第五十二話 前線と後方、ふたつの戦場
黒い触手がゆらぎ、海流に呑まれたように視界が陰った。
大規模な戦いの中心──シルバー級がワン・アイドへ突撃したことで、大部分の海魔が前方に引き寄せられていく。
だが後方には、まだ小型海魔が散開していた。
「ナナミ、右に三体来る!」
「任せて!」
ナナミはアームガードで突進を受け流し、スピアーランスで的確に二体貫く。
ニーナがその隙に背後の一体を切り裂き、撃破する。
「ホープさん、左にサージ!」
「見えてる!」
ホープさんの両手槍が水を裂き──突進してきたサージ・オッターを迎撃するように突き刺さった。
「よし……この辺の小型はあと少しだ!」
◆
だが反対側では──アイアン級ダイヴァーが徐々に押され始めていた。
「うっ……! 毒が……っ」
「くっそ、数が多い……!」
オーガ・カサゴが群れで襲いかかり、視界を乱すシェード・フィッシュが間断なく突進する。
彼らは懸命に応戦していたが、徐々に魔力を消耗、また少なくないダメージを負っていた。
その時──後方から再び、指揮が響く。
『負傷者は無理せず撤退しろ!
治療班が船で待機してる!戻って手当を受けろ!!』
アッシュさんの力強い指示だった。
「で、でも……!俺はまだ……!」
「無理だ!止血が追いついてねぇぞ!」
「ぐっ……すみません……っ!」
不本意そうな表情のまま、数名のアイアン級が撤退のため浮上していく。
「撤退する人は気をつけて!」
「上まで持ちこたえて!」
ナナミたちは周囲を警戒しながら、撤退者の周囲を固めて守った。
(……大丈夫、落ち着いて……私たちが守る……!)
◆
一方その頃、前線では。
「アイアン級の女の子でも頑張ってるなら……俺だって……!!」
「負けてられるかよ……!ネーレウスクランの底力ってやつ、見せてやる!!」
ブロンズ級のネーレウスクラン所属の若手たちが、負傷者が下がったあとも踏みとどまり戦っていた。
その姿を見て、少し後方から戦況を見ていたグレイスが静かに目を細める。
(ナナミちゃん……来てくれてよかった。
あの子、もうアイアン級の枠には収まらないわね……)
以前なら無理をしていた彼らが、仲間の撤退を尊重しつつも“自分の戦い”を見失っていない。
その変化を目にし、ほんの少しだけ胸が温かくなる。
「グレイス、行くぞ!」
バルバスが呼ぶ。
その横にはアッシュも構えていた。
「ええ!」
三人は一気に加速し、ワン・アイドへ突撃していく。
◆
やがて──小型海魔の姿はほとんど消え失せていた。
「よし……!殲滅できた……!」
ナナミは大きく息を吸い直した。
視界が開け、遠くで戦うシルバー級の姿がはっきり映る。
「せいッ!!」
シルバー級のダイヴァーがワン・アイドの触手を斬りつける。
だが──刃が弾かれ、火花のように水泡が散った。
「なんだこりゃ……岩みてぇだ……っ!!」
「皮膚が……硬すぎる……ッ!」
攻撃が通らない。
次の瞬間、ワン・アイドの巨大な触手が横一閃に振り払われた。
「わ──!」
「危ない!!」
仲間に向かう触手。
その軌道へ、ガンツが身体を投げ込むように突入した。
「うおおおおおッ!!」
アームガードに魔力を纏わせ、全身で受け止める。
──だが。
ギィィィィンッ!!
轟音と共にガンツの身体ごと水が弾け飛び、海中を大きく後退させられた。
「ガンツさん!!」
「……っぐ……っ、なんて……威力だ……!」
吹き飛ばされたが、身体は無事。
しかしその衝撃は、確かに“格”が違った。
◆
その時。
「……あっ!」
ナナミは、遠くの戦線に視線を向けていた。
そこでは──
バルバスとアッシュが、同時にワン・アイドへ攻撃を仕掛けようと加速しているところだった。
巨大な海魔へ向かっていくふたりの背中。
海が震えるほどの衝突が──始まろうとしていた。
──続く。




