風の見習い
今日でようやくメディシナの御遣いからも解放される。
最後の御遣いは例の代名詞への届け物。そういえば得意客だと言っていた。
「あの人どこにいるかな? アジトの場所知らないし」
「なんだ。お前さん妙に顔広いな。恐怖の代名詞も知り合いか?」
「まぁね。不本意だけど、いろいろ知り合いが増えていくんだ」
「へぇ、面白いな。セシリオなら、俺との取引のときは決まって酒場で待ってる。けど、あいつは遅刻を嫌う。待つのは嫌いじゃないらしいがそれでも取引の時間が予定と変わるのを嫌う。くれぐれも遅れるなよ」
「うん。あの人怒ると怖いと思うから」
怖いどころじゃねぇよとメディシナは言う。
「無料奉仕で殺されないように気をつけるんだな」
メディシナの言葉にゾクリとする。前に会ったときは感じなかったが、確かにセシリオ・アゲロと言う人物が噂通りならそういうことも起こりうる。恐怖の代名詞は伊達じゃないのだ。
「行って来る」
「ああ」
覚悟を決めてラウレルを飛び出す。
向かう先は例の酒場だ。
何故かは解らないが、酒場に行けば、あの三人が揃っているような気がして、足取りが軽くなる。
もしかしたら、自分はあの人たちをアラストル程には気に入っているのかもしれないと思い始めた。
勢いよく酒場の戸を開く。
「おや、またお前ですか」
いつもの席でタロッキを広げていたスペードが真っ先に声を掛けてきた。
「やぁ、久しいね」
「あれ? セシリオ・アゲロは居ないの?」
ウラーノの声も無視して辺りを見回す。
「おや、セシリオに用ですか?」
「うん、御遣い」
見回してもあの赤毛の男は見つからない。
「お馬鹿さん、セシリオなら居るでしょう?」
「え?」
おかしそうに笑うスペードに戸惑う。どこを探しても、赤毛の男は見つからない。
「おや、気付かれないとは僕もまだ捨てたものじゃありませんね」
「え?」
どこかで聞いた声は、スペードと背中合わせに座っていた女性からした。
「久しいですね」
そう言って微笑む顔はどこかで見たことがある気もするけれど、全く思い出せない。
「あの、どちら様ですか?」
失礼ですが、と訊ねると、彼女だけではなく、二人も笑い出す。
「僕ですよ。全く……メディシナから何も聞いていないのですか?」
「え?」
まさかとは思うけど……。
「嘘……この超美人がセシリオ・アゲロ?」
瑠璃も割りと美人だとは思っていたけれど、言われなかったら気付かないくらい美人だ……。
「くすっ、良かったね、セシリオ」
「別に嬉しく有りませんよ。全く、何故僕がこんな格好をしなくてはいけないのでしょうね」
「セシリオ、誉められたのですから受け取っておけばいいでしょう?」
不服そうなセシリオをからかうように二人は言う。
「えっと、なんでそんな格好を?」
「仕事ですよ。ったく、顔が知られすぎているのも問題ですね。ああ、あなたには関係有りませんが、仕事でこの姿のときはデイジーと名乗っています」
喉元さえ隠れていればあまり違和感が無い。そもそも彼はそれほど声が低くは無い。中性的な声と外見はこういうときに役に立つのかと納得する。
「ウラーノは昔、本気でそのデイジーを口説いたことがあるんですよ」
「へぇ」
スペードが面白そうに言うのでウラーノを見る。彼もまた笑っていた。
「今だって思うよ、とても綺麗だって。かなり好みかな。こういうの」
そういうウラーノの気持ちも解らなくもないけれど、呆れる。
「確かに綺麗だけど、男だよ?」
「別に構わないよ」
「クレッシェンテでは同性結婚も認められていますからね」
へぇ、そうなんだ。って。
「セシリオは妻子持ちじゃん」
「そこが問題なんだ」
冗談なのか本気なのかはわからないが、ウラーノは残念そうに言ってみせる。冗談であることを願いたい。
「馬鹿なことばかり言っていないで、本題に入ってください」
「あ、忘れてた。この荷物で間違いないよね?」
「ええ、代金はあなたに払えばいいのですか?」
「いや、なんか信用されてないみたいで、部下にでも届けさせるように伝えとけって言われた」
荷物を渡してそう告げれば、セシリオは納得したようで、奥のほうへ声を掛ける。
「アンバー」
「はい、マスター」
すぐに蜂蜜色の髪の、多分私と同じくらいの年の男の子が来た。なんだか小動物みたいで可愛い印象を受けるが、彼もまた、あのクレッシェンテの瞳をしてる。
「メディシナのところに金を届けてください」
「はい、すぐに」
「いくらでしたか?」
確認するようにセシリオが私を見ると、アンバーと呼ばれた彼も私を見たので、一瞬目が合う。
「可愛い……」
彼が何を見てそう言ったのかは解らないが、メディシナに持たされた請求書をセシリオに渡す。数えたくないほどの桁数があるそれを見て、セシリオは「こんなものでしたか」と顔色一つ変えずに言った。
「……暗殺者ってみんなそう金持ちなの?」
「いいえ。僕ほどになると部下への報酬からも何割かの収入がありますからね」
仲介料みたいなものです。と彼はあっさりと言ってみせる。けれど、瑠璃もかなり高収入があるみたいだったし、アラストルだってあんな襤褸アパートで生活しているけど最新だという自動車を購入するとかそういうことを言っていたから金はあるのだろう。
「あの、マスター、あの子は?」
「ああ、気になりますか?」
アンバーと言う彼が、興味深そうに私を見るのをセシリオは楽しんでいるようだった。
「えっと、はい」
彼は恥ずかしそうにそう言う。なんだろう。彼にはあの、クレッシェンテ人特有とも言える、どこか余裕のある雰囲気が全く無い。どちらかと言うと同世代の普通の男の子といった印象を受ける。
「残念だけど、この子はスペードのお気に入りなんだ」
「ウラーノ、妙なことを吹き込まないで下さい」
からかうように言うウラーノに少し不機嫌そうにスペードが言う。
「事実でしょう? スペードがお前なんて呼ぶときは相当気に入っている証拠ですよ。何より、スペードがお馬鹿さんなんて呼ぶのはこの子だけでしょう? リリムにすらそんな呼び方をしたことは無い」
「それはリリムはここのお馬鹿さんと違って優秀だからですよ」
とりあえず馬鹿にされていることだけはわかる。けれどもここの化け物三人組に気に入られていると言う事実は嬉しいかもしれない。
「素直に認めなよ。独占したいくらいこの子が気に入ってるって。聞いたよ。この子にジュースを奢ったって。スペードが人に物を奢るなんて天変地異の前触れかと思ったよ」
ウラーノは楽しそうに言う。アンバーは困ったようにセシリオとスペードを見て、それから私を見た。
「嬉しくないな。保護者は一人で十分だよ」
「ええ、あのアラストル・マングスタでしょう? 彼以外にお前の保護者を出来る人間はいませんよ」
「彼はかろうじて人間だからね」
今、とても恐ろしい会話を聞いた気がする。
「やっぱり三人揃って化け物だったんだ……」
「お馬鹿さん、この国である程度力を持っている者は皆人間を捨てているようなものです。きちんと勉強しなさい」
「じゃあ、スペードが先生って事で」
「何故僕がそんなことをしなくてはならないのです。高くつきますよ」
「うわぁ、子供からお金取るんだ」
「子ども扱いされると怒るくせに都合が悪くなると子供だと主張するんですね」
「それがこの年代の特権ですから」
マージナルマンとか言うらしいこの年代の特権であり、一番納得のいかない扱いを受ける部分。
「本当にスペードはこの子が気に入っているようだね」
「黙りなさい」
「アンバー、スペードと勝負してこの子を勝ち取れれば幹部に昇格させてあげてもいいですよ」
セシリオは冗談交じりにスペードに目配せしながら言う。
「マスター、無茶言わないで下さい。カトラスAに敵うはずないじゃないですか」
泣きそうな表情で言う彼を見て、思わず可愛いと思った。
「誰も、戦闘で勝てとは言っていませんよ? 賭け事だろうが、飲み比べだろうが、暗殺だろうが好きな方法で勝負して勝てばいいんです」
「賭け事じゃ勝てません」
どうやらセシリオは彼をからかって遊んでいるようだ。
「本当に、あなた、うちに来ませんか? 御遣い程度の仕事で構いませんから」
「お断りします」
全く、どさくさに紛れて勧誘とか酷いな。
「時の魔女を見つけるのが先ですから」
「ああ、そうでしたね。で? スペードの弟子になるんですか?」
「そんなお金は無いので考えておきます」
アラストルから貰ってるお小遣いだけじゃ彼に教えは乞えないだろう。自分で高いって言ってたし。
「残念だな。スペードとアンバーの勝負は楽しそうなのに」
「ナルチーゾ伯……勘弁してくださいよ」
「僕は構いませんよ。もっとも、このお馬鹿さんをアンバーに取られようが僕には関係有りませんがね」
「本当は取られたくないくせによく言いますね」
セシリオは呆れたように溜息を吐く。
「じゃあ、私が勝負に挑んでみましょうか?」
「何を賭けて、誰に挑むんですか?」
セシリオが面白いと言わんばかりに私を見る。
「そうですね。じゃあ、ここのデイジーさんを賭けてアンバーに挑みますか」
冗談交じりに言う。
「お前は怖いもの知らずですね。まさか三代恐怖を引き出すとは」
「嫌だな。私が賭けるのはセシリオ・アゲロではなくデイジーと言う赤毛の女性ですよ?」
そう言ってセシリオを見ると彼は腹を抱えて笑っていた。
「本当に、あなたは面白い。是非ディアーナに欲しい。きっと僕の奥さんや娘達も気に入るはずです」
「お褒め頂き、光栄です」
あまり嬉しくは無いけど。
「さて、保護者がうるさくなる時間なので私は帰りますよ」
「おや? もう帰ってしまうのかい? 送っていくからもう少し居るといいよ」
「ありがとう、ウラーノ。でも、もうあそこに缶詰は嫌だから帰るよ。また会いましょう」
キラキラと輝いている伯爵は少し不満そうな表情をするけど「気をつけるんだよ」と言ってくれた。
「スペード、送ってあげなくていいんですか?」
「何故僕が」
「本当は心配なんでしょう? この子が」
「別に」
子供のように言い合っているこの二人が百年以上生きているなんて信じられないけれど、それが化け物だって呼ばれる理由なんだろう。
「いいよ、一人で帰れる」
「ほら、本人も言っています」
「素直じゃありませんね。では、アンバー、御遣いついでにあの子を送ってあげてください」
「結構です」
だってアンバーは凄く困った表情をしている。
「寄り道をしてはいけませんよ」
「はいはい。スペード、なんかアラストルそっくりだよ」
「黙りなさい」
成程、確かに私の保護者をしてくれる「人間」はアラストルだけだ。
でも、ここの化け物三人も、一応保護者になってくれているのかもしれない。
「スペードはどうせいつもここに居るんでしょう? たまに遊びに来るよ」
「来ないでください」
でも、ここに居るということを否定しないってことはきっといつもここに居るんだ。
「じゃあ、またね」
「もう会いたくありません」
スペードはそう言うけれど、本当はそう思っていないことくらい知っている。いや、もしも本当にそう思っていたとしても、きっと私は彼に嫌がらせも兼ねてまた会いにくると思う。
酒場を出る。
これからアラストルの待っているあの襤褸アパートに帰るというのに妙に寂しい。
「なんだ、結局私もあの場所が好きなんじゃないか」
あんなにも嫌いだったはずなのに、少し恐怖を感じていたはずなのに。
何でだろう。もう、ずっと一緒に居る家族にも似た感覚がある。
「時の魔女、悔しいけど感謝するよ。だって、この国もこの国の人たちも好きだもん」
そうだ、今度あのアンバーに会ったら謝っておかなきゃ。からかってごめんって。
だって、きっと彼はあの化け物たちとは違って、凄く純粋な心を持っている。なんだか凄い悪いことをしたような気分だ。
「ただいま」
「ああ、遅かったな」
アラストルのアパートに戻ると、ココアの香りがした。ついさっきまで誰かが居たようにカップが並べてある。
「また行き違いか」
「ああ、これから仕事だと言っていた」
「それは残念。早く会いたいのに」
過去で一度だけ見た少女。きっと変わらず可愛らしいのだろうと思う。
「ねぇ、アラストル」
「なんだ?」
「玻璃って可愛い?」
「はぁ?」
「リリアンも可愛かったけど玻璃も可愛かったからきっと今頃かなり可愛いんだろうなと言う予測」
「なんでお前がリリアンを知ってるんだよ」
怪訝そうにアラストルが私を見る。
「秘密。で? 玻璃は可愛い?」
「さぁな。生意気で我侭なことは確かだ」
アラストルはそれ以上教えてくれなかった。
「早く会いたいな」
どうしてこうもすれ違って会えないのだろう。
まだ会うときじゃないのだろうか。
きっと時の魔女だけが私の未来を知っているんだろう。
そう思うとなんだかじれったくなった。