底辺作家が底辺から抜け出そうとしない理由
どうやら、この小説家になろうでは、作品のポイントやブクマ数で、底辺・初級・中級・上級・頂点作家だと分類される。
なんともまぁ、面倒な見方をする人達もいるものだ。個人的にはそう思う。
私がそう考えるのには、そもそものスタート地点が違うのだろうと。この小説家になろうにおいて、作品を投稿している人達は大まかに分けて次のように分類されると考えている。
① 小説家志望または自身の作品を商業化させ、金銭的な利益を狙っている人。
② 自身の作品を多くの人に読んでもらい、自己肯定感を高めたい人。
③ 自身の経験や知識、考えから、世の中に対してメッセージを送りたい人。
④ 自分が読みたいもの、好きなものをとことん追求する人。
⑤ 日記代わり。
本当に大雑把ではあるが、このようなものではないだろうか。もし、他にこんな考えでやってるよという人がいられれば、ぜひ教えてほしい。それはまだ私の中にない価値観だから。
以前の私は、②であった。活動報告やTwitterなどで積極的に交友の場を広げて、暗に私の作品も読んでみてねと促す。規約違反ぎりぎりのところだろう。それでも、その時の私には、そうすることが、たくさんの人に読んでもらえる=幸せを感じるということであった。結果としては、それなりの効果があった。ランキングにも度々載せてもらえることがあった。
だが、ここでの活動が充実している間は他のこと、リアル世界での活動が充実してはいなかった。闘病期間などに入っていたこともあり、リアルで感じられないものを、ネットで補う。そのような形であった。
闘病期間が明けて、周囲の環境が変わると、リアルがとたんに充実し始めた。その結果として、私はこの環境から姿を消すこととなった。
そして、再度この環境に身を投じた時、私は②の気持ちを捨て去っていた。戻ってきた理由としては、別にリアルで何かあったわけではない。心残りがあったからである。
今投稿している「武田に駆ける」という歴史小説は、2年ほど前の私の処女作をリメイクしているものである。当時の原稿などは残っているわけでもないので、リメイクと言っても、大まかなストーリーが似ているだけではあるが。初めて投稿したとき、周囲の方々が本当に優しくしてくれていた。感想や評価、FAまでいただいていた。今でも大切に保存させていただいている。
だけど、私はそれを裏切った。
皆さんからすれば、大した数ではないと思う。だけど、問題は数ではない。その人達に対して、私自身に対して、不義理をしたという事実があるということが問題だと考えている。
そういった経緯から、私は④に近い考えで現在は活動している。
もちろん、感想や評価がいただけることは、大変うれしいことである。もらえた時には、任天堂のキャラクターのように喜ぶだろう。
だけど、こういう話はウケるとか、PVがどうこうという分析は全くしない。それは怠惰であると思う人もいると思う。
そう感じる人は、そもそものスタート地点の話だ。
①~③の考えに近いのであれば、PVを伸ばすことは目的達成のためには必要不可欠であろう。そのために、何がはやりであり、何がうけ、どのような活動をすればPVを伸ばせるのか、じっくりと分析・研究し、それに合ったやり方をするのが一番効率的だ。
私には合わない。自分が好きなものを書き、好きな世界を広げていて怒られないのが、この世界である。わざわざそれを狭めようとは思わない。
だからといって、私とは違うからと、その人らの考えを変えるよう促したり、否定するようなことはしない。その人が決めた道であるのだから精一杯応援したい。
だが、途中で心挫けてしまったり、孤独を感じてしまった人にはこう伝えたい。
「楽しんでやってる?」
書いている人が、楽しそうに書いて、自信満々に良いのができたぞ!って思ってる方が、読者の方にも良いものが伝わる。そうは思いませんか?
そんなこんなを思いながら、今日も今日とて私は底辺に生きるのです。