第86話 星を紡ぐ依頼
ギルドの中は、朝からざわめいていた。
掲示板の前に立つダイヴァーたち。
依頼書を指差し、話し込む者。
一枚一枚、真剣な表情で紙を追う者。
――私も、その中の一人だった。
(さて……)
私は、ブロンズ級の掲示板の前に立ち、視線を走らせる。
(ナナミ。焦らなくていいわよ)
アストラルの声が、落ち着いた調子で響く。
「うん……分かってる」
深呼吸して、改めて依頼書を見る。
♢
最初に目に飛び込んできたのは――
【暗海域・海魔討伐支援】
〈対象:コロッサル・スクイード〉
内容:シルバー級ダイヴァー討伐隊への随行
主に物資運搬、及び道中に出現する小型海魔への戦闘補助
報酬:金貨三枚
「……」
思わず、息を呑んだ。
「……報酬、多いね」
(ええ。かなりいい条件ね)
「でも……戦闘補助って、具体的に何するんだろう?」
首をかしげる私に、アストラルはすぐ答える。
(ワン・アイドを討伐した時のこと、覚えてる?)
「あ……」
(あの時、アイアン級やブロンズ級の若手が
本命には手を出さず、小型海魔を引き受けていたでしょう)
(シルバー級が魔力と体力を温存して、
決定打に集中するための戦法よ)
「……なるほど」
理解はできた。
できたけれど。
「……行ってみたい気持ちは、あるけど……」
依頼書から、視線を外す。
「初対面の人たちと一緒に、暗海域まで潜るのは……
ちょっと、不安かも」
(そうね)
アストラルは、否定も肯定もしなかった。
(なら――)
少し、間を置いて。
(こちらは、どうかしら?)
♢
アストラルが、別の依頼書を示す。
【素材採取依頼】
〈星紡ぎ糸藻〉
深度:一七五
内容:指定量の採取
用途:婚礼衣装用素材
報酬:金貨一枚、銀貨二枚
「……素材採取……」
先ほどの依頼に比べると、報酬は控えめだ。
「金貨一枚と銀貨二枚……さっきよりは、少ないね」
(ええ。でも)
アストラルの声が、少しだけ弾む。
(この素材――とても綺麗なのよ)
「……?」
(光に当たるとね、星屑みたいにきらきら煌めくの)
(海の暗さの中でしか見られない、美しさ)
私は、依頼書をじっと見つめた。
「……星を、紡ぐ糸……」
(婚礼衣装に使われるくらいだから、特別な意味もあるの)
一生に一度の、晴れの日。
その衣装に使われる素材。
「……」
胸の奥が、少しだけ、くすぐったくなる。
「……見てみたい……」
ぽつりと、こぼれた。
(ふふ)
アストラルが、嬉しそうに笑う。
(ナナミは、そう言うと思ったわ)
私は、依頼書を掲示板から外した。
「……これ、行く!」
決意と一緒に、胸がすっと軽くなる。
戦闘じゃなくていい。
一人で、無理のない深度で。
――星を紡ぐために、潜る。
今日のダイヴは、
きっと、静かで。
でも、忘れられないものになる気がした。
♢
依頼書を手に、私は受付カウンターへ向かった。
「すみません、この依頼を受けたいんですけど……」
差し出した紙に、ミストさんが目を落とす。
「あ……」
一瞬、目を瞬かせてから。
ふっと、表情が和らいだ。
「〈星紡ぎ糸藻〉ですね」
「はい」
「ああ、この素材……」
ミストさんは、どこか嬉しそうに微笑む。
「これ綺麗ですよ。あと海の暗さの中で、ほんの少しの光を受けて……星みたいに輝くそうです」
「……ほんと……」
思わず、声が弾む。
「楽しみです!」
「ふふ」
ミストさんは、書類を取り出しながら続けた。
「ナナミさん、初めての採取ですよね?」
「はい」
「この素材、見た目以上にデリケートでして」
ぴたりと、手が止まる。
「採取の仕方を誤ると、光沢が失われたり、糸がほどけてしまうことがあるんです」
「……!」
「運搬中も、魔力干渉を抑える必要があります」
私は、思わず身を乗り出した。
「……詳しく、聞いてもいいですか?」
「もちろんです」
ミストさんは、丁寧に説明を始めてくれた。
刃の入れ方。
根から切り離すタイミング。
専用の保存袋に収めるまでの手順。
ひとつひとつを、私は逃さないように聞き入った。
「……なるほど……」
「ここまで気をつければ、大丈夫ですよ」
最後に、にこりと笑う。
「ナナミさんにも、ぜひ見てほしい素材です」
「……ありがとうございます」
胸の奥が、きゅっと温かくなる。
こうして。
私は、依頼を正式に受注した。
♢
ギルドを出ると、朝の光が眩しかった。
(準備、ちゃんとしないとね)
「うん」
私は、軽く拳を握る。
――静かなダイヴ。
星を紡ぐための、一本の糸。
そんなイメージを胸に、歩き出した。
♢
――しばらくして。
ギルドの中に、二人の男女が姿を現した。
鍛え上げられた体躯。
使い込まれた装備。
熟練のダイヴァー――
潮騒の宴の、ガンツとルキアだ。
「ミストさん」
ガンツが、低い声で呼びかける。
「……あの依頼の受注者、現れたかい?」
ミストさんは、首を横に振った。
「いえ。報酬は高めですが……やはり暗海域随行となると
……皆さん、二の足を踏んでいるようです」
ルキアは、静かに息を吐いた。
「……二人で行くしかないわ」
「だな」
ガンツは、顔に手を当て――
天を仰ぐ。
「仕方ねぇか……」
苦笑混じりに、呟いた。
「優秀なブロンズ級でも来てくれりゃ、
だいぶ楽だったんだがなぁ……」
短い沈黙。
二人は、視線を交わす。
「ニーナやホープ呼ぶ?」
「いや、アイツら今日はオフだ……」
「ミストさん、済まない……依頼は取り下げる」
そう告げて。
掲示板から、討伐随行の依頼書が外された。
ガンツとルキアは、そのままギルドを後にする。
彼らが知らないところで。
一人の少女が、別の依頼を選び。
別の海へ、向かおうとしていることを――
この時、まだ。
──続く




