閑話 エクセイルの苛立ち
今回はナナミを追放した元上司のエクセイル視点です。
ナナミが追放された翌朝、アクア・ヘイブンの空気は妙に静かだった。
本来なら朝一番の作業音が響き、走る作業員の声が交差している時間帯。だが今日は、海を見つめる者たちのざわめきが遠く薄く続くだけだ。
昨夜、海域の観測班が「渦の反応」を記録した──その噂は、船上都市全体を不安で染めていた。
そんな中、エクセイルはいつもの軽い足取りではなく、重い靴音を響かせながら現場へ向かっていた。
「……まったく、厄介な朝だ」
不機嫌そうに額へ手を当てる。
アビスリフトなど本来この海域には発生しない。海底地形が安定しているため、深層魔力の噴出が起こりにくいと言われている。
それでも観測班が反応を記録した以上、確認しないわけにはいかない。
桟橋の端へ近づくと、先に到着していた部下が振り返った。
「エクセイル隊長! 状況を報告します」
「簡潔に」
「はい。昨夜未明、アクア・ヘイブンの外縁、南側の海域にてアビスリフト反応を観測。規模は“小~中”の間ですが……」
言葉を濁す。
「“発生位置”が例外的です」
それはエクセイルも既に気づいていた。
近すぎる。こんな場所で発生するのは聞いたことがない。
「住民の転落者は?」
「……今のところ、報告はゼロです。ただ──」
部下の視線が、崩れた桟橋の端へ向かう。
「これを見てください」
エクセイルは歩み寄り、無残に割れた桟橋の板を見下ろした。
そこには黒焦げの跡のような、魔力の痕がわずかに残っていた。
そして──
「……足跡だな」
桟橋の湿った木板に、女性のものと思われる小さな足跡がいくつも残っていた。
深さの違う跡が乱れている。
走って、逃げて、滑って──
最後は、海へ向かって消えているように見えた。
さらに視線をずらすと、荷物が散乱していた。
ポーチ、ノート、薄い布袋。紐のついたピンク色の水筒。中身は水に濡れてぐしゃりと膨れ、いくつかは桟橋の外へこぼれ落ちていた。
そのどれもが、エクセイルには見覚えのある物だった。
(……ナナミの、か)
昨日、雑務係として役立たずだと判断し、我がバニッシュより正式に追放を言い渡した少女。
涙を浮かべ泣きそうになっていた瞳、そして立ち去った小さな背中。
今、その痕跡が海へ続いている。
「転落した可能性が……?」
「……わからん」
エクセイルは静かに答えた。
わからない──だが、“足跡は一人分”、そして“荷物は彼女の物”。
この二つが意味することは明白だった。
部下が言いにくそうに続けた。
「アビスリフトへ落下した場合……もし誰かがいたなら、救助は……」
「言うな」
短く切る。
アビスリフトに呑まれた者は帰らない。
根拠のある常識だ。
だがエクセイルは、胸の奥に不快なざらつきを覚えていた。
後悔ではない。
ただ──“気になる”。
「事故死……で処理するのが妥当、か。だが」
この痕跡は――誰かが抵抗する間もなく、何かに“引きずり込まれた”ように見える。
自然現象にしては、あまりに不自然だ。
エクセイルは沈んだ海面を見つめる。
今はもう落ち着いている波がわずかにうねり、海に昨夜の痕跡はほとんど残っていない。
静かに、冷淡に、彼は言った。
「……足跡を記録し荷物を回収しろ。」
喉の奥で言葉が止まる。
昨夜の渦。ナナミの失踪。足跡の途切れ。
散乱した荷物。
これらが“偶然”で片付くなら、それでいい。
そう考えようとするほど、違和感の輪郭が濃くなる。
エクセイルは苛立たしげに髪をかき上げた。
「生きている……? いや、ありえん」
だが、否定する速度が速すぎた。
その反動のように、不吉な予感が胸の奥に沈む。
アビスリフトに呑まれた者は、二度と浮上しない。
それがこの都市の常識であり理だ。過去に一度たりとも例外は無い。
……なのに。
「もし、仮にだ。もし生き延びていたとしたら――」
言いかけて、もう一度かぶりを振る。
「あの女に、そんな力はない。はずだ」
最後の一語だけ、奇妙に弱くなった。
崩れた桟橋を見下ろす彼の表情には、後悔など欠片もない。
ただ、“理屈では説明できない厭な予感”だけが、深海の冷たさのようにじわりと背筋を撫でていった。
♢
キャラクター紹介
名前:エクセイル・フォルド
性別:男性
年齢:28歳
経歴:バニッシュ所属の潜海師〈ダイヴァー〉隊長
海魔討伐クラン〈海神〉の下部組織〈バニッシュ〉のリーダー兼隊長
魔力量が多くダイヴァーとして一線を画す技能を持つ。
そのためバニッシュのリーダーとして抜擢された。
自身の能力は高いが、他者にも厳しい。
明日も20時更新です!
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