第六話 ナナミの成長
どれほど歩いただろう。
深海の底を進むだけで、常に背後では巨大な影が蠢き、遠くで鈍い衝突音が水を震わせる。海魔たちの咆哮は音にならず、圧となって骨を揺らす。
時折、小型の海魔が物陰から飛び出すが、ルミナの協力もあり何とか対処し続けた。
(早く……脱出方法を見つけなきゃ。でないと……ルミナが)
焦りと恐怖が胸に刺さる。だが歩みは止めない。止めたら終わる。
「この先……行けるのかな……?」
独り言のように漏れた声に、ルミナがふわりと前へ。
ゆっくり、しかし迷いなく先へ進むよう促す。
その時だった。
――ゴウン……。
深海には似つかわしくない“低い共鳴音”が、足元から伝わってきた。
「……え?」
海底の砂がわずかに揺れ、視界の奥――闇の向こうに、何かがあった。
暗闇の中に、規則的な“線”が浮かぶ。
自然物ではない。人工の、刻まれた文様。
「これって……建物……?」
ナナミは息を呑む。
海底の崖の縁に、半ば埋もれるようにして巨大な石造りの構造物が口を開けていた。
柱には見たことのない古い文字。壁には海藻が絡んでいるが、崩れてもなお威厳がある。
これは――昔語りにしか出てこないはずの、“古代文明”の痕跡。
こんな深海に存在するなど、誰も信じない。
世界にもアクア・ヘイブンにも記録はない。
あったとしても、調査隊は生きて帰れない。
ナナミの鼓動が跳ねる。
「ねぇ……ルミナ。もしかして……ここに何かあるの……?」
ルミナは、金色の光を大きく明滅させた。
今まででいちばん――はっきりとした“YES”。
まるで、ここを目指していたと言わんばかりの力強さで。
崩れた門の向こうは暗く、何が潜むか分からない。
だが同時に、ナナミにとって何ががある可能性のある場所でもあった。
深海の闇の中で、ナナミはごくりと喉を鳴らす。
「……行こう。ルミナ。
ここなら……何か、見つかるかもしれない――」
ルミナが柔らかな光を返す。
二人の影が、古代遺跡の闇へと吸い込まれていった。
◆
中は、外よりも静かだった。
水音すら吸い込むような静寂。石柱は崩れ、壁には古い魔術紋のような刻みが走っている。
ナナミは息を潜めて進むが――
――“音がない”。
それが逆に不気味だった。
「……ルミナ、何か感じる?」
返事の光が揺れた、一瞬。
そのときだった。
――ザバァッ!!
真横の暗がりから、水流が“逆流”した。
「っ……!」
反射で体が動く。わずかに身を引いたその場所を、黒い影が唸りを上げて通り抜けた。
エイ型の海魔。
扁平な巨体が水を切り裂き、円盤のような歯を開いて再び迫る。
――早い!
頭で考える余裕なんてない。
(でも……見える……!)
水が揺れた。
ほんの一瞬、海魔が動く“前”に水圧が変わり、微かな渦が肌を撫でた。
次の瞬間、ナナミは自然と動いていた。
魔力膜に流れる魔力がきゅっと締まり、水流に沿って身体が滑る。
海魔の噛みつきが紙一重で空を切った。
「はぁっ、はぁっ……っ!」
自分でも驚くほどの反応だった。
だがエイ型は逃さない。真後ろから再び迫る。
――そのとき。
ルミナが動く。
「ルミナ、だめ! 近づかないで!」
止めるよりも早く、エイ型はルミナの動きに反応し、標的を切り替えた。
その大きな口が、ルミナへ開く。
「いやっ……来ないで!!」
ナナミの足が勝手に動いた。
守らなきゃ――その一心で、トライデントを構える。
海魔が加速する。
水圧が弾けた瞬間――
「うああああっ!!」
ナナミは水流の“隙間”へ身体を滑り込ませ、すれ違いざまに突き出す。
――ガシュッ!!!
三叉が海魔の口元に深く突き刺さった。
エイ型は大きく痙攣し、軌道を乱し、そのまま遺跡の石壁へ激突する。
砂と石片が舞い、巨体はゆっくりと沈んでいった。そして海晶核を吐き出す。
「ぜ……はぁっ……!」
腕が震える。足も震えていた。
だけど――倒した。
ナナミの肩に、金色の光がそっと触れた。
「ルミナ……ごめん。危なかった……守れた……よかった……」
光がやわらかく明滅する。
それはまるで「ありがとう」と言っているようだった。
「ルミナに守られるばかりじゃなくって、守りたい」
ナナミはルミナを抱えて撫でる。
抱えたルミナは僅かに発光して暖かかった。そしてナナミの成長を喜んでくれているようにも見えた気がした。
ナナミは息を整えながら、エイ型海魔がいた奥を見つめる。
――そこには、崩れた石柱の向こうに
“人の手が作った形の扉”
が半ば埋もれて輝いていた。
「……これって……遺跡の、本当の入口?」
ルミナが静かに光る。
YESだ、と言っているように。
ナナミはトライデントを握り直し、前へ一歩踏み出した。
「行こう。きっと……ここに、生き延びるための何かがある」
金色の光と少女の影が、古代遺跡の深奥へゆっくりと消えていった――。
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