第五十八話 黒藍の秘密
潮風に揺れる看板をくぐり、ナナミはそっと扉を押した。
チリン──と小さな鈴が鳴り、
油と金属と、海藻繊維の落ち着いた香りが迎えてくれる。
「いらっしゃい──あら、可愛い子。また来てくれたのね」
聞き覚えのある艶めいた声。
奥の作業台から振り返ったその人を見て、ナナミは思わず足を止めた。
「フィアスさん……?」
以前と変わらぬ金髪、深藍色のスーツ。
だが──大きく違う。
以前着用していた右眼の眼帯が、ない。
そして露わになったその瞳は──
左は海の浅瀬のような澄んだ青。
右は深海を思わせる、濃く沈んだ黒藍。
オッドアイだ。
「えっ……フィアスさん……その、目……?
眼帯、どうしたんですか……?その瞳……すごく綺麗……」
ナナミの声は驚きと戸惑いで揺れていた。
フィアスは唇に艶やかな笑みを浮かべ、指先で右目を軽くなぞった。
「ふふ……ヒミツよ」
「ひ、秘密……?」
「ええ。まぁ、いつか話してもいいかもしれないけれど……今日はまだね」
軽く煙に巻くような調子。
しかし、あの瞳には確かに“生命”と“魔力”が宿っている気がして──
ナナミは言葉を失った。
(あの眼……’’義眼’’ね)
脳裏に流れるアストラルの声にナナミはハッとなるが、フィアスの声で正常になる。
「それで?また可愛い子が一人で来るなんて、今日はどうしたの?」
「あ、それが……!」
ナナミは胸を張って言う。
「ワン・アイドの撃退戦に参加しました!」
フィアスの動きがぴたりと止まる。
「あら……あの厄介なネームド海魔の? こないだ装備買ったばかりのルーキーのあなたが?」
「はい! 潮騒の宴のみなさんと一緒で……グレイスさん、大きなハープーンで眼を貫いて──!」
「……ふぅん」
フィアスの片眉が上がり、興味深そうにナナミを舐めるように観察する。
「よく見たら、もうブロンズ級なのね。
ますます可愛いだけじゃなくて強いじゃない、あなた」
「そ、そんな……!」
(ナナミ、照れてる場合じゃないわよ。話を続けなさい)
「アストラル……う、うん!」
ナナミは気を取り直し、真正面からフィアスを見る。
「その……ワン・アイドの戦いを観て思ったんです。
いずれ、もっと強い武器が必要になるかもしれないって……」
フィアスは腕を組み、頷く。
「そうね。光海帯だけなら今のスピアーランスで十分。
でもその先、暗海域を目指すなら……もっと“深い光”が必要になるわ」
彼女は歩いてショーケースの前に立つ。
並んでいるのは見事な槍やトライデント。どれも魔力導管が複雑に走っている。
「このあたりね。
暗海域クラスの武器……金貨50枚。
こっちは70枚」
「──っ」
ナナミは青くなる。
(高いわね……ナナミ。今の金額じゃ厳しいわ)
「うぅ……アストラル……」
フィアスは苦笑しつつ指先を踊らせた。
「素材を持ち込めば、少しは安くしてあげられるわよ?
可愛い子には特別にね」
「素材……!」
ナナミは慌ててゴソゴソ鞄をあさり、マリモで採掘した青鉱石を取り出す。
「これ、使えますか?」
フィアスは受け取ると、光に透かして微笑んだ。
「青鉱石ね。悪くないわ。
これ単独では武器には出来ないけれど──」
トン、とナナミのスピアーランスの柄を指で叩く。
「今あなたが使ってるランスを“補強”することならできる。
費用は……金貨1枚。今預かれば明日の朝には出来るわ」
「お願いします!!」
(即決ね。いい判断よ、ナナミ)
フィアスがナナミから受け取ったスピアーランスを作業台へ運ぼうとしたそのとき──
(ナナミ、ちょっと待って。
海晶核も武器の素材になるわよ。
深海層の海晶核……まだ持ってるわね)
「え……でも……あれは……!」
(隠しておくのはいいけれど、
“この店主なら扱える”。私はそう思う)
ナナミは唇をぎゅっと噛む。
「……フィアスさん」
「なぁに?」
「その……ひとつ、見てもらいたいものがあって……」
ナナミは震える手でポーチを開き、
深海層の──黒藍に脈打つ海晶核をひとつ、そっと置いた。
作業台の光が一瞬、かき消されるほどの濃い輝き。
フィアスの呼吸が止まった。
「………………」
瞳が、大きく見開かれる。
普段の妖艶な女主人ではなく、かつて海を渡り歩いた“本物のダイヴァー”の顔。
「これ……あなた……どこで……?」
声は震えていた。
フィアスの右眼──、光を受けて小さく脈動する。
フィアスの喉が、ごくりと鳴った。
「……深海級……純度……この跳ねる魔力……
本物……しかもこれ……」
「……先日のものと同じ。貴女だったの」
最後のフィアスの言葉は小さく掠れ、ナナミは聞き取れなかった。
ナナミはおずおずと聞く。
「これで……なんか……武器、作れませんか……?」
フィアスは、言葉を失ったように震えながら、ゆっくりと口角を上げた。
「──可愛い子」
「は、はい……!」
「あなた……本当に……とんでもない子ね……」
右目の黒藍光が、静かにきらめく。
フィアスは息を呑んで、ゆっくり首を振る。
「私なら扱うことができるわ──けれども“核”だけでは作れないわ」
「え……」
「この魔力は強すぎる。スピアーランスでは耐えきれない。
受け止める“器”が必要なの。
白銀鉱……できれば高純度のものが」
そして、フィアスは優しく微笑んだ。
「でもね。あなたが本気で望むなら──
私が必ず形にしてあげる。
だから……あなたの武器も、きっと造れるわ」
ナナミの胸に、熱いものが込み上げる。
「白銀鉱……必ず探してきます……!」
「ええ。可愛い子。待ってるわ」
その声は、深海の静けさのようにあたたかかった。
──次回へ続く。
【ナナミのお財布】
金貨24枚
銀貨24枚




