prologue
階段を下りた先に待つ、いつもの憎らしい家族。
今日も現実逃避だ、と体の何処かが言っている。
そんな私でも、呼吸ができる時点で有難いと思う。
「おはよう。」
なんていう挨拶も、独り言のように感じるほどに。
確かに、誰かに向けてそれを言ったわけじゃないけれどいつの間にか習慣と化していたのだ。
朝御飯は無理やり詰め込むものだし、顔を洗うための水は冬場のそれですっかり痛い。
お湯が出てくる家が羨ましいな、なんて思考とともに朝のそれを終えた私は、再び自室にこもる。
「ああー!現実辛ーい!」
どうしてこの世界は、こんなにも理不尽なのだろう。
今は九時三十六分だ。
パソコンを使える時間になるまであと二十三分と四十九秒もある。
それまで何をしようか。
好きなアニメの録画を見て暇をつぶそうか。
でもどうせ兄が占領しているだろう。
本を読もうか。
でもどうせすぐに飽きる。
上等だ。
私の暇潰しという道はふさがれているのだ。
そう考えているうちに、時間が過ぎてくれたらいいな。
いつしか叶うものだけど。
だんだんと考え事がまとまらなくなってきて、意識が自分から離れていく気がする。
そしてそれは、ぷつりと切れていった。
朝は早く起きろと言われるけれど、結局準備を終わらせてしまえばまた眠くなってしまうものだ。
多分、これが今最後に思ったことだと思う。
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近くの川だろうか。
鵜の鳴き声が聞こえてきて、私のもとに意識が戻った。
反射的に時計を見れば、短い針が十を指している。
そして気付けばパソコンを取りにリビングへ向かっていた。
今日もしりとりをしたりとか、好きなネット小説を見るのだ。
そしてやっぱり、ネッ友という存在が嬉しい。
リア友が最近憂鬱に感じ始めた私にとって、ネッ友は唯一の救いだった。
赤く通知の灯る画面に、安心感とワクワク感を覚えるようになったのはいつからだろうか。
次々と新作とかお気に入りが更新されたこととかを確認するそれが、私の生きる意味といっても過言ではないだろう。
私の一番のお気に入りは、『lonely』という日記小説だ。
私と同じような心を持つ人が描いているそれは、共感する部分も多くて大好きな作品。
それに、私にだけ年齢を明かしてくれるほどその子とは仲がいい。
いつも私の熱すぎる推し語りを嫌な顔をせずに聞いてくれるし、何より共感してくれる。
好きな歌を勧めてくれて聴いてみたら、私の好みに凄くあっていたりして一緒に居るだけで心が救われた気分になる。
たまに人生が嫌だとか言ってくるのに少し危なっかしさを覚えるけれど、それは私にも共通することだ。
だから、その子のことはネッ友ながら本当に信頼という名のそれだろう。
ちゃんと更新通知が届いているだけで、生存報告的なのができて嬉しいものだ。
今日の日記タイトルは『御免ね。』だった。
意図的に句点をつけているのがまた秀才だと思う。
その時はなんとも思わなかった。
前例も何もなかった中で、それが予測できるなんて可笑しい。
現実逃避のために私はそれをわざわざ大声で朗読するのだ。
今日も必然的に、親たちがうるさいと思うほどに内容を読み上げていった。
「えっと。妹による代筆。日記lonelyの作者、純霊が亡くなったことを申し上げます。読者の皆様には…。」
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言葉が出てこなかった。
そこから先を読んだら、どこかが張り裂けてしまいそうだったから。
自分にとっては数分ほどあった沈黙を破ったのは、私だった。
「嘘…。」
それだけだ。
勿論、ネットなんだものいくらでも嘘は作れる。
でも伏線がちゃんとあったから。
少し前から、害悪ユーザーに悩まされていたというのを日記に書いていた。
ある時は根拠のない違反報告をされていたと言っていたし、ある時は迷惑ユーザーとして名前を晒されていたという。
違反報告をされたのち、停止措置が説かれた時には謝罪文とともに自分が何をしたのか教えてほしいという趣旨の書き込みをしていたのにもかかわらず、返事はないまままた違反と言われてしまったらしい。
そのいくつかの伏線と証拠からこれは間違いでないと考えさせられる内容だった。
ただ、今は絶望の色だ。
母親たちの重圧の中で、泣くことも出来ないままただパソコンの使用時間だけが伸びていく。
そしてその画面は、ぷつんと真っ暗になった。
それで現実に引き戻された私は、大急ぎで他の人の反応を見る。
コメント欄には、他のネッ友たちが悲しむ声が置かれている。
その時、画面の端に赤い光が灯った。
通知が来たようだ。
そんなの開く気にもなれない中、震える手でカーソルを合わせた。
さっきのまるで純霊には見えない文面が忘れられず、私の中でそれは終わったように感じる。
そこには、フォロワーの新作と書かれていた。
タイトルはこうだ。
『ホワイトブーケ』。
そう書かれているそれを、まだ痙攣する手でクリックする。
ホワイトブーケといえば、白い花束。
まさか、と思いつつ私は内容を静かに、しかし確かに読み上げた。
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