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アビス・グランブルー 〜クラン追放された最底辺ダイヴァー、わたしはやめたくなかった〜  作者: ロートシルト@アビス・グランブルー、第四章も毎日20時更新!
第四章 居場所

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第六十話 揺れる心と、変わらない優しさ

 紅茶の湯気が、ゆっくりと天井へ昇っていく。


 ニーナの

「来てくれたら、私嬉しい」

という言葉が、まだ胸の奥に残る。


 けれど──

 ナナミは、すぐに答えを返すことができなかった。


「……ごめんなさい」


 声は小さく、でも逃げなかった。


「今は……決められなくて……」


 ニーナは、驚いた様子も見せず、ただ静かに頷いた。


「うん」


 それだけだった。


 責めるでも、急かすでもない。

 その沈黙に背中を押され、ナナミは言葉を続ける。


「……ニーナさん、前に……覚えてますか?

 ギガント・ホエールで……バニッシュと会った時」


 ニーナの表情が、少しだけ引き締まる。


「覚えてるよ」


 夕焼けの海。

 ダインの声。

 肩を掴まれた感触。


 思い出すだけで、胸の奥がきゅっと縮む。


「……あの時、みなさんに話しましたけど……」

「頭では……もう大丈夫だって思ってても……」


 ナナミは、カップの縁を指でなぞった。


「クランって聞くと……」

「また、ああなるんじゃないかって……」


 声が、わずかに揺れる。


「役に立たないって言われて……怖くなって……」


 癒えきってはいない“感覚”だけが、今も残っている。


 ニーナは、遮らずに聞いていた。


「……正直に話してくれて、ありがとう」


 そう言ってから、にこっと笑う。


「じゃあさ」

「今日は、その答え、聞かなくていいね」


「……え?」


「無理に誘うのはしない」


 あまりにもあっさりしていて、ナナミは目を瞬かせた。


「だってさ」

「ナナミちゃんが怖いまま入るクランなんて、意味ないもん」


 その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。


 ニーナは、ふと話題を変えた。


「そういえばさ」

「さっき宿屋で見たフロート・カニ」


「あ……うん」


「前に一緒に潜った時、言ってたよね」

「宿の人たちにお礼したい、連れて帰りたいって」


 ナナミは、小さく頷いた。


「あの時さ、自分の依頼でも報酬でもないのに……ナナミちゃん、迷わなかった」


 ニーナは、少し照れたように笑う。


「ナナミちゃんの、そういうところ……私は、すごく好き」


 胸の奥が、きゅっと鳴った。


「人のために動けるダイヴァーってね、簡単そうで……なかなか出来ないんだよ」


 ニーナは、まっすぐナナミを見る。


「だから私は、ナナミちゃんに来てほしいって思った」


 それ以上、クランの話はしなかった。


 その“引き際”が、ナナミの心を強く揺らした。


 * * *


 喫茶店を出たあと、二人は店先で別れた。


「また、一緒に潜ろうね!それだけは、約束!」


「……はい」


 夕暮れの街を歩きながら、

 ナナミは胸元の金色の石が入った子袋をそっと抱えた。


「ルミナ……アストラル……わたしどうしたらいいのかな……」


(ふふ。ニーナはナナミの事、とても気に入っているようね)


* * *


 宿に戻り、部屋で静かに目を閉じる。


(ナナミ、少し魔力を巡らせましょう)


「うん……やってみる」


 アストラルとともに行う、ゆっくりとした魔力循環の訓練。

 呼吸に合わせ、魔力が身体をなぞる。


(怖さが残るのは、弱さじゃない)

(それでも向き合おうとしている。それが強さよ)


 その言葉に、ナナミは小さく頷いた。


「アストラルがいるお陰で……わたしは心も少しずつ強くなれてる。ありがとう」


 髪飾りに宿る女性の、微笑んだ小さな声が聞こえた。


 

 * * *


 

 夕食の時間。


 食堂には、香ばしい匂いが満ちていた。


 白身魚の香草焼き。

 貝と野菜の濃厚スープ。

 木の実が入った焼きたてのパン。


「いっぱい食べてね」


 ダイアンが、にこやかに言う。


「ナナミちゃんが連れてきてくれたフロート・カニね」

「フレデリカもテリィも、ずっと水槽にべったりなのよ」


「それにね……カニを見に来るついでに食事するお客さんも増えたの」


 厨房では、スコットが黙々と皿を仕上げていたが、

 ふと手を止め、一言だけ。


「……ありがとう」


 それだけで、十分だった。


 胸が、じんわりと温かくなる。


「……よかった」


 料理は、どれも優しい味がした。


 今日もまた、誰かの役に立てた。

 それが、何より嬉しかった。


(……ひとりじゃない)


 まだ答えは出ていない。

 でも──


 ナナミの心は、確かに“前より少し軽く”なっていた。


──続く。

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