第三十四話 小さな朝のご褒美と、はじめての休息日
──翌朝。
ナナミは、ふわりと海風の香りが混じるような優しい眠気の中で目を覚ました。
(昨日……あんなに苦しかったのに……胸の奥が軽い)
フレデリカの誕生日。
テリィの笑顔。
スコットのまっすぐな言葉。
(……うん。今日も、ちゃんと前を向ける)
布団から抜け出し、身支度を整えると、ナナミは食堂へ向かう階段を降りた。
と──その前に、ふと視界の端に見慣れないものが映る。
「……あれ……?」
宿屋のフロントの横。
そこに、昨日まではなかった大きめの水槽が設置されていた。
透明な水の中を、丸っこくて小さなカニがトコトコ横歩きしながら──
ぷく。ぷく。ぷくぅ……
元気に泡を吹いている。
「フロート・カニ……!」
「ナナミお姉ちゃん、見てみて!!」
水槽の前ではフレデリカとテリィが、ぴったり並んでしゃがみ込み、キラキラの目で覗き込んでいた。
「昨日の子だよ! ほら、こんなふうに泡出すの!
ね、かわいいでしょ!?」
「ねぇ見て、お腹のところ、モコモコしてるの。
“もちもちカニ”って呼びたい〜!」
子どもたちのはしゃぎ声に、ナナミの胸がじんわりあたたかくなる。
(こんなに喜んでくれてるんだ……良かった……ほんとに)
(ナナミ。昨日のあなたの頑張りが、こうして形になってる。誇っていいのよ)
「うん……ありがとう、アストラル」
小さく返してから、ナナミは食堂へ向かった。
◆
「……おはよう」
厨房からスコットが顔を出す。
いつもの無表情と、ほんの少し柔らかい目つき。
「席……座れ。すぐ出す」
「はいっ」
テーブルに置かれた朝食は、湯気の立つ逸品。
シェルマロウの煮物。焼きたてパン、それから温野菜。
ぷっくり丸い殻の断面から、白くてもちもちした身が覗いている。
「……これ……昨日私が採ってきた……?」
「あぁ。好評だ……食え」
スコットが短くそう言う。
それだけなのに、胸の中の何かが温かく膨らむ。
「……い、いただきます……!」
ひと口食べると──
もちっ!!!
「……!? も、もち……!?」
海藻と魚介の出汁がしみこんだ優しい味が広がり、ナナミの頬が緩む。
「う、うま……!」
「……そうか」
スコットは照れたように視線を逸らしながら、ほんの少しだけ口角を上げた。
(ふふっ……ナナミ。よかったわね)
◆
朝食を終えたナナミの髪飾り、アストラルがふわっと光った気がした。
(ナナミ。連日海に潜っているわ。そろそろ休息日を取ったほうがいい)
「……あ、やっぱり? ちょっと思ってたんだよね」
(身体も心も、昨日たくさん頑張ったでしょう?
今日は“休む勇気”を持つ日よ)
「……うん。わかった。今日は海、お休みする!」
決めた瞬間、心がふっと軽くなる。
◆
休息日とはいえ──
ギルドの報酬だけは受け取らなければならない。
ナナミは街に出て、〈ダイヴァーズギルド〉の扉を押し開けた。
「よぉ、ナナミ!」
受付にはブレイカーが立っていた。
「ブレイカーさん!」
「昨日は……大丈夫だったか?
……もう元気そうだな。何かあったら言えよ」
「……はい。ありがとうございます」
胸の奥がじんわり温まる。
ブレイカーは書類を確認しながら、ポンと袋を置いた。
「スコットから報告は聞いてるぜ。“量も質も最高だった”ってな。
だからよ……報酬は弾んでおいた。預かってた分だ」
「えっ……?」
「本来は銀貨八枚。──だが今日は銀貨十二枚だ」
「じ、十二……!? すご……!」
ナナミはぱぁっと顔を輝かせる。
(ナナミ。ちゃんと、評価されてるわ。昨日のあなたの仕事が)
「が、頑張ってよかった……!」
受け取った銀貨袋が、ずっしり暖かかった。
◆
子ブタ亭へ戻ると──
食堂のテーブルで、見慣れた藍髪が揺れていた。
「あっ……ミストさん!」
ギルド受付嬢ミストがシェルマロウの煮物を食べている。
ミストは今日……私服だ。こちらに気づいて笑顔を向けた。
「ナナミさん、こんにちは。ふふ……来ると思ってました」
私服姿のミストはナナミの目から見ても可愛かった。
「え……?」
「今日はお休みなんです。
ここのご飯、おいしいから──前から休みの日に来たかったんです。
それに……ナナミさんが昨日、マリモの食材納品してたの、知ってましたから」
ミストはぺろっと舌を出して笑顔をナナミへ向けた。
「そ、そうなんだ……!」
胸が熱くなる。
ミストの笑顔は本当に優しい。
「ところでナナミさんも、今日はお休みですか?」
「う、うん! 休んだほうがいいって言われて……」
「では──ちょうどいいです!」
ミストはぱん、と手を叩いた。
「いつも同じダイヴァー服ですし……
休みの日くらい、もっと可愛い服を着てみませんか?」
「えっ……か、可愛い服……!?」
「ふふっ。似合うと思いますよ。
よかったら──買い物、つきあいます!」
「っ……い、行きたい!!」
(いいわね、ナナミ。今日は“自分のための時間”を楽しみましょう)
心の奥が弾けるように明るくなる。
食事を終えたミスト。彼女と並んで扉へ向かった。
「それじゃあ──行こっ、ミストさん!」
「はいっ。行きましょう!」
休息日の街並みは、きらきらと光を反射していた。
ナナミの心も、昨日とは違う、軽やかな風が吹いていた。
―――続く。
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【ナナミのお財布】
金貨15枚、銀貨31枚、銅貨5枚




