灰の聖女
近頃は、無茶な『お遣い』もなく比較的平和に過ごしていた。
いや、この犯罪大国において『平和』という言葉は些かおかしいかもしれない。なにせ日常的にスリや恐喝の被害には遭いそうになる。
尤も、私だってもう立派なクレッシェンテ人と言っても過言ではないほど、例の悪魔や代名詞殿等により無茶な遣いや保護者の三十路から教わった防犯対策等によりそれなりに自分の身は守れる。
そのお陰か、些か態度が大きくなった気もするがそのあたりは愛嬌と言うものだ。
今日は前に、三十路もといアラストルに聞いた大聖堂に訪れた。
国を知るには宗教から、といった一般的な考えが一切通用しないクレッシェンテにおいて、唯一の宗教施設ともいえるこの大聖堂。
王都ムゲットにのみ存在するそれは、人が集まる噴水広場の奥に厳かな雰囲気を醸し出しながら佇んでいた。
「うわぁ……清水寺とはまた違った雰囲気だ」
元々宗教とは縁が無かった私は修学旅行で行った清水寺と伏見稲荷以外では地元の小さな無人の神社くらいしか宗教に関する建物に足を踏み入れたことなど無かったが、そこは教科書の隅に載っていたキリスト教の教会と言うものに酷似していた。
美しい彫刻や絵画やステンドグラスで彩られてはいるものの、どこか厳かな雰囲気が漂う。
見るからに神聖な場所といった空気だった。
「すみません、失礼します」
誰に言うわけでもなく、建物自体に挨拶するように言葉を発し中に入る。
窓から入る光が煌いて、より一層神聖な雰囲気を醸し出している。
祭壇には何やら鏡のようなものが置いてある。
「一体何を祀っているんだろう?」
建物自体はキリスト教の教会のように見えるのに、祭壇にあるのは神社にあるような鏡。
いや、ああいう飾気の無い鏡ではなく、ゴシック風の飾りが施されている。
「あら? 珍しいこと」
鏡を見つめていると女性の声がした。
「あ、すみません」
「どうしましたか?」
「ここは何を祀っているのですか?」
まるで聖女のような女性だった。
だけども、彼女が身に纏っているのはごく普通の庶民の服。
聖職者ではないようだ。
「ここは、光の神を祀っています」
「光の神?」
「ええ、光の国にいらっしゃるという万能の光の神です。神は私達の罪をお許しになるだけの慈悲深いお心をお持ちになられていて、罪を告白すれば罪は許され、良きことをすれば光の国にお招きくださると」
宗教と言うのはどこも似たような考えを持っているのだなと思いつつも、この犯罪王国で罪を告白することへのばかばかしさを感じてしまう。
だけども彼女は真剣なのだ。
それが痛いほど伝わる。
「あなたは何故ここに?」
「興味があったもので。とても美しく見えました」
嘘ではない。
外から見たらとても美しく見える建物。
だけども、中に入ると少し重い空気がある。
きっとこの厳か過ぎる空気は私には合わないのだろうと思う。
「人を探しています」
ぽつりと呟くと、彼女は微笑んだまま続きを促す。
「もう一月以上探しているのに全く見つかりません。一度すれ違いに、私が世話になっている家にその人が来たらしいのですが、私は会うことが出来ませんでした」
「まぁ。どなたを探しているの? 私でお手伝いできるのでしたらお手伝いさせてください」
「玻璃という名の女性を探しています。一度も会ったことが無いのでどのような方かは知りませんが、黒い髪の少女という表現でも違和感の無い方だと聞いています」
私がそういうと、彼女は一瞬警戒したように私を見る。
「玻璃ちゃんを? 一体何の御用で?」
「ただ、会うだけです。会って話す。何の意味があるかは分かりませんが、ただ会って話をしてみたいのです」
そういうと彼女は不思議そうに私を見る。
「そう、ですか? 彼女は私の妹なのですが、なかなか家には戻ってきません。転々と、気の向くままに過ごしているのでしょうね。ひょっとしたら宮廷騎士の方のところに居るかも知れません」
「ジルに聞いても来ていないといわれてしまいました」
「あら? 宮廷騎士団長をご存知?」
「はい。お世話になっています」
そう、と彼女は笑う。
「あなたが彼女を見つけたら、私にも教えてくださる?」
「はい」
そう答えると、彼女は思い出したように言う。
「あら、ごめんなさい。私、名乗りもしないで。私は朔夜と申します」
「では、朔夜。また会いましょう」
きっとまた。
そう告げて大聖堂を出る。
入り口からもう一度彼女の方を見ると灰色の光に包まれているように見えた。