子連れの神父
あの一件のあと、アラストルは私を「御遣い」には行かせたがらなかった。何せ勝手に過去やら異世界やらに飛ばれては困るとのことだった。ということは一応は心配してくれているのだ。本当に保護者になってくれるとは思っていなかったので驚いてはいるが、嬉しくも思うのが事実だった。
「おい」
「なに」
「不本意だがお前にご指名だ。ルシファーからな」
「へぇ、珍しいね」
まさかあの悪魔様から直々にご指令を頂けるとは思わなかった。ここ最近は顔も出していないのに。
顔を出した時ならついでと言うのも納得しようと思えば無理にでも納得できる。だけども、今の私は完璧にアラストルの襤褸アパートに缶詰状態なのだ。やることと言えば家事と書類整理くらいで退屈な日々を送っている。
「ルシファーの奴は相当お前が気に入っているらしい」
「へぇ、そうは思えないけどね」
まぁ、それなりには気に入ってもらえているのだろう。彼が愛情とかそういった感情を周囲に見せる人間ではないことくらい一目見れば解かる。唯一彼から発せられるそういった感情を受け止められるのがリリムと言う女性なのだろう。
「で? その御遣い内容は?」
「お前、大聖堂に入ったことあるか?」
「あるよ」
「あそこに居るいかにも悲観的な顔をした女にこれを渡してきてほしい」
いかにも悲観的な顔をした女と言うのはおそらく朔夜のことだろう。確かに彼女は悲観的なのかもしれない。だけど、その表現はどうかと思う。
「女性に向かって失礼だね。アラストル」
「うるせぇ、さっさと行って来い。それと、寄り道するんじゃねぇぞ」
「はいはい、って私は小学生かよ」
悪いけど親にもそんなことは言われたことがないと思いつつも、アラストルが首を傾げている隙に襤褸アパートを飛び出した。
大聖堂は相変わらず奇妙な重々しい空気を持っていた。ここは神聖な神の家であると同時に、さまざまな哀しみを背負った場所なのだと思う。
「おや、珍しい。何か御用ですか?」
男が居た。年の頃はアラストルと同じくらいだろう。漆黒の衣を身に纏っている彼はジルとはまた違った厳かな雰囲気を纏っている。
「朔夜を探しに来ました。御遣いを頼まれていて。失礼ですが貴方は?」
「アルジズと申します」
何というか、一瞬でアラストルと同類の気配を感じた。保護者なのだ。きっと彼がここの主なのだろう。
「ああ、朔夜ならいらっしゃいましたよ」
アルジズは入口を見て言う。
「まぁ、あなたは」
朔夜は驚いたように私を見て、それから嬉しそうに微笑んだ。
「玻璃ちゃんは見つかったかしら?」
「またすれ違いました」
「そう、それは残念ね。それで、私に何か用かしら?」
待っていたのでしょう? と朔夜は微笑む。私は慌てて包みを渡した。
「ルシファーが朔夜に渡してほしいって」
「まぁ、どうせセシリオにでしょう? 彼、いっつもそうなの。セシリオに渡したいものをわざわざ私に渡すのよ。素直じゃないでしょう? しかも差出人の名前はいつもリリムなの」
朔夜が呆れたように笑って差出人の名前を見せる。確かに差出人はリリムになっていたが、その文字はリリムのものではなかったし、アラストルのものでもなかった。おそらくは他の部下にでも書かせたのだろう。なにせルシファーの文字は彼の名前以外はとてもじゃないけど他人が読める文字ではないのだ。
「ルシファーって良く分からない」
「セシリオと似てるのよ。お互い素直じゃないの。ただ、セシリオの方が少しだけ目に見える形で部下に気を使えるって感じかしら? でもハデスも結束は固いのよ」
「うん。アラストルを見てれば解かるよ」
そう言ってふと気付く。ここに来てから本当に随分沢山の人と出会った。そしていろんな組織を見て来たのだ。
「朔夜」
「なぁに」
「私、やっぱりこの国が好きだな」
「え?」
「だっていろんな人に会っていろんなことを知れる。なんだか、帰れなくてもいい気がしてきた」
居心地が良いとは思っていた。だけども、それ以上にここに居る人たちが好きなのだ。
「ダメよ。一度はもとの世界に戻らなきゃ」
「でも、戻ったらこっちに来れなくなるかもしれない」
自分でも不思議だった。隠しておこうと思っていたはずの異世界人であることを何も考えずに口に出してしまったことが。それでも、朔夜が何事も無かったかのように受け止めてくれたことにも驚いている。
「ここに来る人間は皆、大きな秘密を抱えている」
「え?」
突然口を開いたアルジズに少し驚いた。だけれども、彼の眼は真剣だった。それと同時に、彼は全てを包み込むような空気を持っていた。
「ここで打ち明けられた秘密は守られる」
「ええ、だからここで罪を告白するの」
朔夜がここに来ているのは懺悔の為だったのだと思うと少しばかり驚いたが、それでも彼女を見ると納得せずにはいられない。
不意に扉が開かれた。
「パパ、お客様がお見えよ」
「ベルカナ、済まないが少し待たせていてくれないか?」
「うん。でも、はやくしてね」
ベルカナと呼ばれた少女はリリアンよりさらに幼かった。おそらくは六歳前後だろう。少し背伸びして大人っぽく振る舞おうとする様子が何とも可愛らしい。
「御子さんですか?」
「ええ、ベルカナと言います。今年で六つになりました」
「可愛らしいですね」
まだ、この国にも子供が居たのだ。その事実に驚きつつも、当たり前だと思う。国があれば民が居る。民が居れば当然子供もいるのだ。
「アルジズ、お客様の所に行かなくていいの?」
「そうだね、行かないと。でも、異世界の人、あなたにひとつ言っておかなくては」
「なんですか?」
彼は深く息を吸う。
「国の家族を悲しませてはいけない。あなたの親は今頃あなたをさがしているかもしれない」
アルジズはそう言って聖堂を出て行った。
彼の言葉は深く突き刺さった。それはきっと、親からの言葉だからかもしれない。彼は聖職者である前に一人の親なのだ。
「ああ、忘れてた」
「え?」
「なんか、こっちが私の居場所のような気がしてたけど、向こうには母が居るんだなぁって思って」
アラストルがあまりにも立派に保護者をしてくれているから彼がもともと保護者だったような気になっていたけれど、元の世界には仕事人間の母が居る。
一日中顔を見ない母だった。メモ用紙のみでコミュニケーション。だけど、確かに存在していた。
「帰り道、探してみる」
「ええ」
「迷ったらまたアルジズに会いにくるよ」
そう言って大聖堂を出る。
もうしばらくはアラストルに世話になるかもしれない。だけど。
一刻も早く、玻璃を探そう。
一度は過去で見つかった。
だったらこの時間でも見つかるはずなんだ。
もしも、あっちに戻ってもう一度こっちに来れるなら、その前に母さんに一言くらい言わないと、この前のアラストルみたいに拳骨を貰うかもしれない。
だけど、それも悪くないと思えてきた。