歩く玲の背中を思い浮かべていた。


「……テスト、どうなるかな」


 小さく呟く。


 周囲の期待。

 完璧でいなければ、という自分。


 それらを一旦置いて話せる相手がいることを、

 凛はまだ“特別”だとは意識していなかった。


 けれど、静かに。


 確実に。


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