第三十七話 揺れる潮気
──翌朝。
ナナミは、胸の奥にほのかに残る温かさとともに、ふわりと目を開いた。
(……なんだろ。身体が軽い……?)
いつもより深く息が吸える。
体内を流れる魔力の“音”が、昨日までとまるで違って豊かに響いている。
「アストラル……なんか、変だよ。魔力の感覚が」
(変じゃないわ。──成長してるのよ、ナナミ)
「えっ……!」
(ミラージュ・コアの訓練の結果ね。あなたの魔力量……間違いなく増えてるわ)
その言葉に、胸がぱぁっと明るく跳ねた。
「ほ、本当に……!?」
(本当よ。あなたの魔力、昨日よりずっと“深い”)
「やった……!」
思わず布団の上で小さくガッツポーズ。
ナナミの喜びに、アストラルもくすっと笑う。
「ねえアストラル……わたしどのくらいの深度まで潜れるかな。 ……少し知っておきたいんだけど」
(そうね……深度100なら、まったく問題ないわ)
「ひゃ、100!? 本当に!?」
(ええ。むしろ余裕よ。訓練よく頑張ったわね)
嬉しさが胸に波紋のように広がる。
「……ありがとう、アストラル!」
◆
身支度を整えたナナミは、軽い足取りで階段を降りる。
「……あ、いた」
フロントの前。
そこには──昨日と同じように、フレデリカとテリィが仲良く水槽に張りついていた。
水槽の中の〈フロート・カニ〉は、ちょこんと砂の上に座り──
ぷく……ぷく……ぷくぷくぷく……んぷぁ。
と、勢い余って自分の泡でひっくり返った。
「きゃはっ! 見た!? 今ひっくり返った!」
「ねぇ、ほら、またぷくぷくしてる! かわいすぎ!!」
「……ふふっ」
ナナミの頬が緩む。
フロート・カニは、ひっくり返った状態のまま手足をばたつかせ──
“助けて”と言わんばかりにぷくぷく泡を吐き散らす。
テリィが慌てて手を突っ込み、そっと起こしてやると──
ぷくっ……ぷくぷくっ!(ぷるん!)
どこか照れているように泡を一発、控えめに弾かせた。
(ナナミ。昨日のあなたが連れてきた命よ。二人とも、本当に気に入ってるみたいね)
(……うん。よかった)
あたたかい気持ちで胸がいっぱいになる。
◆
ナナミは簡潔に朝食をとると、昨日買ったアームガードを装着し、腰のポーチに三本の回復薬を詰める。
「よし……準備OK!」
(怪我だけは、気をつけてね)
「うん!」
街を抜け、〈ダイヴァーズギルド〉へ向かう道に足を進める。
潮風が頬を撫で、心も自然と引き締まっていった。
◆
ギルドへ到着した瞬間──ナナミは違和感を覚えた。
「……なんか、騒がしい?」
普段は落ち着いた受付前が、ざわめきに満ちている。
ダイヴァーたちが何かを言い合い、受付嬢たちが慌てて書類を運び、
奥のカウンターでは数人が地図を広げて真剣な顔をしている。
(ナナミ。普段と違う気配ね……)
「うん……」
目を凝らすと、見慣れた藍色の髪が視界に入った。
「あっ……ミストさん!」
手を上げると、ミストが気づき、急ぎ足で近づいてくる。
「ナナミさん! 来てくれたんですね、よかった……!」
「ど、どうしたの? ギルド、すごく慌ただしいけど……」
ミストは周りを確認し、小さく声を落とす。
「──〈ギガント・ホエール〉が、出現したんです」
「ギ、ギガント……ホエール……?」
巨大すぎる“影”が、ナナミの胸をゆっくり締めつける。
アストラルの声も、かつてないほど低く沈んだ。
(……ナナミ。それはただの海魔じゃない)
「っ……!」
ナナミはごくりと喉を鳴らす。
―――続く。




