第十一話 深海の慟哭
どれほど泣き続けたのか、自分でも分からなかった。
冷たい水の流れが頬の涙を洗い流しても、胸の痛みだけは消えてくれない。
ナナミは、まだ震える手で小さな金色の石を抱え込んでいた。
それはもう光を放っていないのに――抱きしめるほど、胸が軋んだ。
「……ルミナ……」
呼ぶ声はかすれて、もう言葉と呼べない。
けれど呼ばずにはいられなかった。
呼べば、返事がある気がしてしまうから。
しかし、返ってくる気配はどこにもない。
腕の中にいた小さな光はもういない。
代わりに残されたのは、重すぎる静寂だけだった。
ナナミはぎゅっと石を握りしめ、膝を抱えた姿勢のまま、深く呼吸を繰り返した。
泣き過ぎて、胸がひりつくように痛い。
(……まえへ……すすんで……)
ルミナが最後に遺した言葉が、頭の奥で反響した。
思い出すたびに胸が裂けそうになるのに、それでも忘れられない。
「……行かなきゃ、なの……?」
涙声で呟いた。
返事なんてあるはずがないのに――ほんの一瞬、石が指の中で温かく感じられた。
まるで、背中をそっと押すように。
ナナミは嗚咽を噛み殺しながら、ゆっくりと立ち上がる。
足元がふらりと揺れ、壁に手をついて支える。
身体は重い。
心はもっと重い。
だけど――進まなければ死ぬ。
そして何より、ルミナが求めたのは「生きて前へ進むこと」だった。
「……うん……行くよ。行くから……」
声は震え、涙がまたこぼれる。
それでも、足は一歩前へと動いた。
倒れた巨大ウツボの骸へ近づくと、胸の奥がひりつくように痛む。
あの戦いでルミナは……。
思い返すだけで視界が滲んだが、ナナミは歯を食いしばった。
ウツボの胸部に触れると、そこだけ淡い光を帯びていた。
黒藍のように透き通る結晶――海晶核。
海魔が倒れたときだけ残す特別な結晶だ。
「……これも……持っていくね」
亡骸に語りかけるような声で呟き、ナナミは海晶核を慎重に回収した。
手の中でひんやりとした感触が伝わる。
ルミナの石とは違う冷たさが、胸の奥の孤独を強調した。
ナナミは石と核を抱え、崩れかけた通路へ足を踏み出した。
♢
深海の遺跡は静かすぎた。
水の流れる音も、遠い金属音も、いつも後ろをついてきた小さな光も、何一つない。
あるのはナナミ自身の微かな呼吸音と、靴底が砂を踏む音だけ。
(こわい……)
胸の奥で小さな声が漏れる。
戻りたい。誰かを呼びたい。
でも、呼んでも返ってくる存在はもういない。
暗く長い通路を進むたび、孤独が増していく。
水音が反響するたび、何かが後ろにいる気がして振り返る。
ただの影だと分かっていても、心臓が跳ねた。
ふと前方に、青白い光が差し込むのが見えた。
「……光?」
思わず足を早める。
通路を抜けた瞬間、ナナミは息を呑んだ。
そこは巨大な空洞で、中心には荘厳な建造物――教会のような施設が静かに佇んでいた。
天井に貼りつくように存在する鉱石が蒼い光を放ち、広間全体を淡く照らしている。
古代遺跡とは思えないほど整った造り。
壁には崩落がなく、床もひび割れていない。
まるで時間だけが止まったような静謐さだった。
ナナミは胸に石を抱きしめる。
「……ルミナ……ここ、なにかあるよ……」
返事はない。
それでも語りかける癖は、しばらく消えそうになかった。
ゆっくりと階段を登り、堂々とした両開きの扉の前に立つ。
扉には古代文字のような文様が刻まれ、不思議な威厳を放っていた。
ナナミは喉を鳴らし、小さく深呼吸する。
「……行くね」
扉へ手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、冷たさが腕を伝って背筋を震わせた。
ぎ……ぎぎ……。
重い音を立てながら、扉がゆっくりと開いていく。
その奥には――言葉を呑む風景が広がっておりナナミは息を呑んだ。




