第四話:小学生も進んでる
「・・・フッ!―――フッ!」
「・・・99・・・100! 刀夜君、百回目だよ!」
「ハッ、ハッ・・・ありがとう、真白」
季節がどんどんと移り変わり、小学校五年生の夏になりました。
現在は爺ちゃんの出した稽古法の基本である身体づくりのための筋トレをしているわけだが、やっぱり夏だけあって凄くバテるのが早い。
腕立て伏せだって何度も休みながらようやく合計百回なのだ。
これを休みなしでできる母さんは何者なのだろうか。
「お疲れさまー。ハイ、水分補給」
「ありがとう真白。でも、腕立て連続百回って効果あるものなのかな? 正しい筋トレの方法ってあんまり詳しくないんだけど」
「どうなんだろうねー。刀夜君のお爺さんもやってきたのなら正解なんじゃないかな?」
「まあ、未だ爺ちゃんには一撃も入れられないしね。あんな風になるんだったら良いのかな?」
俺がやっている毎日の体力づくりに付き合ってくれる真白には本当に感謝だ。
夏らしく、白いワンピースを着て麦わら帽子をかぶっている彼女はまるで妖精のようで、最近発達著しい健康的な体つきが―――と、見とれ過ぎた。
彼女をそういう目で見るのはダメだろう。
「それにしても、よく続くよね。私だったら絶対に無理だよ?」
「その辺は向き不向きがあるだろうし。真白は真白で運動神経が悪いわけじゃないから大丈夫だと思うよ?」
この子は勉強ができる上に運動神経もそこそこ良い。
人生二周目である俺から言わせてもらえば、十分すぎるほど多くのものを持っているだろう。
「ムー」
「・・・どうしたの?」
「刀夜君は勉強も運動も私よりずっと出来るから。私ももっと頑張らなくちゃって」
どうやら伝説の大陸を見つけた訳ではないようだ。
そういうところを考えられるところも彼女の美点だろう。
相手を引きずり降ろそうと考える人間は数いるが、こうして負けないように自分を奮い立たせるのは良いことだ。・・・・・でも
「悪いけど、真白に負けるわけにはいかないね。それくらいが僕の長所だから」
「―――刀夜君はとっても優しいよ?」
「大切な人たちだけだよ。これでもしっかりと線引きしていてね」
俺の優しさなんて、本当に小人数にしか有効ではない。
真白のような万人に優しくできるような女の子なんてそうそう居ないし、俺のソレは偽りのものだ。
―――これでも結構腹黒くて性格悪いんだよ? 俺は。
「むむむ・・・休み明けのテストは負けないよ? 今度こそ私が勝つんだから」
「それは良い。負けた方がティネラさんの作ったデザートを差し出すというのは?」
「受けます。絶対に負けないんだから」
「勝ったな。そこは僕の得意分野なんだ」
「――! ずるーい!」
フフフ、引っ掛かるほうが悪いのだよ。いたいけな小学生の少女が悪い男に騙されて大切なものを失う構図がここにある。
・・・・・別に変な意味じゃないよ?
「もう! 刀夜君の苦手な分野ってどこなの?」
「そうだね・・・あ! 中学校でやる証明問題とかは僕もすごく苦手だったなぁ」
「しょうめいもんだい?」
証明問題とか考えたの誰だよ。
あれを作った数学者は本当に許さない。
前世の中学校生活の中でも特に俺が恥辱を受けた期間だったが、あの問題の数々は俺の心に多くのシミを残した。
やり直せることに感謝すら覚えるね。
他にも苦手だったものと言えば―――
―――――――――――――――――――――――――
「頑張れー! 負けるなー!」
体育の時間。俺たち男子はシャトルランに精を出していた。
高校時代なら程々にサボるなり、普通に頑張るなりで選択肢が多かったが、小学校だと大体の生徒が真面目に走るので手を抜くわけにはいかない。
ましてや、普段の成績がいい分、変に体育教師が期待をかけてくるので適当に走るわけにはいかないのがつらいところだ。
この年齢だと、八十回も超えると周りにはほとんど並走者は居なくなる。
所謂独走というやつだ。
「すみませーん、いつまで走ればいいんですかー?」
「体力続くまでだバカヤロウ! お前なら百回だって夢じゃないぞー」
夏にシャトルランとか馬鹿だろ。
どうしてこんな苦行を俺一人が受けなきゃいけないんだ。
周りで一緒に走っていた生徒は軒並み壁を背にして荒い息を吐いており、次に走ることになる女子たちは顔を青くして待っている。
「刀夜君頑張って!」
「・・・・・ッシ!」
何が一番困るって、五年生になって真白とクラスが一緒になったこと。
彼女が見ているから余計に手は抜けない。
たとえ、男子たちが恨めし気に俺を睨んでいるとしても。
「刀夜ー、無理すんなよー?」
「疲れたらやめていいんだからなー」
「もう十分だろー」
背中に突き刺さる呪詛。
あいつらどんだけ止めさせたいんだよ。
高学年になったと思ったら急に色づきやがって。
下心ありありの連中が真白に色目を使うとか、パパは許しませんからね?
結局、俺は百回がカウントされるように走って足を止めた。
こういうところで普段のトレーニングに感謝だよな。成長が阻害されない程度にしっかりやっているから、同年代よりも圧倒的に体力があるし。
「なあ、刀夜」
「・・・なんだ?」
「白峰さん、すっごく可愛いよな?」
「そうだな」
今度は女子が走る番になった。
真白の頑張りを見ながら壁を背に座っていたところ、さっき俺に呪詛を吐いていたうちの一人、普段からよくつるむ友人の一人が隣に座って話しかけてきた。
まあ、いつもは仲良くみんなで騒いでいるだけなので、さっきの件は特に気にしていない。
あと、真白が可愛いのは当然のことなのでとりあえず相槌を打っておく。
「人気投票でもいつも一位だし」
「そうだな・・・は? いつの間にそんなことやってたんだ?」
「お前はこういうのあんまり興味ないって分かってるから誘わなかったんだよ。どうせ、参加しなかっただろ?」
「・・・確かに」
そういうパリピ全開のイベントには興味がない。
にしても小学生男子の結束たるや、予想の斜め上だな。
この歳で人気投票とか、最近の子供は随分進んでいるものだ。
「白峰さん、勉強も運動もできるし、優しいしで大人気だよ」
「まあ、人気なのは分かってはいたが、そこまでだったのか」
「ああ。特に走ってるときに揺れるむ―――ヒッ!?」
「なんだ? 最後まで言ってみろよ。聞こえないぞ?」
「何でもないです、すみませんでした!」
いや、怒ってないし。
俺だってたまに気を取られてしまうことがあるのは事実なのだから。
小学生にしては発育がとてもいいのは母親似なのだろう。
だが、それを口に出されるのはなんか違うので、とりあえず睨んでおく。
「―――で、話は変わるんだけど、お前と白峰さんって幼馴染なんだよな? いつも一緒って感じなのにどうして付き合ってないんだ?」
「そんなこと言われてもな。ただ単にそういう関係じゃないってことじゃないか?」
「いやいや、もったいなすぎるだろ! お前が告白すれば絶対白峰さんOKするぞ?」
小学生が一丁前に英語なんて使いやがって。
こちとら中学時代の英語は壊滅的だったんだぞ?
まあ、高校に入ってから必死に勉強して持ち直したが。
「真白を幸せにしてくれる奴ならだれでも構わん」
「おおっ! さっすが刀夜さ―――」
「ただし、不幸にすると判断すればあらゆる手を使って地獄に落とす」
「・・・お前が言うとシャレにならん」
小学校で交友関係を増やしたり、社交的にふるまっている俺だが、それらすべては多くのパイプをつないだり、いざという時のための味方を確保したりするためだ。
小学校や中学校ではこういう学友同士のつながりが大きく影響するしな。
もしその気になれば一人の生徒を村八分、なんてこともできるだろう。
無論、やるつもりなんてほぼないが。
「そもそも、小学生で付き合うだの、婚約だのっていうのはあんまり聞かないしな。せいぜい中学生からだろ」
「まあ、言ってる奴らも本気じゃないだろうな。早く大人になりたいぜ」
「まだまだ先は長いんだ。とりあえず勉学に励むと良いさ」
「・・・・お前、人生やり直してたりしないか? 時々そう思うことがあるんだけど」
「漫画の見過ぎだ。勉強しろ」
案外的外れじゃないと思うぞ?
まあ、お前はもうちょっと勉強したほうがいいだろうけど。
とりあえず女子の方もシャトルランが終了したので、俺たちは立ち上がって集合することになった。
「って訳で、よくわかんないけど人気投票なんてことやってたみたいなんだ」
「ふーん、面白いね。でも、そういう誰が好き? みたいな話は女子もやるよ」
帰り道、俺は真白と並んで歩きながら今日会ったことを何気なしに話す。
女子は恋愛話とか好きそうだし、そういうのは小学生も大人も変わらないのかもしれない。
流石に人気投票までは発展しないだろうが。
「女の子はそういうの好きだよね」
「うん、私はほとんど聞いてるだけだけど、よく話を振られるし」
「ちなみに、だれが人気なの?」
「・・・・・刀夜君」
・・・やっぱり、小学生は運動ができるとモテるのだろうか。
まあ、そんな風に思ってくれてる子たちも俺がこんな腹黒男だと知れれば離れていくだろうが。
「大人っぽいところがかっこいいんだって。ケッコンしたいって子もいたよ?」
「マジか」
小学生で結婚って、さすがに重いです。
でも、子供の成長は早いものだし、意外とすぐ大人になっちゃうんだよなぁ。
「確かに、僕たちももうすぐ六年生で卒業だし、中学が終わればもう高校生だ。その間に結婚できる年齢になっちゃう。本当に時間が経つのは早いね」
「まだ小学校は一年間あるけどね」
うん、その通り。
でも、人間というのは刺激が無いと時が過ぎるのが凄く速く感じるというし、元は会社員だった俺からしてみればすごく速く感じるのだ。
こういう心理的な問題を何の法則って言ったかな?
「・・・ケッコンかぁ。刀夜君は私とケッコンしてくれる?」
・・・・・一瞬だけドキッとした。
そういう話を何となしに振ってたら、勘違いする男子生徒が続出するよ?
ただでさえ、『白峰さんって俺に気があるんじゃないか?』って話をよくされるんだから。
「・・・真白は結婚の意味をちゃんと理解できてるのかなぁ?」
まあ、これって全国のお父さんが娘に言われたい言葉ランキング一位の『将来はパパとケッコンする』だよな。
どちらかというと、俺もそちら側の目線で彼女を見ているので、言われたらすごく嬉しいが、なんだか誘導しているみたいで罪悪感がある。
そもそも、この子はそういった男女の関係とかの話には結構疎いので、あんまり正しく理解していないだろう。
俺も誠さん達もすごく過保護な自覚はあるし。
「また私のこと子ども扱いしてるー!」
「はははっ、僕もまだまだ子供だよ? 真白の事ばかり子ども扱いしているわけじゃないさ」
でも、この子と一緒に居るときは時間の流れが遅くなっているような気もする。
それだけ俺にとって真白といるこのひと時が新鮮で、刺激的な物だということなのだろうか。
生まれた時は恋愛に生きるのもいいかな―――なんて思ったりもしたが、今の俺は真白が幸せになってくれることと、両親に親孝行をすることを人生の目標に設定している。
我ながら、普通の人生も悪くないと知っているから。