閑話 エクセイルの挑戦
今回もナナミを追放したバニッシュ・クラン
エクセイル視点の物語の続きです。
深度250。
光が薄れ、青さが黒へと変わり始める。
深度300。
光海帯が終わり、世界はほぼ暗闇へと変わる。
彼は口元を歪める。
「暗海域……ナナミ、お前はここを抜けたってのか」
海面から差し込む太陽光はもう届かない。
代わりに、海の水の中で黒い霧のような冷気が漂う。
水温は急落。
魔力膜に常時“圧迫感”がかかり、呼吸一つのたびに魔力の消費を感じる。
(クランの連中が嫌がる理由もわかる……。
だが、ここを越えられない奴に深海層は見えない)
無言で、さらに深く潜る。
◆
やがて、水の色は完全に“黒”へ沈んだ。
暗海域。
世界から音が吸われるような静寂。
代わりに、どこからともなく小さな“歪み”が流れてくる。
──ザラ……ザララ……。
(魔潮の“前兆”……?
いや、まだ本流じゃない。大丈夫だ)
魔潮に飲まれれば、魔力膜は急速に冷え、
まるで凍えるように魔力を食い尽くされる。
そして、その暗流が運んでくる“海魔の群れ”。
(あんな呪いの海を……ナナミが耐えた?
……冗談だ)
胸の奥で苛立ちと焦燥が渦巻く。
(俺が──負けてたまるか)
そのとき。
◆ ◆ ◆
「……ッ!?」
暗闇の中から、赤い光が十数個、ゆらりと浮かんだ。
いや──目だ。
エクセイルは反射的に槍を構える。
「デビル・カサゴ……!」
光海帯にいるオーガ・カサゴよりも二回りは大きい。
その巨体が“オーガ・カサゴの群れ”を引き連れて迫ってくる。
尾がしなる。
水流が走り、毒棘が複数飛んだ。
「そんなもので……!」
エクセイルはひねりながら魔力槍を振り、棘を斬り落としていく。
だが毒が薄く霧となって漂い、魔力膜がじじじ……と削られる。
1体、2体、3体。
撃破。
水中に血の雲が広がり、群れが狂乱したように突進してくる。
「来いよ……まとめて、沈めてやる!」
渾身の一撃を叩き込む。
デビル・カサゴの頭部が砕け、沈んだ。
……しかし息が荒い。
(くっ……この程度で、こんなに魔力を使うなんて)
暗海域の水圧。
毒霧。
視界の悪さが判断を削る。
気づけば、魔力膜の端がざらつき、揺らいでいた。
「まだだ……ここで止まれるか!」
彼はさらに深みへと進む。
その暗闇の奥で──
“別の気配”がゆっくりと形を成し始めていた。
まるで海そのものが蠢くような、巨大な影。
その“影”は、はじめ、ただの黒い岩塊のように見えた。
(マリモか?……いや違う……!)
ぱちり、と。
黒の中に、青白い光がひとつ灯る。
続いて、二つ、三つ、四つ。
星のように瞬く光点が、円を描くように並んでいく。
「……なんだ、これは……?」
エクセイルの胸がざわついた。
暗海域の常識が、警鐘を鳴らす。
影がゆっくりと“表側”を見せた。
それは巨大なヒトデだった。
腕は五本。1本1本が木の幹のように太い。
全長は三メディル……いや、それ以上。
表面は墨のように黒く、吸盤のような無数の眼が蠢いている。
海中でたわむ、その巨体は震えた。
──ぼ、ぼ、ぼぉん……。
低い振動音が波となって周囲に広がる。
「暗夜ヒトデ……! こんな浅い深度に出る海魔じゃないだろ……!」
魔潮の乱れに誘われ、上がってきたのか。
いずれにせよ、光海帯の海魔とは比べ物にならない魔力密度。
次の瞬間──
暗夜ヒトデの一本の腕が、巨大な鞭のようにしなり、エクセイルへ襲いかかった。
「ぐっ──!」
槍で受ける。
だが衝撃が骨まで響き、エクセイルの身体が後方へ弾かれた。
魔力膜が一瞬ゆらぎ、圧力が流れ込む。
(やばい……! 一撃がデビル・カサゴとは桁違いだ!)
続けざまに三本の腕が絡みつく。
バリバリバリバリ、バリバリバリバリ……
魔力膜に、ぎゅううううっと圧がかかり急激に魔力が消耗し。嫌な音が耳に響く。
「離れろッ!」
槍を一閃。
切り裂いた一本の腕が黒い霧となり、海へ溶ける。
だが──暗夜ヒトデは、切断された腕をゆっくり“再生”しはじめた。
「再生するだと……!」
その隙を狙って、暗夜ヒトデの中心──星の中央部の眼が青く点滅する。
衝撃波。
海が震え、魔力膜の外側を引き裂くような波が生まれる。
(エネルギーを溜めて……ぶつけてくるのか!)
背筋を冷たさが走る。
「こんな化け物まで……ナナミ、お前は本当にこんな場所を──!」
彼は歯を食いしばり、槍を全力で突き込む。
「──おおおおッ!」
暗夜ヒトデの中央部に、深く深く刺さる。
眼がひび割れ、光点がばちばちと乱れた。
暗夜ヒトデが苦悶のうねりを見せる。
(よし……もう一撃で沈む! ここで──)
彼が槍を構え直したその瞬間だった。
◆ ◆ ◆
暗海域の闇が、突然“裂けた”。
黒い筋が高速で横切る。
水流が荒れ狂い、巨大な影が突進してくる。
──ガブァッ!!
「……ッ!?」
暗夜ヒトデの中央部にほど近い部分から、腕三本を巻き込み噛み砕かれた。
巨体が泡を散らしながら崩れ落ち、完全に沈黙する。排出された海晶核をエクセイルは即座に回収する。
その海魔を食いちぎった“そいつ”が姿を現した。
長い胴。黒鉄のような表皮。
複眼が暗闇でぎらつき、鋭い歯が並んでいる。
ドレッド・シャーク。
暗海域でも最上位に分類されるサメ型海魔。
単体で小規模のクランを壊滅させるとさえ言われる。
そいつは暗夜ヒトデを貪りながら、ゆっくりとエクセイルへ向き直った。
「……冗談だろ。
こんな化け物まで……!」
ドレッド・シャークの尾が、ゆるく揺れた。
海が震える。
完全に“狩りの対象”として、エクセイルを捉えたのだ。
「……はぁ……はぁ……来いよ。
この俺を……誰だと思って……!」
槍を構えようと腕に力を込める。
だが、さっきの暗夜ヒトデ戦で、魔力膜はひどく薄い。
内側の呼吸すら重く、視界もじわりと暗む。
(最悪だ……今の状態じゃ……)
ドレッド・シャークが、口を大きく開いた。
周囲の闇が、そこへ吸い込まれていく。
深海の捕食者が見せる“死の前兆”。
──一撃。他の海魔とは質が違う。
回避が遅れれば、身体ごと消し飛ぶ。
「クソッ……!」
…………………………続く。




