第三十六話 アストラルの訓練
海辺の子ブタ亭に戻るころには、空は薄桃色に染まり、潮風がほんのり甘く感じられた。
「ふぅ……楽しかった……!」
部屋の扉を閉めた瞬間、ほっと肩が落ちる。
買い物の袋を置き、アームガードをそっと撫でていると──
(ナナミ。少し時間ある?)
「えっ、アストラル?」
(昨日、手に入れた《ミラージュ・コア》。そろそろ使うべきよ)
アストラルの声は穏やかだが、どこか導くように柔らかく響く。
「……魔力の訓練、だっけ?」
(ええ。魔力量を増やす訓練。あなたの弱点を補強し“未来”のための第一歩ね)
胸がきゅっと熱くなる。
アストラルにそう言われると、不思議と怖さよりも期待が勝った。
◆
机の上に、透明な雫のような《ミラージュ・コア》を置く。
光を受けてゆらりと揺らめき──息をのむほど綺麗なのに、どこか冷たい気配もある。
「これ……砕いたらいいの?」
(ええ。細かくして水と一緒に飲むの。準備しましょう)
ナナミは採取用のハンマーとノミで慎重に砕き、小さな粉末にする。
透明だった核が砕かれるたび、淡い光の粒が散る。
「……なんか、宝石を壊すのもったいない気がする……」
(大丈夫。これは“使ってこそ価値を持つ”ものよ)
水に溶かすと、ほんの少しだけ色がにじむ。
ナナミはごくりと息を飲む──
そしてコップを口元へ。
「い、いくよ……!」
ぐいっ。
「……~~~っ!? に、苦い……! 美味しくないよ……!!」
(知ってるわ。だから誰も拾わないの)
「ひ、ひどい理由……!」
(文句言わないの。飲みきりなさい。私の助けがあれば……あなたはこれを“魔力”に変えられる唯一の人なんだから)
じんわり、励ますように──でも甘えは許さない調子で言われる。
「……うん……がんばる……!」
残りを一気に飲み干した瞬間、胸の奥がじわりと熱くなる。
(ナナミ、感じる? 体内に一時的に“幻像回路”が出来てるわ)
「……なんか、体が……ぽかぽかする……」
(今から私が流れを整えるわ。あなたはゆっくり呼吸して──魔力を胸から全身に巡らせるイメージを)
「う、うん……!」
ナナミはベッドに腰掛け、深く息を吸う。
吸って──吐いて。
胸の奥の温かさが、手足にじんわり広がっていく。
(そう……上手よ。急がなくていいわ。
あなたの魔力は、あなた自身が“育てる”もの)
アストラルの声が静かに波のように響き、ナナミの呼吸は自然と整っていく。
(大丈夫。あなたは必ず強くなる。私がついてるわ)
「……ありがとう、アストラル……」
ゆるやかな訓練はしばらく続き──
やがて胸の熱が静かに落ち着いていく。
(今日はここまでね。初めてにしては十分よ)
「ほんと……? なんか、体の中が軽い……」
(ええ。それが“成長の始まり”)
ナナミの胸に小さな誇りが灯った。
◆
訓練を終えて階下に降りると、食堂には夕餉のいい匂いが満ちていた。
焼き魚の香ばしさ、海藻スープの湯気──
疲れた身体に優しい匂いが漂う。
「ナナミちゃん、今日もお疲れ様。ほら、夕飯だよ」
ダイアンがスコットの作った料理を差し出してくれる。
「わぁ……ありがとうございます!」
座って一口。
「……おいしい……しみる……」
アストラルがくすっと笑った気がする。
(訓練の後の食事は格別でしょ?)
「うん……なんか、すごく……幸せ……」
食後、少し談笑して部屋に戻ると、眠気がふわりと押し寄せた。
ベッドに潜り込むナナミ。
「……明日も、がんばろ……」
(ええ。おやすみ、ナナミ)
アストラルの優しい声に包まれながら、ナナミはゆっくりとまぶたを閉じた。
潮風の夜は静かで、やさしかった。
―――続く。




