「花の色は」
「花の色は」
四年前
花は幼馴染の雫、陸と交差点で別れると、まだ半分以上残っている綿あめをほおばりながら、家路を急いだ。この日は山内市の夏の風物詩である花火大会だった。いつもは門限に厳しい父も、この日だけは大目に見てくれるので、花にとっては一年で最も楽しみな日と言っても過言ではなかった。
花の家は、小高い丘の上の住宅街の一角にあった。小二の夏に引っ越して来て以来、実に十年に渡って生活してきた家だ。丘の上なだけあって、駅やコンビニは遠いし、通学はもれなく苦労した。しかしそんな不便で窮屈なところも、花はむしろ好きだった。家に向かう長い坂の入り口から、くすんだ茶色い壁の色や青い屋根が見えると、まるで数年ぶりの故郷にやっとたどり着いたような、懐かしい気分になれた。
花火大会の余韻に浸り、浮いた気持ちのまま坂の入り口にたどり着いた時、丘の上だけ空が明るく見えた。野次馬の声に呼ばれて坂を上がると、野次馬が集まっていたのは正に花の家だった。そこには茶色い壁も青い屋根もなかった。家は紅く染まっていた。中の家族も、飼っていた犬も、花の全てを包んだまま。屋台で買ったイカ焼きの味も、夜空に舞い上がった花火の興奮も、すべて引き連れて、家は轟轟と燃えていた。
「パパ!ママ!お兄ちゃん!すぴん!」
今日感じた興奮も思い出も、父や母や兄や犬にプレゼントするはずだった。花は炎の中に、それらを投げ込んだ。残ったのは悲しみでも、怒りでもなく、ただただ深く暗い空虚感だった。私も紅く染まりたい、花はそう思った。
2ヶ月前
梅雨が明けた。木々や花々は、水滴の反射でいつもより明るく見える。生き生きと太陽に背伸びする姿は、まるで温泉にでもはいってきたように活気に満ちている。車窓から顔を出した陸は、真夏の訪れを、無邪気な笑顔で迎えいれた。こちらに向けられたその笑顔を、自分もまた迎えるつもりが、下手くそな作り笑いで追い返してしまった。
「どうした花?体調でも悪い?」陸は花のこういう細かい部分でもすぐに気付く。
「ううん、ちょっと乗り物酔いしただけ。」
二十二歳の夏、花は高校卒業後地元の広告会社の事務職に就いて今年で四年目になる。二年前から交際を始めた幼馴染の陸は、今年で大学を卒業し、就職で上京する事が決まっていた。就職後陸に付いて東京へ行くのか、ここに残り遠距離になるのか、花ははっきりとした答えをあげられないまま旅行に来ていた。陸はただ単に田舎の旅館で温泉に入りたいだけらしかったが、私にはもう一つ目的があった。
四年前家族を火事で失くしてから、今回の旅行まで私は一度も山内市を出たことがなかった。この街を離れることは、そのまま家族と離れることになる、離れた隙にみな花の心からもいなくなるような、そんな気がして怖かった。今回の旅行は家族への問いかけのようなものであった。私は東京へ行っていいのだろうか。あの日、一人遅く帰り生き延びた私をゆるしてくれるだろうか。家ごと家族皆で染まったあの赤に、一人染まらなかった事を恨んではいないだろうか。この四年間、家族に対して問いかけた数多の問いの、そのどれにも答えは返ってきていない。
「着いたみたいだよ。」陸に肩をたたかれハッと気が付いた。
どうやら私はしばらくぼーっと考え事をしていたようだった。バスから降りた駐車場の石砂利を踏むより先に、この世の爽やかさをぎゅっと詰めたような風が花の全身を撫でた。
「うわぁ、うわぁ。」と思わずバスの出口で立ち止まった。
「ねぇ、ちょっと立ち止まらないでよ。」とまたもや陸の言葉で我に返る。
陸もバスから一歩踏み出すと、大きく息を吸って全身で風や空気を迎え入れた。こちらに向けられた笑顔を、花もまた自然な笑顔で受け入れる。今度は上手くできたようだ。この時にはひとまず、バスでの考え事は忘れられていた。バスの駐車場から旅館までは細い小川でくぎられており、迂回し道路沿いの橋を渡っていくこともできたが、二人はあえて小川の飛び出た小岩に乗り移りながら横断した。
「こういう田舎に住むのが夢だったんだよなぁ。」陸は渡り切った小川を振り返りながら言った。
「都会に行きたいから東京行くんでしょ。」
「老後の話だよ!」と私は軽い冗談も言える程に旅行を楽しんでいた。
旅館の玄関で出迎えたのは感じのいい中年女性で、世間一般的に連想される女将然とした見た目だった。
「ひとまずお部屋へご案内いたします。十八時には夕食をお持ちしますが、それ以外は温泉も含めてご自由にお過ごしくださいませ。」
案内されたのは一階の客室が並ぶ廊下の一番奥、最も大浴場に近い部屋だった。花は部屋に入り荷物を下ろすと小川が見える窓際へ行き、置いてある籐椅子へ腰かけた。
「あの時はどうやって過ごしたんだっけ?」
花の小さな独り言は、どうやら陸には聞こえなかったらしい。あるいは陸ではない誰かに問いかけたためかもしれない。旅行に誘ったのは陸だったが、この旅館を選んだのは花だった。選んだ理由は伝えていなかったが、花がかつて家族と旅行にきた場所だった。前に来たのが中学三年生の時。受験勉強の気分転換に、と両親が連れ出してくれたのだった。
尤もその時は受験まで残り二か月で時期が時期だけに、あまり楽しめずこれといって心に残る思い出もなかった。家族と行った旅行先は他にも多くある中で、この旅館を選んだのは二つ理由があった。一つはもう一度ここで過ごし、以前来た時のことを思い出せば、家族との思い出が増えると思ったから。そしてもう一つは、山内市から離れたら自分が、そして家族がどうなるのか知りたかったから。
小川をみて考え事をしていると、陸が部屋へ戻る音がし振り向いた。
「まじで勿体ないぞ花。入れるだけ入った方がいいよここの温泉。景色も最高だったよ。」いつにも増してにっこり笑う陸をみて、これだけでも来た甲斐があったな、と思った。
就活で張り切った顔で面接に向かっては、落ち込んで萎れた顔で帰ってくる陸。あの時期は陸と同じくらい花もきつかった。
「何回も服着たり脱いだりが面倒だったの。でも夕食の後には私も温泉行こうかな。」
「明日の夜は一緒に入ろうな。」
ここには家族湯のようなものあるらしく、ただ予約制のため今日は別々、明日は一緒にということになった。そんなやり取りをしていると、ドアがノックされ、仲居さんが夕食を持ってきた。
「これこれ!旅館に懐石!」
「なんで鬼に金棒みたいな言い方なの。」いつにも増して上機嫌な陸に、私もついついツッコミを入れてしまった。
「おお!花も調子いいなぁ!祝杯あげよ!」
「仕方ないなぁ。」
「では俺と花の幸せな未来に」この瞬間、何かが頭に引っかかる感じがした。
「乾杯!」勢いよくジョッキを掲げる陸。
「乾杯…」花のグラスは力無く持ち上げられる。
「花、どうかした?」
「ごめん、少しぼーっとしてた」
花は前にここへ来た時のことを思い出していた。まだすぴんを飼い始める前だった。今の花と陸と同じように、家族四人で懐石料理を前に乾杯をした。そして父も陸のように未来がどう……とか言い、母と兄が失笑していた。私は逆に先程とは真逆で、満面の笑みだったと思う。
夕飯が終わり、一人で大浴場へ向かう。あの時は母と二人だったな。更衣室から浴場の扉を開けると硫黄泉の独特の香りが身体を包み、思わず顔をしかめる。
あの花火大会の日の後、花は苦手になったものが幾つかある。花火、火、熱気……どれも一瞬で花の心をあの日に戻してしまうからだ。入るのをやめようとも思ったが、目の前に花の手を引くかつての母の幻影が見える。花はすっと気分が戻り母の後に続く。居なくなってもやはり母の力は偉大だ。
頭と身体を一頻り洗い、露天風呂へ向かった。陸に約束した時間まであと五十分程、花はここで残りの時間を過ごすことにした。母との思い出を思い出したからだ。
大きな壺みたいなものが四つ並んでいる。大人が一人で入ると丁度よく、二人入るには狭すぎる、母はそこへ花を抱き抱えながら入り、少し狭そうにしていた。そこへ浸かると一人で入る広さと余裕が唐突に花を寂しくさせる。花の中で寂しさというのは、常に家族の喪失感とセットであった。でもこの時、寂しさと同時に花の頭へ浮かんできたのは家族ではなく陸の顔だった。もう戻らない家族ではなく、浴場を出て部屋へ戻ると待っている陸。近づこうとすればする程離れていく家族ではなく、離れる選択をさせまいと常に手を握り傍にいてくれる陸。会いたい、会って抱きしめたい、離れたくない、傍にいたい。
陸への想いが溢れた瞬間花は風呂から出た。身体もしっかり拭いていないし、髪は間違いなくびしゃびしゃだった。関係なかった。旅館の通路を走れないのがムズ痒く、陸への想いは更に強まっていく。あの通路を曲がれば二人が泊まる部屋がある。
部屋の前で陸が待っていた。花は陸の胸に飛び込むと陸がひしと抱きしめた。
「陸!どうして!?」
「どうしてというか、どうしてもかな。どうしても、一秒でも早く帰って来ないかなって思ってた。」
「私もどうしても陸に伝えたいことがあるの!聞いてくれる?」陸は花を胸に抱いたまま部屋へ入った。
机を挟み向かいあって座ると、花は先程の自分の様子を思い出し恥ずかしさに顔を伏せた。
「急に恥ずかしがんなよ、伝染るだろ……」陸の言葉に顔を上げると、反対に陸が顔を伏せてしまった。すると花は何故か気が楽になった。
「聞いてほしいことっていうのはね、私本当はこの旅行に来るのが凄く辛かったってことなの。」陸の顔は見えないが、花が発した言葉に表情が翳ったように感じた。花は慌てて続きを話した。
陸と東京に行くと家族と離れる気がして怖いこと。前に家族でここへ来たこと。ここへ来れば前に来た時の思い出が蘇るかもしれないと思いきたこと。そしてこの旅行の間で、陸に着いていくか地元へ残ろうか決めるつもりだったこと。そして最後に陸と一緒に東京へ行きたいこと。
言葉の整理もしないまま急ぎ話したせいが花は息を切らし、話し終わったところでやっと息をついた。目の前の陸はいつの間にか顔を上げていて、困惑と喜びとが混じったような、見た事のない表情をしていた。
「花、話してくれてありがとう。そして色々気づいて上げられずにはしゃいでてごめんね。俺から言えるのはこれからも花と一緒にいられるのが嬉しくて泣きそうってことくらいかな……。」
「もう泣いてるじゃん、やめてよ伝染るでしょ。」二人は泣きながら笑いあった。
現在
「陸、もうすぐ花火の時間だね。」
「うん、でも大丈夫?最後の最後に花火大会って、辛くない?」
二人は明日東京へ発つことになっていた。既にアパートに荷物も移してありもっと早くに発つことも出来たが、最後にあの花火大会へ行きたいと花が言ったのだ。
あの旅行の後、花はこれまで引きずっていた家族への喪失感が妙になくなり、逆に今まで暗く淡々と生きていたことが申し訳なくなった。陸に話すと、ならせめて東京へ行くまでに沢山笑顔見せてこーぜ、と言ってくれた。
今日は午前中にずっと勤めてきた職場へお別れの挨拶へ行ってきた。
「寂しくなるねぇ。でも明るく送り出してあげなくちゃね。」一番お世話になった先輩がしみじみと言う。
同級生のお母さんで事情も知っているためかためか仕事面もプライベート面もよく相談に乗ってくれた。
「やっぱ恋する女性は綺麗になるもんだね、前より雰囲気も明るくなったし。」
花は確かに明るくなったが、恋愛だけが理由ではなかった。これからの人生、天国で見守る家族にはできるだけ沢山の笑顔を見てもらおうとあの日決めたのだ。
その後も学校や親戚に一通り挨拶にまわると、丁度良い時間になったので、祭りの始まる十八時頃から会場に来た。とりあえず思い出のイカ焼きを片手にぐるぐると回っていると花火打ち上げ十五分前のアナウンスが流れた。
「陸、もうすぐ花火の時間だね。」
「うん、でも大丈夫?最後の最後に花火大会って、辛くない?」
「思ったよりも大丈夫、陸のおかげかも。それにね、なんかこう思うんだ。あの日、本当は帰ってパパやママに楽しかったよ!イカ焼きも美味しかったよ!って言うつもりが言えなかったでしょ。そしてあの日が楽しかっただなんて私も思えない。だから今日どれだけ私が花火大会を楽しんでいるか、好きな人と一緒にどれだけ幸せな気持ちでいるのか見てもらおうって。」
「うわ、そう言われると緊張してきた!正装に着替えてこようかな。」
「何言ってるの?きっとパパもママもお兄ちゃんも陸のこと認めてるよ。昔ママに言われたことあるもん、花は本当に陸くんのこと好きね。さっさと告白して付き合っちゃいなさいよって。」
「なにそれ聞いてない!!」二人でふざけて小突き合いをしていると、花火の時間になった。
赤青緑、星型ハート型、花の形なんていうものもある。
「花!!!」花火の音に消されないように陸が耳に口を寄せ声をかける。
「なぁに!!!」
「実はやりたかったことがあってやってもいい!!!?」
「よく分かんないけどいいよ!!!」陸は顔を離し花を真正面から見つめた。
「花!○○○○○○!!!」
色とりどりの花火が空を彩っている。
「何言ってるか分かんない!!!」
そう言いながらも、花の顔は紅く染まっていた。
前々から小説を書こうとしては途中でやめ、書こうとしては途中でやめ、という感じで最後まで書き終えたことがありませんでした。
超大作を書こうとせずに短編でもいいから何か書き上げてみようと書いた作品です。
文法や文章のルールから拙さが滲み出ておりますがよろしくお願いします。