第三十三話 言葉に傷ついて、言葉に救われて
依頼は成功した。
――けれど、バニッシュの三人組の刺すような言葉は、ナナミの胸に深く刺さったままだった。
夕暮れ前の海風が吹くたびに、クランで何度も突きつけられた……あの嘲笑が耳の奥で揺れる。
おまえが消えても困る人なんて、いないんだぞ
(……私なんて……)
(ナナミ……今日は、胸が痛い日だったわ。
でも……あなたがどれだけ頑張ってきたか、私は全部見てる)
「……ありがとう。でも……今はちょっと……」
ナナミは小さく首を振った。
優しい言葉さえ、いまの心には重くて、痛くて。
ふらりと足を引きずるように海沿いの通りを歩き、見慣れた看板の前で、ようやく立ち止まった。
──海辺の子ブタ亭。
扉を押すと、温かい灯りと、いつものスープの香ばしい匂いが胸にじわりと広がった。
「……こんにちは……」
厨房から顔を出したスコットが、いつもと変わらぬ無表情で頷いた。
「……ナナミ。納品か」
「はい……依頼の食材……全部」
差し出した袋を受け取ると、スコットは黙って素材をひとつずつ手に取り……
触れた指の動きがほんの少しだけ止まった。
「……傷、ほとんど……ない」
「え……?」
「丁寧に……扱ったんだな。量も多い」
ぶっきらぼうな言葉なのに、その奥には小さな温度があった。
じんわりと沁みるような“認められた”感覚。
だがスコットの視線が、ナナミの顔で止まった。
「……お前……今日は、ひどい顔だ」
「え……その……」
(ナナミ……無理に笑わなくていいのよ)
そのとき──小さな足音がタタタッと響いた。
「パパ――!」
「テリィ……」
スコットの息子テリィが、袋の中を覗き込み、目をまん丸に輝かせた。
まん丸の目には……フロート・カニ。小さなカニがぷくぷくと泡を吹きトコトコと横歩きしている姿が映る。
「……こ、これ……! フロート・カニ!? これ飼ってもいい!? ねぇ、飼いたい!!」
「……世話……できるか……?」
「する! ぜったいする!!」
跳ね回るテリィの姿に、ナナミの胸が少しだけゆるんだ。
「ナナミおねえちゃん! ありがと! これ、本で見てから……ずっと見たかったの!」
その純粋さが、刺さった棘をほんの少し押しのけてくれる。
スコットは軽く息を吐き、言った。
「……ナナミ。報酬は……明日にしろ。
今日は……夕飯まで休んでいけ」
「……えっ……」
「倒れられると……困る。見りゃわかる」
不器用な言葉なのに、父親みたいな優しさがあった。
胸の奥がじん、と熱くなる。
「……は、はい……」
◇
──夕刻。
コン、コン。
「ナナミおねえちゃん……? ごはん、一緒に……」
テリィの声に、ナナミは返事をして階段を降りた。
そこで──ふわっと漂う香りに、思わず足が止まる。
(……いい匂い……?)
階下はほのかにざわめき、温かな灯りがいつもより眩しい。
食堂の扉を開けた瞬間──
「ナナミちゃーん! おいでおいで!」
ダイアンが手を振り、
フレデリカがパァン! とクラッカーを弾いた。
「誕生日パーティーだよっ!」
「えっ……!」
スコットが現れ、照れくさそうに目を逸らしながら言う。
「……今日は……フレデリカの、11歳の誕生日だ」
フレデリカは頬を赤くして笑った。
「ナナミお姉ちゃんが持ってきてくれた“晶海牡蠣”ね……
わたし、だいすきなの!」
「そーなのよ〜」とダイアンが続けた。
「ナナミちゃんが丁寧にたくさん集めてくれたおかげで、
今日はこんなに豪華にできたの」
ナナミは言葉を失った。
するとスコットが、不器用に、だけど真っ直ぐな声で告げた。
「……ナナミ。お前の仕事は……人を、幸せにしてる」
「……!」
「テリィも……フレデリカも……
今日の食卓も……全部、お前の丁寧な働きのおかげだ」
涙が、ぶわっと視界を滲ませた。
あの三人の言葉が、引き潮のように薄れていく。
「ナナミおねえちゃん、ありがと!」
「ほんとにありがとう!」
フレデリカとテリィが両側から抱きつき、
ナナミは震える声で笑った。
「……うん……うん……私……頑張ってよかった……!」
胸の奥から、あったかい力がふつふつと湧き上がる。
(もう……あんな言葉に負けたりしない)
ナナミは涙を拭き、強く息を吸い込んだ。
「よし……また明日も、負けずに頑張るぞっ!」
(そうよ、ナナミ。
あなたはひとりじゃない。
明日を迎える力は……ちゃんと、あなたの中にある)
アストラルが静かに微笑んだ気がした。
子ブタ亭の灯りは、まるで家族みたいに
やさしく彼女の背中を押してくれた。
──ナナミは再び、前へ進む力を取り戻した。
―――続く。




