第四十六話 嵐の前の静けさ
──まぶたに、ほんのり暖かい光が触れた。
目を開けると、小さな窓から差し込む朝日が、部屋を淡く照らしている。
「……んっ……朝だ……」
海辺の子ブタ亭に泊まって五日目。
今日で、予約していた連泊は終わりだった。
でも──
(……なんか……思った以上に、居心地がよすぎる……)
部屋はあったかいし、スコットさんのご飯はおいしいし、テリィは可愛い。
ダイアンさんも優しくて、ここにいると胸の奥がふわっと楽になる。
「……もうちょっとだけ、いたいな……」
そう思った瞬間には、次の連泊を決めていた。
◆
荷物をまとめて一階へ下りると、フロントの前でしゃがみ込んでいる影が二つ。
「テリィ、見て見て!こっち来たよ!」
「フレデリカおねえちゃん、あっちにも泡いっぱいだよ!」
ふたりとも、水槽にぴったり張り付いている。
その視線の先には──
ぷくぷく泡を吐きながら、のそのそ歩き回るフロート・カニが二匹。
昨日、私が持ち込んだ二匹目のフロート・カニが早速仲良くなったみたいで、
水草の影から追いかけっこのようにふよふよ泳ぎ出ては、
ぷくっ……ぷくぷくぷく〜。
楽しそうに泡を弾ませていた。
「……かわいい……」
「ナナミおねえちゃん!おはよう!」
テリィが嬉しそうに振り向く。
「見て!この子たちね、朝からずっと仲良しなの!
ほら、こうやって一緒に浮かぶの!」
ふわぁ〜っと二匹が同時に浮上する。
そのたびに水面がきらきら揺れて、なんだかとても癒される。
「ほんとだ……よかったぁ。寂しくなさそうで」
「んふふ、ナナミおねえちゃんのおかげだよ!」
フレデリカが照れくさそうに笑った。
◆
カウンターの奥から、宿屋の女主人・ダイアンさんが顔を出す。
「ナナミちゃん、おはよう。今日はチェックアウトの日だったわね」
「あっ、その……あの……」
言葉を探しながら、私は手のひらの中の金貨を握りしめる。
「もう少しだけ……ここに泊まりたくて。
あの、すごく居心地よくて……。
もし大丈夫だったら……もう5泊、お願いします!」
ダイアンさんはふっと優しく微笑み、両手で金貨を受け取った。
「もちろんよ。歓迎するわ、ナナミちゃん。
あなたがいてくれると、この宿も明るくなるもの」
「そ、そんな……!でも、嬉しいです……!」
胸の奥があったかくなる。
◆
「さて、朝食食べていくでしょう?」
「はい!」
食堂に入ると、もう良い匂いが広がっていた。
スコットさんが大鍋をかき混ぜながら、無言で軽く会釈してくれる。
テーブルに運ばれてきたのは──
ふわふわの貝だしスープと、表面がカリッと焼けた海藻パン。
「いただきます……!」
ひと口食べただけで、優しい旨味が舌いっぱいに広がった。
「……おいしっ……!」
朝から幸せが押し寄せる。
◆
(ナナミ、今日も潜るのかしら?)
髪飾りのアストラルが問いかけるように揺れた。
そこには、昨晩一緒にいたメンバーはいないが、アストラルの声はいつもどおり耳の奥に届く。
「……うん!潜る!」
私はパンを頬張りながら力強くうなずいた。
(その意気よ。今日もゆっくりでいい。焦らず、自分のペースでね)
「うん……!」
朝の空気が、少しだけ背中を押してくれる。
◆
朝食を終え、荷物を整える。
──ギルドの扉へ向かう途中。
いつもは穏やかな朝のアクア・ヘイヴンに、微かなざわめきが漂っていた。
行き交う人々が落ち着かず、皆そわそわと海の方角を振り返っている。
言葉を潜めて話している人たちから、ぽつぽつと不穏な単語が耳に届く。
「……また渦が出たらしい」
「見えたってよ……でっけえ影が……」
「まさか、“あれ”が出たんじゃ……」
アクア・ヘイヴンの街の違和感。
胸に、ひゅっと冷たいものが走る。
(ナナミ、何かが起きている。気をつけて)
アストラルの声も、わずかに緊張を帯びていた。
私は不安を打ち消すように、両手で扉を押し開けた。
──途端に、空気が一変する。
ギルドの中は、いつもよりも騒然としていた。
受付前にはダイヴァーたちがひしめき、緊急依頼の掲示板には真っ赤な紙が張り出されている。
その中心に書かれた文字が、目に飛び込んできた。
《緊急ミッション:出現したネームド海魔“ワン・アイド”の迎撃》
「ワン・アイド……?」
ざわ……とナナミの背筋が震えた。
不穏な気配は──本当だった。
ギルド全体が、嵐の前のような緊迫に包まれていた。
⸻続く
【ナナミのお財布】
金貨18枚
銀貨14枚




