第八話 広間の三体、そして
古代遺跡の奥へ進むにつれて、水はひどく冷たくなった。
ナナミの魔力膜を押す水圧は重たく、耳鳴りが微かに響く。
壁にはところどころ古い文様が刻まれ、青白い苔のようなものが淡く輝いていた。
海底とは思えない、奇妙な静けさ。まるで遺跡自体が眠っているかのようだった。
抱えるルミナの金色の光だけが、頼りだった。
「……広い……」
視界がぱっと開けた。
そこは巨大な広間で、天井は高く、崩れた石柱が散乱している。
床には円形の紋様が刻まれていて、そこを中心に水流がゆっくりと渦を巻いていた。
人工の流れ――古代の仕組みがまだ働いているのだろう。
そして、その広間の中央に。
――三つの影。
エイ型の小型海魔が二体。
そして、その後ろに、殻の分厚い巨大なカニのような海魔が一体。
ナナミは息を呑んだ。
「こんなに……」
さすがに正面突破は怖い。
距離はあるが、三体ともナナミの気配に気づきつつある。
何より、後ろにいるカニ型の海魔は存在感が圧倒的だった。
大きさもそうだが――全身から、硬さと重さが伝わってきた。
抱えたルミナが不安そうに光を小さく揺らす。
「……ルミナ……心配してるの?」
返事のように、やわらかい光が一度だけ点滅した。
ナナミは自分の胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……大丈夫。大丈夫だよ。
私……もっと強くならなきゃいけないんだよね。
だって、あなたに……負担ばかりかけてるから」
踏み出す足が震えているのがわかった。
でも、今は引けない。
ここを越えなければ、先へ進めない。
そして何より――ルミナを危険に晒したくない。
(やるなら……まず一体。
動きが速いエイ型を先に、確実に落とす……!)
ナナミはルミナを降ろして深呼吸し、魔力膜にほんの少し魔力を流し込む。
その流れを――渦の流れと合わせる。
水流が、背中を押すように滑らかにつながった。
「いく……!」
――スッ!
ナナミの身体が加速した。
水を切る音はしない。ただ魔力膜が水の抵抗を最小限に抑え、滑るように動く。
エイ型の海魔が反応する前に、距離が一気に縮む。
「はあッ!!
トライデントの三叉が一直線に突き出され、海魔の中心を貫いた。
海魔は短く痙攣し、そのまま広間の床に沈む。
一体目――撃破。
「……っ! まだっ!」
すぐにもう一体が動く。
ナナミに向かって口を開き、海流を巻き込んで突っ込んでくる。
だが――見える。
海魔が動く“0.1秒前”。
水圧がひとつ脈を打ち、渦の流れが少しだけ歪んだ。
(きた……!)
ナナミは滑るように横へ身体を捻る。
エイ型の攻撃は紙一重で空振りし、その勢いのまま背後へ流れる。
すれ違いざまに――
「これで……!」
トライデントの柄を短くし、海魔の腹部へ突きを叩き込む。
三叉が肉を裂き、黒い影が泡を散らしながら沈む。
二体目――撃破。
「はぁっ……はっ……!」
息が荒い。
だが達成感よりも、残る一体の圧が恐ろしいほど強かった。
巨大なカニ型の海魔。
その殻は分厚く、エイ型より遥かに重く鈍い。
しかし、その分――一撃が当たれば終わりだ。
カニ型が大きく鋏を振り上げた。
その一撃が振り下ろされた瞬間、遺跡の床が砕けた。
「……なんて威力……!」
ナナミは反撃に突きを入れるが、殻が固すぎてまるで通らない。
「硬っ……!」
焦りが喉の奥で熱くなる。
「ど、どうすれば……!」
そのとき――背後から、小さく弱い光が触れた。
ルミナだ。
いつもより、光が少し……弱い。
心配そうに震えている
(私が……ルミナに頼ってばっかりだから……
だから……こんな心配させちゃってる……)
ナナミは小さく息を吸った。
「……大丈夫。落ち着けば、見える……!」
カニ型の鋏が迫る。
ナナミはぎりぎりでかわす。
殻は硬い。
だが――動いた瞬間、関節の隙間が一瞬だけ開く。
「そこっ……!」
ナナミは魔力膜を収束させ、脚の関節部分へ全力で突きを叩き込む。
――ガキィィン!!
鋭い音が響き、海魔が大きく仰け反った。
隙ができた。
「えぇぇいッ!!」
今度は胸部の合わせ目へ突きを突き立てる。
三叉が深く沈み、海魔が激しく痙攣した。
殻が割れ、黒い体液が散る。
巨大なカニ型海魔はゆっくりと崩れた。
三体目――撃破。
「……っ、はぁ……はぁ……!」
ナナミはその場に膝をつきそうになった。
腕は震え、心臓が耳の奥で暴れるように鼓動している。
そんなナナミの肩へ、そっと金色の光が触れた。
「ルミナ……」
温かい。
優しい。
でも――
「……また、少し……小さくなってる……」
ルミナは明滅で「問題ないよ」と伝えようとするかのように光る。
しかし、ナナミの胸の奥は締め付けられるように痛んだ。
「ごめん……。
私が弱いから……あなたに頼ってばっかりだから……」
自分の手を見る。
震えている。
でも、その震えは悔しさだけじゃない。
――越えた。
――自分一人で、三体倒せた。
――成長してる。
その実感があった。
「……もっと強くなるよ。
あなたを守れるくらい……ちゃんと」
ルミナがやわらかく光る。
まるで嬉しそうに。
ナナミは深く息を吸い、三体の海魔の残骸が転がる広間を見渡した。辺りには海晶核が散らばっている。
「……終わった、よね……?」
そのときだった。
――ゴゴゴゴッ……!
空間そのものがうねるような、鈍い震動。
遺跡の床に敷かれた円形紋様がかすかに光り、水流が不自然に逆巻き始める。
「な、なに……?」
ナナミが身構えたその瞬間、
広間の奥――暗い裂け目のような通路から、
ドンッ!!
巨大な影が飛び出した。
「っ……!」
四体目の海魔。
さっき倒したカニよりひとまわり大きい――
それに明らかに攻撃的に見えるカニ型の海魔が新たに現れる。
「ま、まだ来るの……!?」
構え直そうとした――その時だ。
壁の闇が、ゆっくりと形を作るように動いた。
蛇のように細長い影。
いや、蛇より太く、長く、重い。
洞窟の暗がりで光を吸い込みながら、ヌルリ――と姿を現した。
とてもとても巨大なウツボだった。
濁った黄色の眼が光り、口を開くと鋭い牙がびっしり並ぶ。
その顎には、今さっき現れたカニ型海魔がちょうど収まるほどの大きさがあった。
「うそっ……!」
ウツボは、一度も迷わなかった。
カニ型海魔が威嚇のため鋏を振り上げた――その瞬間。
――ガブッ!!
ウツボの顎が振り下ろされ、
硬い殻ごと、カニ型海魔の上半分を噛み砕いた。
バキバキバキッ……!
水中に響く生々しい破砕音。
黒い体液がぶわっと広がり、泡が血のように弾けた。
「……っ……!」
ナナミの背筋を、氷の刃が走る。
――私があんなに苦戦したあいつを、一瞬で……。
ウツボはゆっくりとナナミの方へ向き直る。
濁った目が獲物を見定めるように細められ、
その巨体全体から、ゆっくりと――殺気が滲み出た。
ルミナがナナミの肩で小さく震える。
光がわずかに弱まっている。
「ルミナ……」
ウツボは広間全体を満たすほどの咆哮をあげた。
――グォォォォォオオオ!!
水が激しく揺れ、遺跡の柱が何本も震える。
ナナミは本能的に悟った。
(……やばい。
さっきまでの敵とは……比べものにならない……!)
ウツボは身体をくねらせ、
ナナミ目掛けて――突進態勢に入る。
ナナミは喉が張り付いたように息を呑んだ。
「……来る……!」
巨大ウツボの影が一気に迫る――。
そして、広間は衝突の直前で暗転する
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