第64話 砕けぬ鱗、孤独な深度
スケイル・フィッシュが、低く唸った。
ブォォォォ……
水そのものが震えるような、重たい咆哮。
音というより、圧が直接身体を叩いてくる。
「……大きい……」
ナナミの視界いっぱいに広がる魚影。
胴体は、鉱石を食い続けた結果なのか──
岩の塊を無理やり魚の形にしたような、異様な姿だった。
鱗は一枚一枚が不揃いで、
それでいて隙なく噛み合い、装甲のように重なっている。
(気をつけて)
アストラルの声が、わずかに硬くなる。
(あの鱗……防御が異常に高いわ)
「……試してみる」
ナナミは、距離を詰めた。
ブルーランスに魔力を巡らせ、
狙いやすい胴体中央へ、鋭い突きを放つ。
「──っ!」
ギィンッ!!
甲高い金属音が、水中に響いた。
次の瞬間、強烈な反動。
槍が弾かれ、腕が痺れる。
「……っ、硬い……!」
(想定以上ね)
アストラルの声は冷静だった。
(表層の鱗が、ほぼ鎧)
(正面からの突きじゃ、通らない)
スケイル・フィッシュは、悠然と身を揺らす。
効いていない。
次の瞬間、
巨大な尾が、横薙ぎに振るわれた。
「──くっ!」
ナナミは慌てて距離を取る。
尾が通った後、海流が乱れ、身体を押し流す。
水圧と衝撃が重なり、肺がきしむ。
(幸い……まだ魔力はあるけど……)
その時だった。
スケイル・フィッシュが、再び口を開く。
今度は、明確な咆哮。
ゴォォォ……!!
低く、長い振動が、藍の海へと広がっていく。
「……なに……?」
嫌な予感が、背筋を撫でた。
闇の向こう。
影が、増えていく。
「……っ、シェード・フィッシュ……!」
一体、二体──
三、四……五体。
黒い魚影が、音に引き寄せられるように集まってくる。
(……呼び寄せ能力ね)
アストラルが即座に判断する。
(数で削るつもり)
(単独だと、かなり厄介よ)
スケイル・フィッシュは、動かない。
まるで王が玉座に座るように、中央に陣取ったまま。
代わりに、
シェード・フィッシュたちが、一斉に襲いかかってくる。
「……っ!」
ナナミは、迎撃に転じた。
突く。
払う。
間合いを詰め、また引く。
一匹目を突き落とし、
二匹目を払って裂く。
三匹目は背後から──
「……そこ!」
身体をひねり、反射的に突き返す。
影が散る。
だが、息を整える暇はない。
四匹目、五匹目が、同時に距離を詰めてくる。
(落ち着いて)
アストラルの声が、静かに支える。
(動きは単純)
(流れを読むのよ)
ナナミは、魔力を循環させる。
溜めない。
流し続ける。
脚、体幹、腕へと均等に。
「──っ!」
踏み込み、回転。
ブルーランスが円を描き、影を断つ。
最後の一匹が、抵抗する間もなく沈んでいった。
周囲に、再び静寂が戻る。
「……はぁ……」
ナナミは、ゆっくりと息を吐いた。
(……処理は、できる)
けれど、確実に削られている。
深度165。
動くたび、魔力と体力がじわじわと奪われていく。
「……このままじゃ……」
(焦らないで)
アストラルの声が、ナナミを引き戻す。
(敵は“硬い”けれど、不死身じゃない)
(必ず、崩せる場所がある)
「……どこ……?」
ナナミは、スケイル・フィッシュを見据える。
岩のような鱗。
だが、完全ではない。
鰓の付け根。
動くたび、わずかに鱗がずれる部分。
(……あそこ)
だが、問題は明白だった。
近づけば、
また小型海魔を呼ばれる可能性が高い。
深度165。
撤退という選択肢が、脳裏をよぎる。
それでも──
(ナナミ)
アストラルの声が、静かに、しかし強く響いた。
(防御を崩すには、守りに回り続けちゃダメ)
(ここからは……攻勢よ)
「……っ」
ナナミは、ブルーランスを強く握り直す。
胸の奥で、
訓練で叩き込まれた感覚が、はっきりと蘇る。
まだ、魔力は残っている。
身体も、動く。
深度100を超える海は、確かに厳しい。
でも──
ここで、引くわけにはいかない。
ナナミは、一歩、前へ踏み出した。
蒼の槍を掲げ、
“守り”から“攻め”へと切り替える。
次の一手を、
自分で選ぶために。
──続く。




