第十一話:自炊は案外難しい
「ただいま。父さん、母さん」
何時もより遅くなってしまった帰宅時間。
ただいまの挨拶もそこそこに、俺は残り物とにらめっこを始める。
自炊の方が、圧倒的にコスパが良い。
そんな言葉をよく耳にするが、逆に、ひとり暮らしならばさほど違いは無いという言葉もある。
では、真実はどうだろうか。
前世込みの経験では。
圧倒的に、自炊の方が優れているという結論に至った。
無理に包丁は使わず。
簡単に作れる物を優先すれば、長続きはする。
ひとり暮らしなのだから気取らず、カレーやチャーハンで良い。ある程度慣れが生まれたら、そこからはレパートリーを広げるもよし、作り置きを始めるもよし。
問題はお隣さんの手当てが手厚いという事で、栄養バランスがなっていないと心配されてしまうことか。
「取り敢えずは仕送り野菜の消費を―――またか」
突然、鳴るインターホン。
可能性は幾つかあるが、最も高いのが最も面倒。食事は遅くなっても良いし、勉強も見直しを行うだけで良いだろう。
特段、心配事は無い。
現在するべき心配と言えば・・・。
「やあ、刀夜君。上がってもいいかい? 良い酒を持ってきたんだけど」
「お断りします、お帰りはあちらです」
意味の分からない変人の対処だ。
「良いじゃないか。どうせ、ましろちゃんの作ったおかずととラブラブチュッチュするんだろう?」
「言い方が気持ち悪いですし、時代を間違えてます。手っ取り早くタイムマシンでも開発してお帰りください。出口は真後ろにあるので」
「ははは、相変わらずツッコミに余念がないね」
くすんだ黒髪に、やや垂れた目元。
その下に見える隈は慢性的なもので。
私服はいつ会っても異なっているのに、その上に羽織る白衣は何時だって一緒。これを変質者と言わずして何と言うだろうか。
目の前に陣取る女性、加賀見千歳さんは平常運転だった。
「香奈枝たちに挨拶したいと思い立ったんだがね? 最近、君の様子を見に行けと枕もとでうるさいんだ。どうにかならないかい?」
「猶更帰ってください。貴方がいると、マジで化けて出そうなんで。酒盛り始めそうなんで」
初めて出会ったのは、中学校三年の末。
長らく空き部屋だった突き当りに引っ越してきたのが彼女だった。
両親の知り合いだと言い張る変質者に疑いを持ちつつ、その夜電話で婆ちゃんに聞いたことだが、本当に母さんの幼馴染らしく。学生時代、母さんが父さんに技を掛けているとき、決まって彼女がカウントをしていた仲だとか。
正直、意味が分からない。
その人生経験も、経歴も意味が分からない。
だが、一つ分かることとして。
一緒に居ると、かなり頭が疲れる。
取り敢えず、とっとと帰ってもらって―――
―――――――――――――――――――――――――
「さあ、今日は何から話そうか?」
「・・・・・・・・さあ」
「元気がないね。鉄人みたいな君が風邪をひくなんて冗談だろう?」
「冗談の塊みたいな人に言われたくないです。両親を越えるパリピがいるなんて、昔は思いもしなかったですよ」
結局、上げてしまった。
間違いなく褒めているわけではない俺の言葉に、うんうん頷く千歳さん。
「まあ、それもそうだね。私くらい頭が良いと、常人には理解されないのさ。―――君なら分かるだろう?」
「どうでしょうね。俺はそんな自信過剰にはなれません」
俺は、彼女に気に入られてしまっている。
理由は恐らく、同類だと思われているから。
だが、それは彼女の勘違い以外の何ものでもない訳で。
俺は天才ではなく、ただ巡り合わせと前世の記憶によって補強されただけの只人だ。
もちろん、それを普通と呼ぶことは出来ないだろうが、どれだけ時を経ても、凡人が天才になることは無い。
ただ経験しただけ。
地頭が変わるわけじゃない。
だからと言って、そんな荒唐無稽を彼女に話す事も出来ず。俺は、ただ飽きて去って行くのを待つのみだ。
「新しい仕事なんだがね? 全く張り合いがなくて困っているんだ」
「何してるのかは知りませんけど、貴方にとっての張り合いのある仕事は常人では不可能だと思うんで、助言はできないですね」
最近、転職したらしい。
出会ってからの計算だけで、恐らく三回目。
彼女は、RPG感覚で転職しているのだろうか?
「早く、切ったり貼ったり薬漬けにしたり・・・ああ、したいもんだねぇ」
・・・何の仕事だよ。
子供のように足を振りながら呟く彼女。
その様子はまるで、自由にしていいおもちゃを与えられた子供のようで。
俺が何かされたわけでもないのに、何処か怖気を感じてしまう程の狂気がその瞳には宿っている。
「ああ、そういえば。晩餐はまだかい? お腹が減ったんだけど」
「立場逆じゃありませんかね」
良い大人が、何を。
厚かましいというか、恥知らずと言うか。
「どうしてやろうかコイツ」といった感じの視線を浴びせることで、どうにか彼女を席から立たせることに成功。
これで、ようやく静かに―――
「しょうがない、居候の身だ、私がやろう。台所を借りるよ?」
「同居人になった覚えはないです。あと、やるのは結構ですけど、白衣は脱いでください。火が燃え移ったら大変なんで」
やっぱり帰る気はないのか。
一縷の望みと言うにも線薄だったが、目の前で希望が粉砕されるのはくるものがある。
彼女は白衣を脱ぐと、台所に立ち。
俺なんかでは及びもつかない動きを見せる。
そして、あれよあれよと思う暇もなく、彼女は工程を刻んでいき。
俺の目の前には、残りものとは思えない馳走が並ぶ。
「本当に、貴方は規格外ですね、・・・こんな味付けできるもの、うちにありましたっけ?」
「ああ、その味は・・・あれ? 何処の料理を再現したんだったかね? 良いと思ったものは国関係なく作るから。簡単でうまいなら猶更ね」
もぐもぐ口を動かす彼女だが、顔色に変化は見られず。
美味しいと感じているのかも不明。
だが、食べている間は口数も少ないので、堪能していることには違いないのだろう。彼女が再び喋り始めたのは、皿が空になる頃だった。
「ふう、流石私」
「第一声がそれですか。・・・美味しかったです」
旨かったことには違いないから。
感謝の意を込めて頭を下げる。
「勿論、故郷の味だからというのもあるけどね。あれは仕送りの野菜だろう?」
もはや、返す言葉もなく。
どうやら、千歳さんの万能性はこういったところまで及んでいるらしい。内心では戦慄を覚えながらも、大人しく頷いておく。
彼女は、敵に回すべきではないタイプだ。
「味覚まで天才なんですね」
「好きな物だけは特別さ。あと、衝撃的な物も。そういう意味では、メキシコのピニャコンチリートは衝撃だったね。二度とたべようとは思わないけど、香奈枝の料理並みにはビビっと来たよ」
「・・・それが何なのかは知りませんけど、一番おいしかったのは?」
「ティネラさんの料理だね。私の料理を除けばだが、あれより旨いものをご馳走になったことは無い。ぜひとも日々のローテーションに回したいところだ」
見事に懐柔しやがって。
真白も恵那ちゃんも懐いているというのが、本当に厄介なことで。
曰く、「刀夜君に似ている」らしいが、心外極まる。
こんな怪物と比べないで欲しい。
食器を台所に持ち込み。
後始末を始めると、さりげなく隣にやってきて洗う準備を始める千歳さん。
気遣いは上手いのに、何故このような性格になってしまうのか。
「刀夜くんは、最近の悩みは無いのかな」
「良く分からない人が押し入ってくること以外にですか?」
「ああ、それ以外で」
「・・・多すぎて、ちょっと。基準がおかしくなっているかも」
この状態では逃げ場がなく。
彼女の質問に粛々と答え続ける。
悩みがないのではなく、尽きないというべきか。
だが、その殆どは嬉しい悩みという贅沢なもので。
「―――君の周りには、複雑な人間が集まるだろうからね。そういう事もあるんだろうさ」
「・・・憶測で不安を煽らないでください。貴方が言うと、説得力しかないので」
二人分だけの少ない食器を手早く片付け。
帰り支度というにも簡単な作業を終えた彼女は、気分良さそうに玄関へ歩いていく。
いや、無表情に違いは無いのだが、足運びが普段よりはっきりしているというべきか。
どう見てもインドアなのに。
背中は一本筋が入ったようにまっすぐで。
「じゃあ、また来る・・・いや、君に来てもらうのも良いかもしれないね」
その日は、永遠に来ないだろう。
ご馳走になった手前、もう来るなとは言えず。
次回は絶対に家に上げないという決意を固めながら彼女を見送る。
結局、終始振り回されてしまったようだ。
しっかりと出て行ったのを確認して鍵を閉め。即座に携帯へ手を伸ばす。
ピニャコンチリート
チリパウダーをかけたパイナップル・・・か。
―――え?




