モブ君の恋愛に、恋愛の二文字はない
続きものではありません。
突然だが、俺は…
彼女いない歴 = 年齢の、いわゆる『モブキャラ』である。
26歳、会社員男性。
容姿は普通、運動は苦手な方、学歴はどちらかといえば良い方。細かなステータスに注目すれば、それぞれに一応、得手不得手はあるが、モテ要素を全て合算して平均すれば普通に収まるような男。
それが俺だ。
なお、モテ要素筆頭の1つとしてよく挙げられる年収は、同年代と比べたら良い方ではある。そこだけはちょっと自慢できるかな。
院卒で大手企業に入社して、田舎町の工場に配属となってから2年が経つ。
観光名所としても知られるこの町は、水が綺麗だから、品質の良い工業製品をつくることができる。何をつくっているかまで言うと、身バレの危険があるから話さないけど。
この町は良いところだ。
空気は美味しいし、通勤はお前らみたいに毎日満員電車に揺られる必要がなく、会社が持っている寮に格安で住まわせてもらえるんだよ。
買い物には少々不便だが、そのお陰で貯金は貯まる一方だし、ブラックな労働環境でもないから、健康にも十分な配慮をしつつ生活できていると思う。
この暮らしに、そうだな、敢えて欠点を探すとすればそれは…とにかく、全然人がいないことかな。
特に若者がいない。
家と会社の往復が簡単な反面、同僚以外の友人や仲間との出会いがない。
それに…恋愛もない。
ま、その辺に関して、俺は別に何とも思っていないよ。
モブはモブとして、誰にも知られずにひっそりと生きていかねばならないって相場が決まっているから、さ。
…とまあ、こんなふうに、俺はモブである自分に一応は誇りを持って生きているわけなのだが、別に俺だって初めからモブになりたかった、ってわけじゃない。
―――ただ、今となってはそうやってプライドを保っていないと、やっていられないというだけのことなのかもしれない。
そんな俺というモブの、これまで誰にも打ち明けたことのない人生を、語ってみようと思う。
♢♢♢
またしても突然だが、学生時代に彼女の1人も作れなかったやつは、社会に出てからも一生童貞のまま、なんて言葉を聞いたことはないだろうか。
ネット上で時折見かける、『出会いの多い学生時代をなぜ、生かすことができなかったのか?』的なやつだ。
前者に対しては、俺も概ね同意見である。
物事にはやはり、経験の有無は重要だ。
大学入試だって、いっぱい勉強して、過去問とか解いて、色々対策して突破するだろ?
それと一緒。
たとえ学生時代の恋人と別れることになったとしても、そのときの経験や思い出までもが消える、なんてことはない。だから、目の前に1人の女性がいたとして、その人のことを巡って交際経験が豊富な男と俺みたいなモブが争えば、俺は確実に負ける自信がある。
なぜならそれは、模試とかを一切受けずに入試本番に臨むことと一緒だからだ。
しかし、後者に対してはどうしても納得ができない。
『学生時代に出会いが多い』
あれは嘘だ。
噓だ噓だ噓だッ!!!
俺は中高一貫の男子校を卒業している。
自分で言うのもあれだが、そこそこの名門校で、難関大学への進学率が高い学校だった。
俺はその場所で、将来の日本を背負っていく高校生として、恋愛に現を抜かすようなヤツはダメなヤツ、的な教育を受けてきた。
勿論、校則に恋愛禁止とか、そういった決まりがあるわけではない。
ただ、何かの挨拶とかで、校長に毎回そんな話をされるものだから、そういう価値観を知らず知らずのうちに植え付けられているとさえも気づかずに、それが普通だって思っていたし、なんの疑問も抱かなかった。
モブは意思を持たないから、ただ言われるがままに、そういうものだと思って暮らしていた。
部活もせず、放課後もただただ毎日勉強して。
学校帰りに街でいちゃついている高校生のカップルを見ると、そいつらはまるで別世界の住人のように見えた。
しかし、羨ましいなんて感情はなかった。
なぜなら、俺のクラスの周りのヤツらもみんな、彼女がいなかったから。
そんな環境の中で、真面目に3年間勉学に励み続けた結果、俺は晴れて現役で某難関大学に現役合格することができたのである。
ところで、大学生になれば、周りに似たような性格のヤツが増えるから、出会ってから長続きする恋人が増える、的な話も聞いたことはないだろうか。
前半部分には、俺も概ね同意見である。数多くある選択肢から、同じ進路を選んだ仲間だ。気が合うことが多いのも、当然のことだろう。
しかし、後半部分、それは…嘘だ。
噓だ噓だ噓だッ!!!
…急に叫びたくなるのは、オタク特有のアレだからまあ許してくれ。
確かに、大学一緒に講義を受ける仲間は、俺と似たようなヤツの割合が多かった。
いっそモブ大学って名前にすれば良いのにな、って思ったほどだ。
いかにも日本の将来を背負うモブ(???)を育成する教育機関、って感じの場所だった。
その中に、モブ大学の異端児である陽キャタイプが存在していなかったわけではない。
一応、彼女がいたヤツもいた。
しかし、それは槍をサーって投げる、陸上部とはこれまた別の、俺たちのようなモブには縁のないサークルに所属しているヤツと、もしくは高校時代から付き合っている彼女がいる共学出身のヤツがいたってくらい。
講義は必修科目で1限と5限が埋まってるなんてザラだし、時間のかかる課題やレポートはガンガン出るし、平日は提出物に追われているから、他学部の学生とは予定が合わないので部活やサークルはできない。
まあ大学ってのは1単位につき45時間の学修が必要って言うし、それを俺は馬鹿正直に守っていたってだけの話だ。
モブには、思考する意思がないから。
そんなわけで、ネット上のお前らが想像するような学生らしい生活を送るって点でいえば、シフトが埋まりにくい土日をメインに、アルバイトをするのが精いっぱいだった。
土日はお客さんが多いから、仕事が忙しくて大変だった。一緒に働いている仲間には女の子もいたけど、シフトが重なることは滅多になかったし、忙しすぎてほとんど口を利いた覚えがない。
当時はなぜ、みんな忙しい平日に無理をして、土日にシフトを入れないのだろう、なんて思っていたが、今思えば、週末は稼いだお金で恋人とデートでもしてたんだろうな。
まあ長期休暇中は一応、運転免許を取得したり、我ながら学生らしい過ごし方をしていたのだけど。
あとは、ゲームしたり、漫画を読んだり、ゲームしたり…
とにかく、忙しい日々を乗り越えた時に訪れる一時の休みくらいは、せめて優雅に過ごしたかったのだ。
あ、アルバイトにも精を出したぞ。
夏祭りのあたりとかは、お客さんも少ないから楽で良かったな。
え?なんで少ないのかって?
知らんけど。
卒業に必要な単位を一通り取得し、研究室に配属されてからは、アルバイトをできる時間すらも減ってしまい、毎日自宅の借家と大学の研究室を往復する日々。卒論・修論と学会発表に向けたデータの回収のために、土日も登校して実験、なんてこともよくあった。
このときくらいになって初めて、俺の中に、焦りに似た感情が芽生えてきた。
このまま行けば、俺は間違いなく日陰で、誰にも記憶されることなく、人生の幕を閉じるのではないか、と。
極論にもほどがある、と思ったか。
でも、あながち間違いではないと思うんだよな。
一応言っておくが、俺はコミュ障ってわけではない。
気の合う友人もほんとに少しだけだが、一応大学で見つけることは出来た。
知らない女性を目の前にして、急にテンパってしまう、なんてこともない。それはアルバイトをしたときに証明済みだ。
だが…
運動が得意でなかったから小さい頃は友達と外で遊んでも仲間外れにされることが多く、部活とかしたことがないからチームワークもなく、女性と会話をした経験が乏しいから、相手の喜ぶことが何なのかうまく読み解けない。
つまり、お前らの想像するような男女でキャッキャウフフするようなコミュニティにおいて、俺は会話の雰囲気に合わせるべく色々と考えすぎて気疲れしてしまうか、もしくは何もできずにまるで空気のような存在感の薄い状態になってしまうのだ。
それが自分の欠点であると気づくことすらできずに、人生を過ごしてきてしまった。
しかし―――
俺はこれまで薄々感じていた、ある事実を同時に理解することで、この現実を受け入れて納得することができた。
俺はモブ。
ラブコメ漫画とかを想像してほしい。
主人公がメインヒロインと結ばれる中、彼らのことを陰から支えるわけでもなく、ただクラスメイトとして存在しているだけの人間たち。誰にも個々として認識されずに、決してストーリーに干渉しない人間たち。
あいつらが、主人公たちに話しかけたり、目立ったりしたらどうなるだろうか。
きっと間違いなく物語は崩壊することだろう。
だから、俺はああいう中に入ってはいけないんだ。
そういう星のもとに生まれてきた人間なんだ。
そう思うと、胸につかえていた何かがすーっと消えてなくなっていく気がしたんだ。
だから俺は、自分のことをモブと呼ぶことにした。
そして俺はモブのまま、学生生活を終了した。
ちなみに俺が中学卒業から大学院を卒業するまでに知り合った、同年代の女性の人数といえば、5人。
なんということでしょう、片手で収まってしまうじゃあないかー(棒)
モテるとかモテないとか以前の問題である。
そのうちの2人は、バイト先で知り合った子。綺麗な子で、2人とも既に彼氏がいた。
あと2人は、同じ学部・学科で一緒の空間で講義を受けていた子。ほとんど会話した覚えはない。
そして、最後の1人は…
♢♢♢
院に進学して1年目、6月の、ある朝のことだった。
その日は朝イチからどうしてもやらねばならない実験があって、前日の疲れもあり少し寝坊してしまった俺は、いつもの道を小走りで、大学へと向かっていた。
そのとき、1人の若い女性が俺の視界に入った。
急いでいるというのに、思わず立ち止まってしまいそうになるほどに綺麗な人だった。
信号待ちをしている彼女の横顔を、ただぼんやりと眺めつつ、俺はその場を通り過ぎる筈だった。
信号が青に変わった。
彼女が歩き出すと同時に、俺は速度を緩めた。
俺の向かっている方向の信号は、赤に変わったからだ。
ついてないな、なんて思いつつ、後方から物凄いエンジン音が近づいてきていることに俺は気がついた。
何かと思えば真っ赤なスポーツカーが、猛スピードのまま赤信号に突っ込んでいこうとしていたのだ。
俺は慌てて彼女の方へと視線を戻した。
彼女は車の接近に気づき、渡りかけていた横断歩道を慌てて引き返そうとしたのだが、不運にもヒールの部分がアスファルトに引っかかって、そのまま前のめりに転びそうになっていた。
このままいけば、彼女は理不尽にもスポーツカーにはねられてしまうのは明白であった。
だから俺は…
―――人生で一度も触れたことのない女性の手を強引に掴んで、抱き寄せるかの如くこちらに引っ張ったのだ。
間一髪、彼女のことを救うことができた。
彼女はめちゃめちゃ感謝してくれた。
モブの俺なんかに本来向けられるべきではない彼女の笑顔は…
運動不足気味の体に無理をさせて鼓動が速くなっていた俺の心臓を、更に跳ねさせるには十分すぎるほどに綺麗で、眩しかった。
彼女は今度俺にお礼がしたいと言ってくれて、連絡先を尋ねてきた。
だけど、それは流石に大きく捉え過ぎだろうと、あのときの俺は思ってしまったんだ。
―――これは、俺の感覚がおかしいとか、そういうことはないと思う。
お前だってそう思うだろ?
普段、他人に無関心で、通りすがりのモブ歩行者Aである俺が、彼女のことを助けることができた理由。
それは、俺が優しいからなんかじゃない。
周りをよく見ていて、気配りができて、まるで物語の主人公みたいな人間…
そんなのは俺じゃないんだよ。
俺は、モブという身分でありながら、メインヒロインのことを分不相応にも横目で眺め、思わず見惚れてしまっていたから、救えた。
ただそれだけなんだ。
だからそんな彼女の申し出を、安易な気持ちで受け入れてはいけないと思った。
日陰者の俺は、俺らしく生きていかねばならないんだって。
だから俺は、急いでいたこともあって、無事でよかった、とだけ返して、そのまま急いで大学への道を再び走り出すことにしたのだった。
♢♢♢
だが、男ってのは馬鹿な生き物で、それはモブであっても変わらないらしい。
たった一度の出会いで、ほんの一瞬だけ言葉を交わしただけの彼女のことが、頭から離れてはくれなかった。
あの日から、ずっと。
きっと俺が、他人との関わりが少ない、モブであることが原因だろう。
今となっては3年以上も前になるあの日のことをこんなにも鮮明に記憶しているのは、あの日に戻りたいから、とかではなくて、あの日以外の日々は毎日同じようなことの繰り返しだから。
もし、連絡先を交換していたらどうなっていたのだろうか。
…何か美味しいものを一緒に食べに行ったとか、可能性として『ない』とは言い切れないが、きっとそれは建前だけで、言葉を真に受けた俺は馬鹿なやつと彼女に思われて、そのまま何の連絡もなくて、どうせそんなのがオチだろう。
そんな簡単なことくらい、モブの俺でもわかるというのに、なぜなのだろうか。
もう会うはずのない彼女の面影を、人口密度の小さな、このちっぽけな田舎町で探してしまう自分がいるのは。
♢♢♢
さて、話はおしまい。
俺は、俺のいつもの休日の日常へと戻ることにするさ。
―――というのも、俺はこの町に越してきてから、休日の午前は決まってジョギングをするよう心掛けている。その時間が近づいているのだ。
ジョギングなら、誰かと関わることがないから、モブとしての役目を果たしつつ、楽しむことが出来る。
あと、モブ大学のあった都会とは違って、この町は空気が良い。
だから走っている間はいつも清々しい気持ちで、日々の仕事のストレスとか、色々な感情を忘れることができて、それを言葉にするのは難しいが、なんだろうな。
『無』に近い精神状態を得ることができる。
―――そして、その『無』こそが、モブである俺に求められていることではないだろうか。
だから俺は、今日も走る。
道の両脇に広がる、田んぼやら、草原やら。
そういったどこまでも続いていきそうな景色が、走っていると少しずつだけど変化していく。不思議とそれを眺めるのが楽しい。
だから、俺は来た道を引き返すようなことはしない。
自宅から程よい、というよりも少しだけ長めの距離で、一周して戻ってこられるようなコースを設定しているのである。
人生と似ているかもしれないな、なんてふと、思ったり。
明るいがずっと人気のない、そんな景色が続く。
しかし、コースの終わりに近づいたとき、1か所だけ、少し賑やかな場所がある。
そこにはちょっとした観光スポットになっているお花畑があって、道の駅が隣接して存在している。
ここを通るとき、俺は決まって華やかな気持ちになることができた。
そして今日も、いつものように綺麗な花を遠くから眺めつつ、そのまま通り過ぎる。
―――そのはずだった。
だが、僕は規則正しく守っていたジョギングのペースを乱し、その場で立ち止まることになる。
思わず息を吞むような、綺麗な女性が、そこに立っていた。
真っ白なワンピースを身にまとい、頭に帽子を乗せた姿はとても絵になっていた。
ソフトクリームを舐めている美しい横顔は、俺が何度も。
何度も思い返してきた、彼女のそれと…
―――全く一緒であった。
こんな運命的な瞬間が、この、しがない1人のモブに存在するとは思ってもみなかった。
気づけば俺の足は完全に止まっていて、それなのにどんどん心臓の鼓動は速くなっていく。
もうこの際、ペースなんてどうでもよくなっていた。
ジョギング中に道の駅に寄りたい、なんて思ったことなどこれまでに一度もなかったというのに、何故だか…今日は無性に寄りたい気分になった。
だから俺はソフトクリームでも買ってみようかと、いつものコースから一方外れようとした。
そのとき―――
彼女の隣に、1つの人影が現れた。
背が高くて、程よく引き締まった体は。
誰がどう見ても男主人公のそれだった。
名も知らぬ彼は、彼女と同じソフトクリームを手にして彼女の元へと近づいたかと思えば、彼女の肩をそっと抱き寄せた。
それに対して、彼女の方はといえば、あの日見た眩しすぎる笑顔を―――
彼へと向けたのだった。
それを見てしまった俺は、何故だか急に、ソフトクリームを食べたくない気持ちになった。
だから、いつものようにその場所を通り過ぎることにしたのだ。
なんだか気持ちがコロコロ変わって、バカみたいだな。
―――しかしなぜ、モブである俺にこんな感情が湧いてきたのだろうか。
まるで理解ができなかった。
俺は走る。
走って、ただただ走り続ける。
走るのはいい。
…だって、こんなにも清々しい気持ちになれるのだから。
ずっと1人のモブとして、俺は彼女の幸せを願っていた。
たった1度の出会いだけの、しかし決して忘れることのなかった、メインヒロインの姿。
それを再び、ただのモブである俺が目にすることができるなんて。
なんて幸運なことなのだろう。
彼女は幸せそうに笑ってた。
明るくて可愛らしくて眩しすぎて、そんな彼女の表情は…
ちゃんと向けられるべき人に向けられていた。
俺はそのことがすごく嬉しかったんだ。
だって、あの日俺が手を差し伸べなかったら、彼女の今の笑顔はなかったかもしれないのだから。
あの日抱き寄せた彼女の感触とか、匂いとか、そういったことを俺は忘れることはないだろう。
だけどそれらを覚えているのが、モブである俺だけだったとしたら、それは寂しすぎることだろ?
主人公と歩む幸せな未来が、あの日で閉ざされてしまっていたとしたら、それは悲しすぎることだろ?
だから、モブである俺が、メインヒロインの物語に干渉したことは、間違いじゃなかったんだって、証明されたのだから。
俺は、嬉しくてたまらなかった。
普段は意識しているはずのフォームとか、呼吸とか、色々ぐちゃぐちゃで、それなのに家に着いたとき、俺はこれまでに感じたことのない達成感を味わうことができた。
―――それは、普段は流れないような部分から汗が流れるほどに、心地良い気分だった。
女性との関わりのなさがコンプレックスになっていて、段々とそれが自分の全てであるかのように思えてきて、無駄にプライドが高い分、自分はモブだからと決めつけるという手段でしか気を楽に保てない主人公くん、という設定で書きました。
こういう話は筆が乗ります!(当社比)
とはいえ、需要はなさそう…ある、かな?