第三十八話 潮騒の宴
「ギガント・ホエール……」
その名を口にした瞬間、ギルドのざわめきが一段と耳に刺さる気がした。
ミストはこくりとうなずき、簡潔に説明を続ける。
「通常は深海にいて滅多に姿を見せない海魔なんですが……今朝、座標〈X28・Y36・Z-55〉付近に確認されました。
非常に大型の海魔ですが……コチラから攻撃を仕掛けない限り危険ほぼありません。ただ……背中に資源が多く付着し、また付近の小型海魔が集中しやすいんです」
ナナミの記憶の片隅。バニッシュ・クランに在籍していた時に学習した覚えがある名前だった……背中に群生する“海藻鉱”や“光る真珠藻”は、市場で高値がつく。
「そ、それでこんなに慌ただしいんだ……」
「はい。採取依頼が一気に増えましたので……」
「み、見てみたい……!でも……わ、わたしじゃ危険だよね……」
ミストは思案しながら目を細めた。
「──ナナミさんなら、行けるかも……でも本来はアイアン級ソロじゃ危険……」
──その時だった。
「──ナナミちゃん?」
凜として澄んだ女性の声が、ギルドの喧騒をすっと切り裂いた。
振り向くと、金の髪を後ろで束ね、巨大なハープーンを背負った女性が立っていた。
ナナミがアイアン級になった日に祝福し、マリモ採取依頼のときにアドバイスしてくれた女性ダイヴァーだ。
気高い雰囲気と、柔らかな海風のような美しさ。
「グレイスさん……!」
隣のミストが金髪の女性に振り向き、声を掛ける。
「ミストちゃんも、やっほ~!」
グレイスは微笑み、軽く手を振ってくる。
その左右には──男女の二人の若いダイヴァーがいた。
一人はすらりとした青年。柔らかな栗髪で気さくそうな笑顔。
もう一人は元気そうな黒髪の少女。目がきらきらしている。
「あぁ~! グレイスさんが気にしてた人ってこの子?」
黒髪の少女がナナミをまじまじと覗きこむ。
「本当だ、噂のアイアン級の新人さん? ……ミストちゃんも気にしてたよね!」
青年もぱぁっと笑顔になって声を上げた。
「え、え、噂……?」
「ミストちゃん、よく言ってたんだよ?
“最近来た子、真っ直ぐで頑張り屋で可愛いですよ”って」
「ホープさん~! 言い方ぁ!」
ミストの顔がみるみる茹でダコのように耳まで真っ赤にし、ホープを軽く小突く。
黒髪の少女──ニーナがけらけら笑った。
「ミストさん、顔赤い〜!」
「う……! もう、二人とも……!」
ミストは咳払いして気を取り直してる間、金髪女性ダイヴァーのグレイスは改めてナナミに向き合った。
「ごめんね、驚かせちゃったわね。
私はグレイス。小さなクラン〈潮騒の宴〉のリーダーをしてるの。こう見えてゴールド級。
こっちは新人のホープとニーナ。二人ともブロンズ級よ」
「よろしくね!おれたち、ホントはあと二人いて総勢五人のクランなんだ! その二人は、別行動してるけど!」
「よろしくお願いしますっ!」
(……なんだろ。雰囲気、すごくいい人たち……)
ナナミの胸に、あたたかい風がひらりと吹き込む。
だが──同時に、胸の奥の古い傷跡がちくりと疼いた。
仲間……?
頭をよぎるのは、バニッシュ・クランでの嫌な記憶。
嘲笑われ、押しつけられ、使い潰された日々。
身体がほんの少しだけ強張った、その瞬間──
(大丈夫よ、ナナミ)
アストラルの声が、そっと背中を撫でた。
(この人たちは……“あなたのために”動いてくれる人たちよ)
「……アストラル……」
心の迷いがゆっくり溶けていく。
グレイスが一歩、近づいた。
「もし良かったら──ナナミちゃんも、一緒に来てみない?
ギガント・ホエールは危険は少ないけど、小型海魔はそれなりに出るわ。
私がついてる、無理はさせない」
「ナナミちゃん初心者だろうけど……俺たちだって初心者だから! 一緒にがんばろ!」
「そうそう! 私達二人もギガント・ホエール初めて見るの!」
二人のブロンズ級新人が、両側から明るく声をかけてくる。
その瞬間──胸の奥が、ふわっと温かくなった。
(……行きたい)
その想いを、ナナミはぎゅっと握りしめる。
「……わたし……行きたい、です。
グレイスさんと、皆さんと……一緒に」
グレイスの顔がぱぁっと花のように明るくなった。
「──嬉しい!」
ミストもほっと目を細める。
「では、こちらが採取依頼です。
座標〈X28・Y36・Z-55〉。
成功報酬は採取物次第となりますので、皆さまの判断で」
「任せて、ミストちゃん。ナナミちゃんの初めての“大きな海”だもの。しっかり守るわ」
グレイスの言葉に、ナナミの胸がまた熱くなる。
(ナナミ。あなた、もう“ひとり”じゃないわ)
「……うん」
ぎゅっと拳を握った。
こうしてナナミは──
初めて、“仲間と一緒に”海へ向かうことになった。
──次回、ギガント・ホエールの背へ。
◆
キャラクター紹介
名前:グレイス・フォスター
性別:女性
年齢:29歳
経歴:〈潮騒の宴〉のクランマスターを務め、ゴールド級ダイヴァーでもある女性。
常に巨大なハープーンを背負っているため、目を引く。
おおらかで明るい性格。




