栽培は時空を超える!?
プロローグ・田んぼが消えた
地球最後の田んぼが、ドローンに焼かれた。乾いた爆音のあと、炎の輪郭だけが残った。周囲には報道ドローンが何十台も浮かび、僕はその一台の中にいた。2037年10月。
耕作地の全廃を決めた「土地最適化法」の第4段階が発動され、個人所有の農地はすべて国の都市開発用地へ転用された。この田んぼは、僕の祖父が半世紀以上守ってきた土地だ。だけど、僕—暁牧人は、いまそれを見送る側にいる。
大学のインターンで、農業撤退の現場レポートに同行しているのだ。炎の匂いは焦げた稲ではなかった。焼却プラスチックと同じ、あの無機質な匂いだった。「これが“種まきの終わり”ってやつか」横にいた主任がつぶやいた。でも僕は、その言葉を信じなかった。 むしろこれが、“新しい種をまく始まり”になる気がしていた。
第1章「空中栽培と都市農園」
「野菜は、空から落ちてくるようになった。」それが初めて僕が、“ソラノファーム”という言葉を耳にしたときの印象だった。高層都市の上空に浮かぶ、半透明の栽培ドーム。昼間は太陽光を取り込み、夜は内部で人工光が光のリズムを刻む。そこから、ケールや水菜、トマト、人工バジルが吊り下げられたパッケージごと、静かに都市の配送チューブへ送り込まれていく。
かつて農地だった場所は、今ではほとんどが住宅街かデータセンターに変わっている。だから空に農園をつくったのだ。都市の中心部でも「地産地消」が可能になる。それが《ソラノファーム》の基本思想だった。038年の春、僕はこの空中栽培企業「テラスフード」に就職した。
就職理由は、正直、消去法だった。実家の畑はもうない。国営農場は完全自動化で人は不要。地方の農協はとうに解体され、跡地は配送ロボのバッテリーステーションになっていた。だから、農業に関わりたいなら、もう空に行くしかなかった。初出勤の日、僕は首都東京の旧・練馬区に降り立った。かつて畑や果樹園があったこの地も、今では「第9ソラノタワー」と呼ばれる超高層栽培施設に変わってた。 その最上階、ドームの中心に立った瞬間、思わず息を飲んだ。空が、野菜の緑に覆われていた。 まるで、ビルの上に浮かぶ小さな惑星のように。水耕チューブが蜘蛛の巣のように張り巡らされ、AI管理ロボットたちが無音で作業している。
静かだった。土のにおいも虫の声もない。代わりに聞こえてくるのは、光の強さや 水質を調整する微かな電子音だけ。
「ここは、最も静かな農地なんですよ」そう声をかけてきたのは、施設管理AIの音声だった。 まるでカフェの店員のような、優しい中性的な声。「初出勤の方ですね。ようこそ、空の農園へ」「…ここでは、何を育ててるんですか」「本日だけで、ミニトマト42種、ルッコラ8種、耐暑性バジル17種。すべて、1時間後に出荷されます」僕は思わず質問した。「土を使わないのに、それでも“育てる”って言うんですか?」《アスパラ》は少しだけ間をおいてから、こう答えた。
「ここでは“設計”と呼んでいます。生育パターンも味の傾向も、すべて消費者の好みに合わせてカスタマイズされているので」「じゃあ、自然は?」「“自然”という概念は、ここには存在しません。必要ですか?」その言葉に、僕は返事ができなかった。
施設の隅に、小さなスペースがあった。「実験区画」と呼ばれるその場所では、最新の品種実験が行われていた。そこでは光に反応して味が変化するミントや、香りが自己調整される葉物など、いわば“知性をもつ野菜”が育てられていた。「この品種は、都市の消費者ストレスを検知して、香りを調整する機能があります」 研究スタッフの一人がそう説明した。「彼らは、癒すことが仕事ですから」まるでペットみたいな扱いだった。いや、もしかしたら、かつての植物よりずっと人間に優しいのかもしれない。
昼休み、職員用のカフェスペースで“今日の収穫サラダ”が出された。メニューにはこう書いてあった。《テラスNo.442型レタス》+《ルッコラβ》+《ミントAIF-12》 味覚プロファイル:すっきり/シャキシャキ/集中力アップ。フォークを口に運ぶ。みずみずしい。けれど、何かが違う。「うまい」のではなく、「効く」という感じ。脳が活性化するような、計算された栄養設計の味がした。
その夜、僕はひとり屋上に出た。眼下には、都市。上空には、ソラノファーム。 空と大地が逆転した未来で、僕はようやく理解し始めていた。「これは農業じゃない。これは、インフラだ」
第2章「ミリフルーツと未来野菜」
フードタワー新宿の1階、「青果街区ゼロ」に足を踏み入れた瞬間、僕の五感は一気に翻弄された。香り。色彩。音。そこは、かつて僕が知っていた八百屋や果物屋とは、まるで別世界だった。壁面いっぱいに広がる巨大ディスプレイが、「今週の人気栄養プロファイルTOP10」をリアルタイムで更新している。
第1位:「低糖質・高集中」イチゴβシリーズ
第2位:「ホルモンバランス補整」メロン・ルナグリーン
第3位:「抗ストレス」ぶどう・ネムネムα
※年齢・性別・遺伝子構成・気分・天候・社会トレンドによって順位は変動します。
客たちはカートを引く代わりに、手のひらスキャナーで自分の“体調ログ”を読み取らせていた。 そして、それに基づいて“今の自分に最も適した果実”が次々と表示されていく。「プレゼン前だから、今日はピーチCブーストかな」
「月経明けでメロンが合うらしいわ」 「子どもには、免疫アップ系のカムカムフルーツを…」
まるで病院の処方カウンターのようだった。でも、皆の顔は笑っていた。だってそれは、健康食品でも薬でもない。 最高に甘くて、香り高くて、“今の自分のためだけに作られた”一口。それが—ミリフードと呼ばれる、未来の果実だった。ミリフード(MilliFood)は、個人の体質や生活環境に合わせて設計された分子単位カスタマイズ食品だ。分子栽培、ゲノム編集、人工果実培養など、あらゆるバイオ技術の粋を集めて作られている。パッケージには、生産情報とともに「この果実があなたに与える効果」が一覧で表示される。【集中力+16%】【糖質耐性上昇+8%】【気分安定+5%】味覚傾向:爽やか/後味クリア/瞬間甘味
そこまで見たところで、背後から声をかけられた。「初めて来たの?顔に出てるよ」振り向くと、鮮やかなピンクのユニフォームを着た案内係の女性が笑っていた。タワー専属の“食ガイド”らしい。「遺伝子スキャン、試してみる?」「えっ、あ、はい…」僕は促されるまま、壁に埋め込まれた黒いパネルに右手を当てた。微かな光が走り、すぐに目の前のディスプレイに僕の現在の体内情報が一覧で表示された。
睡眠:やや不足 ストレス値:中 眼精疲労:高 血糖バランス:安定
集中力:低下中「じゃあ、今日のおすすめはこれね」女性が差し出したのは、光沢のある小ぶりの果実。一見するとイチゴに似ているが、色はやや紫がかっていて、種もヘタもなかった。「集中力強化型イチゴ・β7。味は控えめだけど、頭がスッとする感じ。人工果肉だけど、香りは本物よ」僕は、おそるおそる一口かじった。瞬間、鼻に抜けるフローラル系の香り。後から酸味と甘味が、キュッと脳に刺さるように響いた。味覚というよりも、神経に直接届くような感覚だった。
「すごい。これ、野菜じゃない」「そう。もはや“デバイス”なの。脳に効くおやつ。」案内係の言葉に、僕は何も言い返せなかった。これは確かにおいしい。だけど、食べものじゃない。 まるで身体に差し込むプラグのように、機能として食べている。通路の向こうには、さらに高度なブースが並んでいた。 「メンタルケア果実」「記憶定着フルーツ」「高齢者向け反射神経サポート野菜」子どもたちが行列を作っていたのは、「AI分析で“初恋味”の果実を生成」する恋愛脳活ブースだった。これが、いまの“青果市場なのだ。かつての「新鮮」「旬」「産地」なんて言葉は、もうどこにもなかった。代わりに人々は、科学と感情がブレンドされた味を楽しんでいた。
僕はもう一口、β7イチゴをかじった。甘い。でもその甘さは、どこか思い出せない記憶の中の味に似ていた。「…じいちゃんの畑の、あの桃。あれも、こうだったか?」ぼんやりとそう思った瞬間、僕は一つのことに気づいていた。「これは、食の未来じゃない。“食の再設計”だ。」
第3章「AIが耕す農地とゼロエネルギー食」
早朝5時、北陸の山間にある廃村寸前の集落で、僕は立ち尽くしていた。 霧がかった谷間に、静かなモーター音だけが響いていた。目の前に広がっていたのは、人の姿がまったくない農地。だが、そのど真ん中を—6台のAIトラクターが、見事な連携で耕していた。「見てると気持ちいいでしょ。動きが、無駄なくてさ」そう言ったのは、現地のスマート農場コーディネーター・斎木だった。元農協職員。いまは、町から依頼されてこの“無人農地再生モデル”を運営している。
「この村、もう3ヶ月、人間が畑に入ってないんですよ」「じゃあ…誰が作業してるんですか?」「AIトラクターとドローン。それにスマートセンサー群。作業スケジュールは東京の学生2人がリモートで管理してます」彼は手のひらほどの端末を見せてきた。そこには、今日の作業計画、作物別の生育データ、水分量、養分状態、日照予測、全部が並んでた。「地元の人は?」と僕が訊くと、斎木は首をすくめた。「ほとんど出てったよ。年寄りも引っ越した。でも、土地だけは残った。だから、“人がいなくても農業できる村”を作ったんです」この農地は、政府が2035年に導入した「ゼロ人力農業転換支援制度」のモデル地区の一つだった。トラクター、ドローン、土壌センサー、気象AI、すべてのインフラを統合し、自律稼働による完全無人農業を実現する国家プロジェクト。それを可能にしたのは、3つの技術革新だった。
1つは、AIトラクターの群制御技術。一台ずつではなく、全体を群れとして操ることで、天候・土壌条件に即応した作業ができる。2つめは、スマート農業OS「ノーグラフ」。地上・地下・空中のセンサー群からの情報を統合し、作業を自動指示。経験も知識も不要。素人でも、スマホで指一本動かせば、村ひとつ分の農業が動かせる。3つめが、再生可能エネルギーとの連動。 トラクターもドローンも、ソーラー・風力・地熱からの電力で稼働。この村は、食料もエネルギーも“自給自足”を達成していた。
「ここで作ってる野菜や穀物はどこへ?」「ソラノファームと提携して、都市部の上空栽培に送ってます。この村は、“地上で栄養を生み出して、空で仕上げる”農業の土台になるんですよ」まるで、見えないパイプラインで都市と繋がった栄養基地だ。けれど、僕の目には、この風景がどこか奇妙に映った。
「人がいないのに、農業が進んでる…。まるで“植物のためだけの農地”ですね」 斎木がふっと笑った。「昔は、“人が育てるための農業”だった。でも今は違う。 人がいなくても回るように設計された農業なんです。そうじゃなきゃ、もう持たないんですよ、日本は」
確かに、統計はそれを裏付けている。2040年時点で、農業従事者の平均年齢は76歳。農村の約65%が無人地区に。耕作放棄地は、北海道と九州を合わせた面積にまで拡大。「農業を“人が戻るのを待ってからやる”って考えてたら、終わる。だから、“人がいない前提”で始める。それがこの国の、次の農業のかたちなんです」太陽が昇る。山の稜線から光が差し込み、トラクターの群れが一斉に方向を変える。その動きは、まるで生き物だった。地面をなぞるように、静かに、正確に。でも、誰も指示を出していない。
「ねえ、暁くん」斎木がふいに言った。「君の世代は、“農家”っていう職業を、見たことある?」僕は答えられなかった。祖父が耕していた畑は、もう記憶の中にしかない。その夜、僕は村の空き家に泊まった。家の中に、古い作業服と鎌が残されていた。埃をかぶったそれらを見て、僕はようやく気づいた。この村は、“人が消えても農業が残った”のではない。“人がいなくなること”を、前提に設計し直された農業が、未来を生き残ったのだ。僕はその夜、誰もいない畑を見下ろしながら、こうつぶやいた。「これは農地じゃない。人類が築いた、最後の“手の要らない食糧工場”かもしれない。」