第八話:夏でも秋でも花火は上がる
九月の下旬、シルバーウィークを利用して俺は爺ちゃんの家がある田舎へ来ていた。
家はそこそこ広いが、本当に田舎だよな。
電車もバスも全然来ないし。
いつも正月とかは爺ちゃんたちが俺たち家族の家に来るのだが、今回は色々と用事が重なって見ることのできなかった花火大会がこっちで開催されるというので見に来たのだ。
だが・・・本当にやるのか?
もう秋だし、季節が違うだろ。
普通花火大会って夏の行事じゃないのか?
うちの両親は信用ならないので事前に確認しておいた方が良かったかもしれない。
「母さん? 本当に花火大会やるの?」
「大丈夫、結構盛大にやるのよ? ここからが一番眺め良いはずだから待ってなさいな」
俺の疑問に夏の残り物だというスイカを齧りながら答える母さん。
そろそろ夕方になる頃だが、いつまで食べているつもりなのだろうか。
一家団欒というべき時間、現在この空間にいるのは俺と母さん、祖父母、そして―――
「まさか刀夜がこんなに可愛いお嫁さんを連れてきてくれるなんて」
「婆さん、真白はそういうのじゃないから」
上品に笑う老婦人、その隣には真白がちょこんと座っている。
なぜ彼女が一緒に来ているのかというと、うちの両親が熱心に誘ったからだ。
曰く、『刀夜の将来のお嫁さんを是非とも元気なうちに見せてあげたい』とのことだが、直前まで俺が知らなかったというのはどういうことだろう。あと、真白とはそういう関係じゃない。
「なら、どんな関係なの?」
フッ、愚問だな。そんなの決まっている。
「大切な女の子」
そうとしか言いようがない。
娘の様な感じとか言い始めたらさらにややこしくなるだろうしな。
「フフッ、つまりそういうことよね? 真白ちゃん、私のことはお婆ちゃんって呼んでいいのよ?」
「えっと・・・お婆ちゃん?」
やっぱりこれで止めるのは無理だったか。
頼みますから刷り込まないでください。
優しい真白は戸惑いながらも言われた通りに言ってしまう。
母さんの茶目っ気は間違いなく婆ちゃんから遺伝しているな。嬉しそうに真白を抱きしめるところまでそっくりだ。
「・・・爺ちゃん、どうにかしてくれ」
助けを求めるのは祖父。
ついさっきまでは閑古鳥の鳴いている道場で俺と組み手をしていたのだが、疲れて突っ伏してしまっている俺とは対照的に涼しげな顔で座っている。
本当に、こういう爺さんは創作物の中だけにしてほしい。シャレにならないくらい強いのだ。
「ああなった菫は止められん。諦めて娶れ」
「どう諦めたらその結論になるんだ?」
一段も二段も飛ばしてないか?
というか、爺ちゃんでも止められないとか、婆さんは裏ボスか何かなのか?
やがてスイカを食べ終えた母さんまで真白の隣に移動し、親子そろって両側から彼女を襲う。
「刀夜、あなた真白ちゃんの頬っぺた触ったことあるかしら? ほら、すっごくモチモチよ?」
「あら、ほんとだわ。羨ましいわねー」
「・・・アゥ・・・アゥ」
左右から優しく真白の頬を伸ばす母さんと婆ちゃん。
女性って本当に可愛いものが好きなんだな。
ひとしきり楽しんだ後、ようやく二人は真白を解放する。
「大丈夫か? 」
「えっと・・・刀夜君も触ってみる?」
「・・・・・・・・」
隣に来た真白にうちわで扇がれながら耳元でささやかれる。
それはとても魅力的な提案だが、俺も男だ。
守ると決めた女の子をそう簡単に――――
「・・・どう?」
「クセになりそうだ。ずっとこうしていたい」
柔らか頬っぺの魅力には勝てなかったよ。
自制の出来ない奴だと笑うなら笑え。
この魅力に勝てるような奴は余程徳の高い僧侶か仙人くらいなものだ。一度触ってしまえばもう二度と抗うことのできな・・・・ニヤニヤ俺と真白を見ている大人たち。
いつの間にか席を外していた父さんも加わっている。
「修也さん、孫が出来たらすぐに連絡をくださいね?」
「勿論ですよお義母さん。多分そう遠くないでしょうね」
ガッデム、明らかに外堀から埋められている。
真白が抵抗しないのをいいことにどんどん話を進めおって。俺はまだ負けてないからな。
「真白? 嫌なことは嫌って言わなきゃだめだぞ?」
「・・・・ふんふーん・・・ふふん」
隣で機嫌良さそうに鼻歌を歌う少女。
・・・もしかして、誤魔化してるつもりなのか?
普通ならもう一度声をかけるところだが、真白に向かって俺が強く物事を言えるはずもない。
どうやら味方がいない今は雌伏の時らしい。
まあ、もうすぐ日も暮れて花火が打ち上がるころだろうし、大人しくしておくか。
少しだけ時間がたち、空も完全に暗く染まった頃、ポツポツと小さな花火が上がり始める。だが、今の俺が目に収めたいのは―――
「わぁー! 綺麗だね!」
花火が上がる前まで母さんと婆ちゃんに連れ去られてどこかに言っていたかと思えば、次に現れた真白は桜色を基調とした浴衣を着ていた。その姿は今打ち上がっている花火のように―――いや、それ以上に美しくて。
やがて夜空に打ち上がる花火はどんどんと増えていく。
田舎だと見くびっていたが、どうやら考えを改めざる負えないようだ。
都会でも見られないような大きな花がいくつも夜空を彩り、現れては消え、また現れる。
「刀夜君、あれ! 大きい花火があんなに沢山!」
「凄い景色だな」
あの花火の真下では今頃沢山の屋台が並んで、多くの人が行き交っているのだろう。
こんな風に落ち着いて楽しむことができるのがどれほど贅沢なことのか想像もつかない。
いろいろなことを考えてる間にも花火は打ち上がり、その度に隣の女の子が目を輝かせる。
「・・・本当に綺麗だ」
花火も綺麗だったが、それを真下から眺める浴衣の少女もまた美しかった。
「刀夜君? 花火は向こうだよ?」
「月と一緒に見てただけだよ。さあ、そろそろクライマックスじゃないか?」
夜の明かりに照らされて、小さな風にさらさらと流れる銀色の月が俺の隣で煌めく。
確かに花火は綺麗で、思い出に残るほどに価値のある景色だ。でも、俺にとってはこの子が幸せになってくれるというのなら、それだけで価値があるというものだろう。
「・・・何で悟りを開こうとしてんだ? 俺は」
尊さに包まれてそのまま解脱するところだった。
まだまだ真白が幸せになるのを見届けてないからな。いま居なくなるわけにはいかないだろう。
気分を落ち着かせるために見るというのもおかしなものだが、俺は空に上がる花火に集中することにした。
「刀夜、布団の準備をしてもいいかしら?」
夜空が再び真っ黒に染まった頃、婆さんが俺たちのところにやってきた。
田舎では真っ暗になるのも早いし、明日は早起きして爺ちゃんと稽古だろうからもう寝た方がいいのだろう。だが、その前に――――
「婆さん? 先に言っておくけど俺と真白の部屋は別だからね? 布団をくっつけるのは論外だ」
「・・・しないわよ? そんなこと。・・・えっと、刀夜は二階の和室で修也君と一緒ね?」
明らかにいま思いついた言葉を重ねる婆さん。
本当にそんなことをしないと思っているのならせめて目を逸らさないでほしい。
隣にいる真白も真っ赤にしているし、そういうのは中学生には早いと思います。
「真白ちゃん、こっちこっち」
俺が自身の倫理観について考えていると、婆さんが手招きして真白を呼び寄せる。
素直に行く必要はないんだ、やはり真白はちょこちょこ歩いていく。
そのまま何かを耳打ちされた彼女は再び俺の隣に戻ってきて―――
「・・・刀夜君、一緒に寝ちゃダメなの?」
「いろいろ問題がある! 婆さん? 何を吹き込んだの!?」
いたいけな少女にいったい何を言わせているのだろう。
もう少しで男子中学生の理性が吹き飛ぶところだった。
「フフフッ、真白ちゃんはずっと待ってるってことよ。―――さあ、真白ちゃんは私たちと一緒に来ましょうか」
「はい。また明日ね、刀夜君」
「・・・ああ、また明日」
明日は早いって言ってんだがな・・・・果たして眠れるのだろうか。
とりあえず俺は二階にある和室へ布団を敷きに行くことにした。
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「じゃあ、真白ちゃんも元気でね」
「はい、色々とありがとうございました。また来ても良いですか?」
「勿論よ。こちらからお願いしたいくらい」
車に乗り込んだ真白と婆さんが別れの挨拶をしている。
本当に、随分仲良くなったものだ。
爺ちゃんも手を振っているところから見るにかなり気に入っているのだろうし、本当に真白は人を引き付ける何かを持っているようだ。
それが良いものであれ、悪いものであれ。
俺も爺ちゃんと婆さんに別れを告げ、そのまま車は家の敷地を出て行く。
後は無事に帰るだけなんだが――――
「たまにはこういう道もいいわよね。口笛でも吹きたくなってくるわ」
「・・・相変わらず、凄い揺れるな」
高速道路に行くために車を走らせているが、田舎ということもあって舗装されていない道がそこそこあり、妙なスリルを生んでいる。
しかも運転してる父さんは助手席で口笛を吹いている母さんに合わせて自分もとばかりに合わせ始めるし。
「父さんは合わせてないで前見て運転してくれ、危ないから」
「しっかり安全運転だから問題ないさ。田舎道だから対向車もいないしね」
これはダメだ。
どうしてうちの両親はいつも楽しむこと優先なのだろうか。それが悪いこととは言わないが、見ている子供をヒヤヒヤさせるのはどうなんだ?
「二人とも凄く上手だね。私はうまくできないけど」
俺の隣で真白が頑張って唇を尖らせて音を出そうとするが、うまく出来ないようで。というか餌をねだる雛鳥のようだ。
この二人と一緒にすると変なことを覚えそうだからあまり遊ばせないほうがいいかもしれないな。
・・・やっぱり俺の考えているのは保護者の心理だな。
改めてそういう関係では無いと理解させられる。
「真白、連休は楽しかった?」
こんがらがってきた頭の気を紛らすために適当な話題を振る。
こうしておけばあの二人の変なところを吸収しないだろうしな。
「うん。刀夜君のお爺さんもお婆さ―――お婆ちゃんもすっごくいい人たちだったし、凄く楽しかったよ。また一緒に来ようね?」
婆さんに教えられたとおりに言い直す真白。
やっぱり刷り込まれてしまったのだろうか。
・・・彼女の花が咲いたような笑みは、相変わらず俺に不思議な温かさをくれて。
一緒に来る、か。
来年来られるかは分からないが、再来年、その次も―――俺はいつまで真白と一緒に居られるのだろうか。
今まではずっと一緒だった。
でも、いつかはお互い別の道に進むかもしれないし、先のことは全然分からない。
だけど今は、今だけは―――――
「ああ、また来よう。花火を見にね」
残りの時間がどれだけあるかは分からないが、今だけはこの幸せに浸っていてもいいだろう。
俺は彼女を守らなければいけないのだから。