第92話 海の戦果と、静かな眠り
ダイヴァーズギルドの扉を押すと、
いつもの潮と紙の匂いが鼻をくすぐった。
人の声。
装備の擦れる音。
それらが、今日は少しだけ――
遠く感じる。
私は、網を引きずりながら受付へ向かった。
♢
「……ミストさん」
カウンターの前で、声をかける。
「依頼、完了しました」
「あ、ナナミさん……!」
ミストが顔を上げ、
すぐに柔らかく微笑んだ。
「確認しますね……」
そう言いながら、
ふと、視線が下へ落ちる。
「……あの」
網と、私の後ろを見て。
「その……引っ張っている網は……?」
「えっと……」
私は、鞄から保存袋を取り出し、
カウンターへ置く。
「まずは、依頼品の《星紡ぎ糸藻》です」
そして。
少し、間を置いて。
「……それと」
網を、軽く持ち上げた。
「道中で遭遇した海魔です」
ミストが、
一瞬、固まった。
♢
「……は?」
低い声が、横から割り込む。
割り込んだ声は副長――ブレイカーだった。
彼は、網の中身を覗き込み――
次の瞬間。
「おいおい……!」
目を見開いた。
「これは……シャイン・レイスじゃねぇか……!」
ギルド内の空気が、
ぴし、と張り詰める。
「……独りで、討伐したのか?」
「はい……」
私は、頷いた。
「採取中に遭遇して……攻撃を仕掛けられたので、やむを得ず……」
一拍、置いて。
「見たことが無かったんですが……危険、ですよね……?」
ブレイカーは、
ゆっくりと息を吐いた。
「珍しすぎて滅多に遭わないが、危険なんてもんじゃねぇよ……!」
声が、低く響く。
「よく……よく、生きて帰ってきてくれたな」
じっと、私の顔を見る。
「今後の為に、どんなモンか説明はしたいところだが……ナナミ、顔色悪いな」
肩に手を置かれる。
「ヤツに魔力……やられたな」
その横で。
受付嬢ミストは――
完全に、顔色を失っていた。
♢
「この死骸と海晶核はな」
ブレイカーが、真剣な表情で言う。
「査定に時間が掛かる」
「特に……その白い核は、な」
彼は、一度だけ私を見てから、
「依頼の報酬だけ、今日は受け取れ。
そして――早く、休め」
その言葉に、
胸の奥が、少し緩んだ。
♢
その間に。
ミストは、既に――
保存袋の中身を確認し終えていた。
「……検品、問題ありません」
報酬袋が、差し出される。
「こちらが、今回の報酬です」
金属音が、小さく鳴った。
金貨1枚と銀貨2枚が置かれる。
「ナナミさん……」
ミストは、ぎゅっと手を握りしめている。
「……無茶、しないで下さいね……
また一緒にお茶したり。お話したいので」
「はい……」
私は、苦笑して頷く。
「本当に、本当に……危なかったので……次は……気をつけます」
♢
ギルドを後にし、
私は、海辺の子ブタ亭へ戻った。
扉を開けると、
潮と木の匂いが、優しく迎えてくれる。
部屋に入った瞬間――
「……疲れたかも」
ぽつりと、零れた。
身体が、
一気に重くなる。
(当然よ)
アストラルの声が、穏やかに響く。
(今日は魔力消耗が激しすぎる
何も考えず……休みなさい)
「……うん」
私は、装備を外し――
そのまま、ベッドへ倒れ込んだ。
♢
瞼が、重い。
意識が、ゆっくりと沈んで微睡んでいく。
深海の闇とは違う――
安全な、暗さ。
最後に浮かんだのは、
淡い蒼の光と――
心配そうな、声。
(……おやすみ、ナナミ)
私は、その声に包まれながら――
深く、ぐっすりと――眠りに落ちた。
──続く
【ナナミのお財布】
金貨39枚
銀貨53枚
銅貨22枚




