第二十八話 ギルドに満ちるあたたかな潮風
ミストが差し出したのは、細い鎖の先に吊られた小さなプレート型のネックレスだった。
波紋のように広がる紋様が刻まれ、光を受けて淡く蒼く揺らめく。
プレートには……’’アイアン級──ナナミ・マリーネラ’’、その刻印をナナミは指でなぞる。
「そちらが正式な〈潜海証〉です。ナナミさんは今日から──アイアン級のダイヴァーになります」
その言葉が落ちてきた瞬間、ナナミの指先がぴくりと震えた。
胸の奥で、何かが“ふわり”と浮き上がる。
「……これ、が……わたしの……潜海証……?」
(ええ。あなたの証よ。ナナミ──あなたは今日、本当に“海の世界”の住人になったの)
アストラルの声が、潮騒のように優しく響く。
それと同時に、胸の奥に温かい波紋が広がり、視界の端がじわりとにじんだ。
──こんな日が、自分に来るなんて。
かつて、何をやっても自信がなくて、うまく笑えなくて。
でも、それでも前に進もうと足を動かしてきた時間が、ひとつ報われたような気がした。
「……ありがとうございます……!」
かすれた声に、ミストは目を細めて微笑みながら続ける。
「〈潜海証〉には周囲の水圧を測定し、その結果から……’’深度’’を測定する機能があります。」
彼女はカウンター端の分厚い冊子を開き、丁寧にページをめくりナナミへ見せながら説明を始める。
「そして、ダイヴァーにはランクがあります。アイアン級からはじまり、ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ、ダイヤモンド、そしてオリハルコン級」
「お、オリハルコン……!」
「実際に到達できる人は、ほとんどいませんけどね。さらにその上も存在しますが……まあ、伝説みたいなものです」
(ナナミ、ひっそりとすごいことを聞かされてるわよ)
「すごい……本当にそんな世界があるんだ……」
「ランクが上がるほど、ギルドからの支援も増えます。専用装備の貸与、深層遠征の便宜、クラン設立の補助……今後のお楽しみですね」
ナナミは胸元の潜海証をそっと握りしめた。
金属のひんやりとした感触が、現実を確かに伝えてくる。
──自分は、この海で生きていくんだ。
そんな覚悟が潮の満ち引きみたいに心へ押し寄せた。
「では、発行も済みましたし……」
ミストが手元の銀色の小さな鐘を“チリン、チリン”と鳴らす。
澄んだ音はギルド内の喧騒の中で不思議なほどよく響き、視線が自然とミストへ集まった。
あたりの喧騒が鎮まった中でミストは話し始めた。
「本日、ダイヴァーの仲間が一名新たに加入しました。
──アイアン級ダイヴァー、ナナミさんです!」
「えっ、ちょ、ま……!?」
突然の紹介に、ナナミの思考が真っ白になる。
だが、その直後──ギルドの空気が一気に温かくなった。
「おう、新人ちゃんか! よろしくな!」
「こないだのあの子だろ? 海晶核持ってきたって噂の!」
「へぇ、可愛いな〜! あ、でもしんどかったらすぐ言えよ!」
笑顔のひげ面の大柄の男、肩まで髪を垂らした微笑む青年、そして明るく笑う女性ダイヴァー──
それぞれ違う色を持つ“明るい声”が、次々とナナミに向けられた。
女性ダイヴァーは金の髪をひとつに結び、巨大なハープーンを背負ったまま手をひらひら振ってくる。
彼女はニッコリと微笑みナナミへ声をかける。
「アイアン級のときは不安だらけだからね〜。困ったら女子組に声かけなよ!」
「わ、わ……!」
(ふふっ、ナナミ。あなた、もうここで“仲間”として見られてるのよ)
胸がぎゅっと熱くなる。
見ず知らずの人から向けられる歓迎が、こんなにも心を揺らすなんて知らなかった。
「み、みなさん……よろしくお願いします!」
深く頭を下げると、拍手や笑い声があちこちから返ってくる。
ギルドの空気が、まるで湯気の立つスープみたいにあったかい。
「では──ナナミさん」
ミストが優しい声で呼びかけた。
さっきまでの柔らかさとは少し違い、正式な事務口調に切り替わっている。
「ここからが本題です。
あなたがアイアン級として受けられる、最初の正式依頼──紹介しますね」
差し出された依頼書が、ナナミの未来を静かに照らしていた。




