見回り、そして見合い
このお話はファンタジーです。
世界観や設定はゆるっとふわっとしております。
舞台となっている国ではそうなんだ、と思って下さいませ。
日本海溝のように深い優しさと大空のように広い心でお読みいただけると幸いです。
長くなりましたので、お時間のあるときにゆっくり読んで頂けると嬉しいです。
燦燦と降り注ぐ暖かな陽光が差し込む、机が複数並んだ部屋の中。ノモナコ王国第五騎士団の詰所で三人の団員が書類を捌いていた。
一人は体格が良く大柄な男性で、短く刈り上げられた黒髪に紫色の瞳、日に良く焼けた小麦色の肌をしており、手が大きく、指が太いせいか筆を持ち辛そうにしながら書類へ署名していた。
着ている服は明るい赤色を基調とした騎士団の団服で、胸元に団長位を示す、猟犬の紋章が入った徽章が付けられている。
その隣に並んだ机には真っ赤な燃えるような髪をポニーテールにして、勝気そうな翡翠色の瞳をしたやや小柄な女性が座り、細い指で筆を走らせていた。しかし、ときどきその手は止まり、うーうーと唸り声を上げてはまた手を動かすという事を繰り返していたが、とうとうその手が完全に止まってしまい頭を掻き毟りながら天を仰いでしまう。
「うがぁぁぁぁっ、目が痛くなるっす! というか書類の書き過ぎで指が痛いっす。だんちょぅぉぉ、書類辞めて外回りに行きたいっすよぉ……もう文字を見るのも書くのも嫌になったっす! お外に連れていって欲しいっす!」
「我慢しろ、リアオノ! 散歩をねだる犬か、お前は」
「わんわんっ!」
外に行きたいという相手に呆れたように犬かと言えば、犬の真似を返された団長と呼ばれた男はそっと手を相手の前に出す。
「お手」
「わんっ!」
「おかわり」
「わんわんっ!」
男の差し出した手に元気よく片手を乗せる相手に、そっと反対側の手を差し出すと、そちらへも元気よく片手を乗せていく。
「ちん……」
「ミヤキ団長、それ以上いけない。というか、リアオノ副団長も夫婦漫才なら余所でやって下さい」
最後の一人、背中の真ん中くらいまで伸びた金髪に、焦げ茶色の瞳。眼鏡を掛けた、他の二人に比べて若干細身で、すらすらと流暢にこの中で一番早く書類を捌いて書類の山を順調に減らしていた青年が、書類を捌く手を休めることなく冷たくツッコミを入れる。
青年の団服には胸元に団長補佐であることを示す徽章が付けられており、女性の胸元には副団長であることを示す徽章が付けられていた。
「「夫婦じゃない(っす)!!」」
「息ぴったりじゃないですか、まったく。そもそも、お二人に回した書類はそこまで面倒なものじゃないでしょう。私の方で決済出来ない書類か、お二人に目を通して貰って後はサインをするだけにしたものなんですから、処理も難しくないでしょうに」
二人がぴったりと息の合った返事をしたところでようやく書類から顔を上げ、筆を置いた青年は眼鏡の位置を調整しながらじっと呆れたようにツッコミを入れて二人を見つめる。
そして、二人の机の上に積まれている書類の山を見ては眼鏡を外し、ハンカチを取り出して拭いてからまた掛け直してまじまじと書類の山を確認する。
「驚きました、想ったよりも書類を終わらせていたんですね。それだけ減らしているなら、警邏に行って頂いて構わないですよ。早めに処理して欲しいところまでは終わらせているようですし。残りは戻られてからでも十分に間に合いますから」
「ツオブシ、書類の山を見ただけで分かるっすか?」
「当たり前でしょう。その書類の下準備をしたの、誰だと思っているんです。それに、最低限、終わらせて欲しいところに付箋を付けておきましたからね」
そう言われてミヤキとリアオノが書類を見ると、処理した書類の中に付箋が貼ってあることに気付く。大体、全体の三分の二くらいのところに確かに付箋が貼ってあった。
「と、言う訳ですのでお二人とも。警邏に行って来て頂いて大丈夫ですよ。うちの騎士団は王都の警邏が任務の一つですから、さぼってるということにはならないですし。ミヤキ団長自ら警邏に出ていれば王都の住民も安心するでしょう」
「ツオブシはどうする? 一緒に来るか? もう少しで書類も終わりそうだし、何だったら待ってるが」
「待ってる間、書類を片付けてくれるんだったら待って頂いてもいいですが。そもそも、私まで出たら何かあった時に対応出来る人間がいなくなるでしょう。遠慮なくお二人で出て頂いて構わないですよ」
自分を待っている暇があるなら、書類を片付けて欲しいと言う言葉にリアオノがポニーテールを揺らしながらぶんぶんと勢い良く首を左右に振って、ミヤキの腕をドアの方へと向かい引っ張っていく。
書類を片付けるのが嫌になったから外に出たいのに、待っている間に書類仕事をしないといけないのは絶対に嫌だと顔にしっかりと書いてあった。
「団長! ツオブシが折角こう言ってくれてるんすから、今行きましょう、今すぐ行きましょう、早く行きましょう!」
「分かった! 分かったから腕を引っ張るんじゃない。それじゃあ、ツオブシ、留守番を頼む。土産に何か差し入れを買って来るからな」
「それなら、アンパンと焼きそばパンをお願いします。では、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
素早くドアを開け、行ってくるっすーすーすーすーとドップラー効果が起こりそうな勢いで部屋を出ていくリアオノとパンのリクエストに分かったと頷くミヤキを見送り、ツオブシは小さく溜息を零す。
「本当に散歩を待ちきれない犬とそれに引っ張られる飼い主ですね。書類仕事が嫌なのも本当でしょうが、二人きりのお散歩を邪魔されたくなかったというのもあるんでしょう。さて、私はもうひと頑張りして二人が戻って来る前に書類を終わらせてしまいましょうか。人が仕事をしているのを見ながら楽しむティータイムは最高ですからね。買って来て貰ったパンのお供はホットミルクにしましょう」
第五騎士団書記官ツオブシ、団長をパシリに使うことになんら遠慮をしない男であった。
がやがやと賑やかな大通り、人々の喧騒の中を、腰の左右に金属製の警棒、後ろに縄、枷、手錠といった拘束用の道具の入った袋という警邏時の標準装備で二人は街の中を並んで歩く。
「いやー、天気が良くて良かったっすね。絶好のお散歩日和っす。あ、団長、あそこの串焼き、美味しそうっすから食べていかないっすか?」
「散歩じゃなくて警邏だ。それに、職務中に買い食いを上司に勧めるんじゃない」
「えー、かたいこと言いっこなしっすよ、団長。それに買い食いくらい団長だって時々してるっすよね? 買って来るからちょっと待ってて欲しいっす」
「あ、こら! 全く、あいつは……」
完全にお散歩モードになっているリアオノに困った奴だ、と溜息を零すミヤキだったがどこか楽し気な表情を浮かべていた。
串焼きを売っている屋台の方へと歩いて行きながら、周りを見回す。賑やかで活気に満ちていて、人々の顔に陰りはなく、明るいことにほっとする。この人々の笑顔を守るのが騎士団の仕事であり、人々が笑顔であることが、自分達の誇りであるからだ。
「団長ー、買って来たっすよ。ほら、おひとつどーぞっす」
「おっと、悪いな。ほれ、お駄賃だ。ん、ほぉ、なかなか美味いな」
「美味いっすねー!」
串焼きの代金を二人分渡して、串焼きにかぶりつく。甘辛いタレの味と肉の味、歯応えも好みの硬さでなかなかイケる。今度、見回りをするときにまた買うのも良いだろう。
暫く、もぐもぐと串焼きを食べながら歩いていると、一足先に食べ終わったリアオノが思い出した! と言うような表情でこちらを見上げてくる。
「団長、今度の月末、申し訳ないっすけど休みを貰ってもいいっすか? 実家の方から帰ってくるように言われてて……本当は帰りたくないんすけど」
「もちろん、それは構わないぞ? ツオブシに休暇申請書を出しておくといい。それにしても、実家に帰りたくないのか。家族と何か折り合いでも悪いのか?」
事前にきちんと申請しておいてくれれば、休暇を取るのはもちろん構わない。というか、上の人間が休まないと下の人間も休みにくいからということで推奨しているぐらいだ。
そして帰りたくない、というリアオノに尋ねながらも言いたくないなら言わなくてもいいぞ、と視線を向ける。
「折り合いが悪いって言うか、どうせお見合いさせられるんだろうなーって。私は騎士として身を立てて行くから、結婚はしないって言ってるっすのに。季節の折々で帰るたびにさせられるんすよ? もう、いい加減うんざりっす、というか諦めて欲しいっす」
「なるほどなぁ、見合いか。つまり、リアオノがドレスを着てつんとお澄まししてるってことか。ぷっ、ははっ! 知り合いが見たら誰だこいつってなりそうだな?」
「何がおかしいんすか、団長。笑い事じゃないっすよ? お見合いして結婚したら、可愛い副団長が退団しちゃうかも知れないんすよ? 団長はそれでもいいんすか?」
ドレス姿で澄まし顔をしているのを想像して、思わず笑ってしまったミヤキに憤慨して、げしげしと脛にローキックを入れるリアオノ。
それに対して大して痛そうな素振りも見せない様子に、ぶーっと頬を膨らませるリアオノ。その頬を指先でつつきながら、まだ肉の残っている食べかけの串焼きをミヤキが差し出す。
「まるでフグみたいだな? ほら、これをやるから機嫌をなおせ」
「むぅ、食べ物で機嫌を取ろうなんて子供扱いしないで欲しいっす。頂けるんだったら頂くっすけど」
ほんのりと頬を赤らめながら串焼きを受け取り、小さく団長の……と呟きながら残りの肉を大事そうにちびちびと食べ始める。
よっぽど串焼きが気に入ったんだな、とほんわかした目でリアオノを見つめながら、ミヤキが彼女の頭をぽんぽんと撫でると、ん-と嬉しそうに頭を手にすりすりと擦りつけてくるのを猫みたいだな、とミヤキは微笑ましげに見つめる。
「それで? 見合い相手は誰なんだ?」
「ストイスト・サデヒゾマっていう伯爵らしいっす。どうせ結婚も婚約も断るつもりっすけどね」
「おいおい、それは相手に失礼すぎないか? 家に迷惑がかかるだろう?」
「結婚しないって言ってるのにしつこい家が悪いっす。それに、見合いだけはするんすから一応は相手に義理は果たしてるから構わないっす」
それでいいのか? と首を傾げながら他家のことなので余り口を挟むのもまずかろうと、ミヤキはそれ以上は聞かないことにして、別の事を聞くことにする。
「騎士で身を立てたいっていうのは分かったが、何でそこまで結婚を嫌がるんだ? 確かに、結婚したら騎士を辞めてくれって言われるかも知れないが、意外と理解をしてくれるかも知れないだろう?」
「そんな奇特な人、いないと思うっすけど。それに、私には貴族としての社交とか、家の中を女主人としてまとめるとか、そういうの出来ないっすから。淑女教育が余りにも向かな過ぎて、貴族の令嬢として失格って言われたから騎士を目指したんすし。だから、そもそも家の都合で押し付けられる結婚とか無理無茶無謀なんすよ。そもそも肌だって日焼けしちゃってるっすし、もし旦那になる奴と喧嘩になったら私が勝っちゃうっすからね、私だとどうしても口より先に手が出るっすし。そもそも美人でも可愛くもない私を気に入るような男なんていないっす。伯爵さんも私を見たらお断りだって言うと思うっす」
そう言われれば、串焼きを歩きながら食べるところは令嬢らしくないし、肌は日焼けしてるしさっきもローキックをしてきたしと、そこはリアオノの言う通りだなとミヤキは頷いてしまうが、最後にだけは首を傾げる。
「そうか? 俺はリアオノは可愛いと思うがな。表情がころころ変わるとことか、嬉しそうにすると髪がしっぽみたいに跳ねたりするとことか。それにリアオノの良いところは元気で明るくて、人見知りしないところとかだしな」
「っな、なななななな、何を言ってるっすか、団長!? 私が、か、か、か、可愛いとか嘘ついたら駄目っすよ?」
「いや、俺は冗談は言うがこういう事で嘘は付かない方だぞって、どうした? 顔を真っ赤にして……なんだ、照れてるのか? ははっ、可愛いって言われて照れるなんて、やっぱり可愛いところがあるじゃないか」
どもるリアオノの方を見れば、耳まで真っ赤になっているのを見て楽し気に笑ってぽんぽんと頭を撫でるミヤキ。それに、あう、とも、はう、とも言えない言葉を漏らしてリアオノは俯いてしまう。
「あんまり可愛いと見合いが上手くいって婚約ってことになりかねないから、あんまりそういう顔をするんじゃないぞ、リアオノ」
「もっ、もうっ! 人の気も知らないで……団長なんて知らないっす! 私は先に行くっすからね!」
とうとう耐え切れなくなったのか、ばっとその場を走り去ってしまうリアオノ。その後ろ姿を見送りながら、どうせ後で騎士団の詰所で会うことになるんだがな、と苦笑いを浮かべるミヤキ。
「人の気も知らないで、か。人の気を知らないのは、どっちなんだかな。それにしてもサデヒゾマ伯爵家か、どこかで聞いたような気がするんだが……ちょっと調べておかないといけないな」
ぽつりとそう呟き、短い髪をがしがしと梳きながらミヤキはリアオノの後を追うように歩き出していった。
翌月頭、第五騎士団詰所では男が二人、黙々と書類を捌いていた。普段はもう一人が賑やかなので、しんとした部屋はどこか息苦しさを感じさせている。
「リアオノがいないとこんなにも静かになんだな」
「そうですね、副団長はいつも賑やかでしたから。とは言え、お二人ともやけにこの頃はぎくしゃくしていて副団長は静かでしたけどね。まぁ、副団長が団長と視線を合わせては顔を赤らめて視線を逸らして、という微妙に甘酸っぱい空気を醸し出してたせいで、見ていてうわぁってなりましたよ。見回りに出てからですよね、副団長がああなったのって。団長、いったい何をしたんですか?」
ツオブシがじとっとした目で見れば、困ったように溜息を零してミヤキは首を振る。
「いや、別に……何もしてないんだが」
「何もしてなくて、ああいう反応になったりしないでしょう。まさか、無自覚に……?」
ツオブシの言葉に、人聞きの悪いことを言うんじゃない、とそっぽを向くミヤキ。それを見てツオブシは深く深く溜息を零す。
「はぁぁぁぁぁ、まったく。団長と副団長がぎくしゃくしていたら、団の空気が悪くなりますし連携にも問題が出てくるんですからね? ほら、早く白状して下さいよ、面倒くさい」
「お前、仮にも上司に向かって面倒くさいはないだろう……? はぁ、ただ可愛いと思ってるって言っただけだよ」
「はい?」
ミヤキの言葉に、え? 嘘だろ、という顔になったツオブシは思わず聞き返してしまう。
「なんだ、そのハトが豆鉄砲喰らったみたいな顔は」
「どちらかと言うと、宇宙をバックに茫然としている猫な気分ですが。え、まさか本当にそれでお二人ともぎくしゃくしていたんですか? 団長、今お幾つでしたっけ?」
「三十だ」
「副団長が二十二ですから、えぇ……嘘でしょう? いい歳こいた大人が何をしてるんですか、十代の学生ですか、恋人いない歴イコール年齢ですか」
余りにも余りもな言葉に深く溜息を吐き、筆を置いてずれてしまった眼鏡の位置を整えるツオブシ。
そして机に肘を置いて、両手を組んでその上に顎を乗せてじっとりとした目でツオブシはミヤキを強く見つめる。
「それで? 実際のところ団長は、副団長のことをどう思っていらっしゃるんです?」
「いや、どう思っていると言われてもな……」
「ど・う・お・も・っ・て・い・る・ん・で・す・か!」
質問に口を濁すミヤキに、ツオブシは強い口調で詰問する。誤魔化しや韜晦は許さない、というような強い眼差しを向けてくるツオブシに、ミヤキはとうとう参った、というように両手を上げる。
「確かに、リアオノのことは好ましく思っているよ」
「それは、部下としてですか、それとも女性としてですか?」
「それは、だな、その、そういうデリケートなことは、こう……」
「もうそれが答えみたいなものでしょう。まったく、まさか団長がこういうことにそこまで奥手だったとは、びっくりですよ」
普段は即断即決、迷う事なんてない団長がまさか、というように肩を竦めて首を振るツオブシ。流石にその態度にむっとした表情を浮かべたミヤキは逆襲を試みる。
「そういうお前はどうなんだ、ツオブシ。お前だってリアオノのことは好きだろう?」
「上司としては好ましく思ってますよ? ですが、私には最愛の婚約者がおりますので。彼女が学院を卒業したら結婚する予定ですから、そういう感情は副団長には持っておりません」
「お前、婚約者がいたのか!?」
「どういう意味ですか、それは。私に婚約者がいたらおかしいんですか」
部下の爆弾発言に、思わず大声をあげてしまうミヤキに、じとーっとした目と冷たい声で問い掛けるツオブシ。
まぁ、こんな恋愛下級者のヘタレにそんなことを言われる覚えはない、ということだろう。
「お前に婚約者ねぇ……お相手は女神みたいに心の広い女性なんだろうな」
「少々引っ掛かる物言いですが、確かにとても心の広い女神のような人ですよ。そんなことより、団長のことです。副団長は見合いをさせられる、と言って実家に戻らされたんですよね。いいんですか? このまま手をこまねいていると副団長、結婚させられてしまうかも知れないですよ? 副団長の実家は男爵で、今回の見合い相手は伯爵家なんでしょう? ゴリ押しされたら断れないかも知れないですよ? 大切なものは失って初めて分かる、なんてことになりたいんですか?」
ツオブシの言葉に腕を組んで深く溜息を零すミヤキ。他家のことに口を挟むのなら正当な理由がいるので、首を突っ込むにしても口実がいる。そして見合い相手が伯爵家では、貴族社会のパワーバランス的に男爵家のリアオノの実家では確かに断るのが難しいかも知れないのである。
「何か伯爵側に瑕疵があれば、止めることも出来るんだが……何か知ってることはないか?」
「知っていることですか。前々から内偵をしていたので多少は直ぐに分かったんですが」
言いながらツオブシは懐から手帳を取り出し、そこにメモされていることを確認していく。
「ああ、聞き覚えがあると思ったら、そうか、内偵してた伯爵家だったか」
「忘れないで下さいよ、団長。あの伯爵家はどうも悪い噂が多く、後ろ暗い商売に手を出していたみたいで……まぁ、三十を超えて伯爵家の当主が独身なのは何かしらそういう問題があるからでしょうが」
「おい馬鹿辞めろ、その言葉は俺に効く」
「ああ、そう言えば団長も丁度三十でしたね。ということは……」
と、ツオブシが言いかけた瞬間、ゆっくり静かに詰所のドアが開き、リアオノが入ってくる。沈痛な面持ちで、顔色も青白くしてとぼとぼとミヤキ達の方へと歩いてきて、泣き出しそうな顔で胸の副団長の徽章を外してミヤキの机の上に置く。
「団長、申し訳ないっす。最後までお勤めするつもりだったっすけど、騎士団を辞めさせて欲しいっす」
「はぁぁぁぁぁぁ!!? ど、どういうことだ? と、取り合えず落ち着いて話してみろ!?」
「いや、団長が落ち着いて下さいよ。副団長、お茶を入れますからソファに座って待っていて下さい。辞めると言ってもきちんと理由を説明して頂かないといけませんから」
リアオノの爆弾発言に慌てるミヤキに、落ち着くように言ってからツオブシは詰所の横の炊事場で紅茶を人数分ほど入れて戻って来る。
言われた通りにソファに向かい合って座っていた二人の前に紅茶のカップを置いて、最後に自分のカップを置いてミヤキの横へツオブシは腰掛けた。
「それで? 騎士団を辞める、というのはどういうことですか? 見合いで相手に気に入られてしまって、身分差を利用されて強引に結婚させられそうになっている、という感じですかね」
「そんな感じっす。それから、その相手に家が借金をしていて、借金を返せないなら私を嫁に寄越せば家族になるから借金はチャラにしてやるって言われたっす」
「借金? なんでまた借金なんかをしたんだ?」
ミヤキの問いにリアオノは少し言い辛そうにしながら重い口を開く。
「うちの領地、そんなに豊かな方じゃないんす。税収も少なくて、いつもカツカツの生活で。領主である父上も領民と一緒に農作業してるくらいで。それで私が家を出て騎士団に入って仕送りして少しでも負担を減らせればってしてたんすけど、大雨で洪水が起きて橋が流されたり、道が寸断されたり、不作になって農作物が領民が食べるのも危ないくらいしか収穫がなくて。それで領民に配布する食料を購入するためのお金とか、洪水で流された橋とか道の復旧費として借金をしたらしいっす。貯蓄してた食糧やお金だけじゃとてもじゃないけど賄いきれなかったらしいっす。手紙には書いてなかったっすけど、実家に戻って言われたっす」
「国に支援はお願い出来なかったのか?」
「団長、被害が大きすぎて費用を自前で捻出できなかったり、借金をするあてもなかったら国に言った場合に男爵くらいの爵位だと領地を国に接収されてしまうんです。もちろん、爵位も返上になってその分だけ一時金は貰えますが、実質上のお取り潰しですね」
これが伯爵だったりするとそうそう取れない手段であるものの、子爵、男爵くらいならそうやって潰して貴族の数を増えすぎないように減らす方向に王家は動くのである。国がきっちりとその領地の復旧をするので領民は安心だが、爵位を継承していくのが至上命題である貴族からすれば苦渋の決断になってしまうのだ。
「だから、弟に爵位を継がせてやりたいっすし、妹達にそんな婚約させる訳にはいかないから私が嫁に行くことにしたっす。一応、これでも貴族の娘っすから、家の為には仕方ないっす」
「だが、リアオノが自分で言っていたじゃないか、社交も家の中を纏めるとかも出来ないし、家から押し付けられる結婚なんて無理無茶無謀だって」
「社交はしなくていいし、家の中のことは執事長や侍女長がするからしなくていいそうっす。ただただ自分に愛でられていればいいって伯爵は言ってたっす。言われたときはヒキガエルみたいな見た目で蛇みたいなねっとりした目で私の事を舐めるように見ていて、鳥肌が立ったっすけど」
リアオノの何もかもを諦めたような表情と言葉に、ミヤキは黙って立ち上がり、机の上に置かれた副団長の徽章を手に戻ってリアオノの手を取りその上に乗せる。
「団長……?」
「リアオノ、お前はまだ第五騎士団の副団長だ。これを外すのは早い」
「それは、まぁそうかも知れないっすけど……」
不思議そうな顔をして見上げてくるリアオノへミヤキはそう言ってからソファに腰掛ける。そして腕を組んでソファに背中を預けるようにして、リアオノを真っ直ぐに見つめる。
「リアオノ、頼りないかも知れないが、俺はお前の上司だ。部下が困ってるなら力になるのが上司ってもんだ。少し時間が掛かるかも知れないが、俺が何とかしてやる。だから、信じて待ってろ。お前のことは俺が護る」
「団長……でも、迷惑を掛ける訳にはいかないっす」
「迷惑なんて思わないし、寧ろ迷惑を掛けてくれていいんだぞ? もう少しだけ我慢していてくれ。必ず助ける」
ミヤキの言葉にリアオノは不安そうにするものの、ぽんぽんと優しく頭を撫でられてくすぐったそうに肩を竦ませてから頷く。
「分かったっす。団長の事、信じるっす。頑張って我慢するっす。だから、早く助けて欲しいっす」
「ああ、任せろ。絶対に助けるからな」
「もちろん、私も微力ながらお力になりますからね、リアオノ副団長。次はいつ、実家に戻られるんですか?」
今まで空気を読んで気配を消していたツオブシが、そろそろいいだろうと会話に入っていきリアオノは分かってるっすと頷く。
「ツオブシも頼りにしてるっす。次に戻るのは二週間後っす。その時に婚約の書類にサインすることになってるっす。だから、それまでにお願いしたいっす」
「二週間、それなら間に合いますかね……いや、間に合わせないといけませんね。丁度、居場所が確定しているなら……ふむ。それにお二人の件も考えてとなると……どうせなら。ああ、ところで副団長、そろそろ荷物を置いてきたら如何ですか、戻って来て真っ直ぐここに来たんでしょう? 着替えもまだですし」
「そう、っすね。それじゃあ、部屋に戻って荷物を置いて着替えてくるっす」
ツオブシの言葉に頷いて、リアオノは荷物を置きに部屋へと向かうために詰所を後にする。
部屋から遠ざかっていく足音を確認してから、ミヤキはツオブシへと視線を向ける。
「さて、ツオブシ。どうやろうか? 伯爵の内偵は済んでるんだったら情報は揃っているんだろう?」
「見合い相手が犯罪者だったら、真っ当な親なら結婚させようって思わないですよね? 副団長が入って来たせいで言いかけて途中になりましたが、かの伯爵は内偵の結果、クロでした。裏で随分とあくどい犯罪に手を染めているようですよ。王都のスラムの人間の人身売買とか、脱税とか」
「伯爵という爵位にあろう者が嘆かわしいことだな。しかし、人身売買か。我が国では重罪なのに良くやるもんだ。確かにそれが本当なら、伯爵とリアオノの話は自動的に潰れる訳だな。リアオノもこれで安心だろう。さっきは何で教えてやらなかったんだ?」
なるほど、と言うようにミヤキは頷く。そこまでの罪を犯しているなら、どうあがいても伯爵家はお取り潰しになるだろうし、リアオノが嫁がされることもないだろうと納得する。
そして、それならリアオノを安心させる為にも話してやれば良かっただろうに、という顔でツオブシを見る。
「副団長に腹芸なんてムリですからね。不自然な言動をして訝しまれたら困りますから。敵を騙すにはまず味方から、と言いますし。まぁ、今回は騙すというほどのものでもないですが。団長には副団長が見合いをしている実家に団員を連れて行って頂いて、私は王都にある伯爵のタウンハウスを調査します。最後の詰めの証拠が見つかったら、魔道具で連絡を入れますからそのタイミングで」
「まぁ、あいつに腹芸が出来るとは思わんが。そのタイミングで俺が伯爵を逮捕すればいいってことだな? それなら任せてくれ。しかし、家宅捜索をして証拠が出なかったらどうするんだ?」
顔と態度に出やすい上に、そういう話を聞いてしまっては初手で作戦をばらしかねないので言わないことには納得したものの、証拠が見つからなければ逮捕が出来ないのでは、と訝しむミヤキに、それは大丈夫です、と言うように机の引き出しから書類を取り出して渡すツオブシ。
「これは……なるほど。既に証拠になる資料は揃えてあるのか。こっちが脱税でこっちが人身売買。どこの商人が購入したかも調べが付いてる、と。この商人はまだ泳がせておくのか?」
「ええ、商人の身柄を確保してしまうと伯爵に警戒されてしまいますからね。それから、伯爵の手の者がスラムから人を攫えないように暫くの間は警邏を強化しますので、そちらの手配はお願いします」
「分かった、そちらの手配については俺の方でしておこう。丁度、神殿で新しい聖女様のお披露目があるらしいからな、それに備えて警邏を強化するって言えばいいだろう。お披露目の後に男爵領に戻るリアオノと一緒に向かえば十分間に合うしな」
書類を読んで、既に逮捕しようと思えば出来るだけの証拠があることを確認し、家宅捜索は最後の詰めとして証拠の追加が見つかればいいくらいまでになっているのなら問題ないだろうと頷くミヤキ。
警邏の強化も、三人目の新しい聖女が見つかったということでそのお披露目が近々予定されているので理由にするには丁度良かった。
「新しい聖女様、確か誓約の聖女と呼ばれている聖女様ですよね。どういう聖女様なんですか?」
「ああ。何でもその聖女様の前で誓いを立てるとその誓いを果たす行動に加護を得られるって話だ。ちょっとした幸運だったりとか、な」
「なるほど……それは良いことを聞きました。では、団長。副団長の見合いの場に突入して頂くときのことなんですが……」
誓約の聖女の能力を聞いたツオブシは良いことを思い付いた、と極上の笑みを浮かべ、その笑みを見たミヤキは非常に悪い予感に襲われる。こういう笑みを浮かべた時のツオブシは割とろくでもないことを言ってくるのだ。
「なんだ、突入するときに俺に何をさせようって言うんだ? 伯爵の逮捕が主目的なんだぞ、変なことをさせようって思うなよ?」
「そちらも確かに主目的ですが、もう一つ大事な目的があるじゃないですか。なぁに簡単なことですよ。突入するときにですね……」
にこにことしながらツオブシはミヤキの耳元に顔を寄せて突入時にして貰いたいことを告げる。
それを聞いたミヤキは嘘だろ!? という顔をしてツオブシを見つめる。
「そ、そんなことを俺にやれと!? 出来る訳ないだろう!?」
「出来ないなんて言葉はいりません。やって下さい。副団長を護るって決めたんでしょう? 丁度役者は揃ってるんですから。それにドラマティックじゃないですか。きっと副団長も喜びますよ……ね、団長?」
肩にぽん、と手を置いて目の笑っていない笑顔を浮かべるツオブシに気圧されるように頷くミヤキ。
後年、感謝はしているがこの時ほどツオブシを怖いと思ったことはない、とミヤキは語っている。