第九話:まさかのやらかし
「おはよう、刀夜。今日は随分遅いんだね」
朝、登校した時間は何時もより二十分ほど遅かった。
昨日の一件が尾を引いているのではなく、単純に遅かっただけだ。
それでも遅刻しそうという程ではないので、普段の自分がかなり早めに来ているという事が分かるのだが・・・そんな毎日でも、俺が教室に着く頃には半数ほどのクラスメイト達が来ていて。
うちのクラスって、本当に何なんだ?
殊勝という訳ではないだろう。
恐らく、早く友人たちに会いたいだけ。
たった数週間でここまで仲良くなる連中は、やはり異常と言わざるを得ないだろう。
「・・・で、どうだった?」
「ああ、奇異の目で見られてるというか、遠巻きに観察されている感じだな」
賢の言葉には確信がある。
だからこそ、包み隠す必要はない。
それは、通学路を歩いていた時から感じていた事。
一番多いのは好奇だったが、少なくない侮蔑が混じっている視線だ。
思い当たる節は・・・まあ、山ほどあるのが困り物だが、恐らくは昨日の件。ここまで話が広がっていることを考えると、違和感を感じていたのは間違いではなかったようだ。
―――じゃあ、そろそろ。
「どうしたか聞けばいいのか? 恭弥」
「おう! その言葉を待ってたんだよ。欲求不満だったんだよ」
それは何時もだろ。
賢と会話してる間も、明らかに意味ありげな視線をこちらに送っていた友人。
俺の疑問を受け、彼はしたり顔で頷く。
「下駄箱事件の犯人を特定したんだよ、警部」
「―――ほう? 聞いても良いか? 巡査」
知りたい情報とは違うが、それも面白い。
ノリに付き合うと、彼は嬉しそうに頷いて語りだす。
・・・巡査で良いのか。
「今日はお前の机にどんな仕掛けしようかって考えながら早めに登校したんだが、連中がうちのクラスの昇降口に居てな? お前ん下駄箱だったし、間違いない。茂吉と一緒に確認したから、バッチリよ」
「うん、バッチリ」
それ、どっちの意味だ?
目撃の方か、仕掛けの方か。
まだ席の中を確認していないが、基本的に教科書類は持ち帰ったりロッカーに入れたりしているので、スペースはあることだろう。
だが、毎日嬉々として悪戯するのはどうなのだろうか。
俺達四人以外の注目も集まる中、再度疑問を口にする。
「野郎だったんだよな? 彼等とは話したのか?」
「ああ、ガツンと言ってやったぜ? 「あ、すみません、ちょっと通ります」ってな」
「「・・・ダッサ」」
本当にダサい。
いや、小心者と思わせて妨害したんだろうが。
こちらはダメそうなので、今度は最上君に視線を向ける。
「で、鑑識班の見解は?」
「うん、他クラスだった。上履きの色から見て同級生。顔を見れば、すぐに分かると思うよ」
よくある話だが、うちの学校も上履きの色で学年を見分けることが出来る。
鑑識班のお墨付きも出たことだし、これで犯人捜しが捗るな。
一応、上履きを変えて偽装するという事もできるだろう。だが、わざわざそこまでする必要性もないしな。これは、決定的な証拠という事だろう。
証人が彼等というのが不安だが。
「どうする? 厳重注意も生活指導も可能だろうが。必要とあれば先生も買収できるぜ?」
「・・・いや、別に良いだろ。実害ないしな」
「「―――え?」」
その瞬間だ。
恭弥と最上君は勿論、耳をそばだてていたクラスメイト達が一斉に驚愕の表情を浮かべる。
だが、果たしてそんなに意外なことを言っただろうか。
「あの明槻くんが・・・制裁しない?」
「どうしたんだよ刀夜!? 変なもの食ったか? 一億円でも拾ったのか? ―――分けてくれ!」
「・・・でも、確かに意外だよ? 刀夜」
散々な言われようである。
別に変なものを食べておかしくなったわけでも、大金を得て気分が良い訳でもない。
本当にどうでも良いのだ。
特にケガもした覚えはないし、最近では剃刀は減っているしな。
・・・いや、どちらかと言うと、俺はこれから何が入れられるのだろうかという興味が勝っているのだろう。
そういう意味でも、わざわざ訴えるつもりはなかった。
「まあ、そういう事らしいぞ。満足したんなら座れ」
「止めてくれても良かったんですよ? 先生。というか、教育者としてはどうなんです?」
「お前なら問題ないだろう? 助けがいるなら自分から来い。―――さて、連絡事項だけささっと伝えていくからな」
確かに問題ないとは言ったが。
そう言われるのは納得がいかない。
本当に、この人は掴み所が無いというか。
・・・俺と夏美先生があまりに親し気に話している様子から、一時は変な噂まで持ち上がりかけたが、実際の所は全くのデマ。
俺と彼女は入学式の日が初対面だ。
ただ単に、彼女が一方的に知っているだけに過ぎない。
しかも、ご存じなのは想像しうる最悪の情報だろう。
そのまま彼女は教壇に就き、生徒たちは自分の席へ。渋る者も進行を妨げる者も居ない見事な連携だ。
・・・・・はて?
何かを忘れてしまっている気がする。
いや、忘れたのなら大したことではないだろうが。
俺は連絡事項を伝える先生の話に耳を傾けながら、どうにも釈然としない思考を切り替えることにした。
へえ、今日の移動教室は取り止めか。
―――――――――――――――――――――――――
「・・・いや、普通忘れるか?」
「「あり得ない」」
「明槻君って本当に逸般人なんだね。心臓の出来が違うよ」
・・・本当に忘れてたんだ。
何故、校内に俺の良からぬうわさが流れていたのか。
一部の生徒から非難じみた視線を向けられるのなら理解できるが、多くの生徒達から侮蔑の視線を向けられるなど、なかなかできない経験だ。
放課後になってその事を思い出した俺。
友人たちに情報を求めたが、むしろ今まで何を考えていたんだとお叱りを受けた。
教室を飛び交うのは「鳥頭」だとか「刀夜のTは某アンドロイドのT」だとか。・・・散々な言われようである。
「でも、うちのクラスもその噂でもちきりでしたよ」
「別れた方が良いとか薦めてくる人もいたね。流石に出まかせだって分かってたから取り合わなかったけど」
「本当にな、話が壮大過ぎんだよ。指導部何してんだ?」
真白と同じクラス、G組も同じだったようで。
周防さんと中村さんも、情報共有に積極的だが、女子の習性なのか?
流れている噂曰く、俺は真白という彼女がありながら、この学校の女子生徒に手あたり次第手を出すクズ人間。
泣かせた女は数知れず、昨日も体育館裏で無理やり一年の女の子に迫った。
そして、俺が去って行った後には女子生徒のすすり泣く声が暫くの間響き続けたという運動部の生徒たちの証言もあり、かなり真実味がある話・・・・・だと。
「―――いや、最低な奴だな」
「自己紹介になってるよ、刀夜」
「つまり、誰かがありもしないデマを流したんだよね? でも、どこからその話が来たかとか、全く分からないんだって」
不思議な話もあったもんだ。
真白たちが誤解を解いてくれたおかげで、向こうのクラスではすでに沈静化している。だが、それでもうちと合わせてたった2クラスだ。
しかも、当の本人はその件自体を知らなくて。
放課後までのほほんと授業を受けていたわけで。
「こうなったら、その女子生徒に会いに行くしかないんじゃないか?」
「いや・・・流石にマズいだろ。火に油を注ぐことになりかねない。何より、クラスも分からん」
「そうですね。いくら知人でも・・・いえ、知人だからこそ難しいです」
その通りだ。
いくら知った仲だからと言って・・・ん?
いや、それはおかしい。
俺とあの女子生徒に面識なんてなかったはずだが。
「中村さん? それ、どういう事?」
あからさまに引っ掛かる。
まるで、以前からその子の事を知っていたような口ぶりだ。
そして、俺の言葉を聞いて何を思ったか、彼女は首を傾げた。
「・・・? 廊下で偶々名前を耳にしましたけど、その子、同じ中学だったじゃないですか」
「「え?」」
一瞬にして場が鎮まる。
皆の視線は俺と中村さんを交互に移動して。
んな、馬鹿な。
だって、それなら昨日真白と話した時に・・・あ。
「真白? 浅井里奈って子なんだけど」
「―――あ。 ・・・・・うん、同じ学校だね」
はは、名前までは話してなかった。
意見は求めた物の、プライバシーとかあるし。
今日・・・正確には今日の放課後まで、ここまで重要なことだとは思っていなかったのだ。
―――そうか、同じ中学校。
「「・・・・・刀夜(明槻)くん?」」
「いや、面目ない」
一斉に注がれる非難の視線。
確かに、最低と言われても仕方が無い。
同じ中学校から柴ヶ咲に入学した生徒は数えるほどしか居なかったし、他の二人は知っているのに俺だけ知らない・・・。
性差という点があったとしても、酷い。
「じゃあ、その子は中学時代から刀夜が好きだったんじゃないかな?」
「そうですね、その可能性は大いにあります。・・・だとしても、根も葉もない噂が不自然に歩きすぎていると思いますけど」
理知的な二人が意見を交わす。
もう彼らに任せたいくらいだ。
だが、俺は完全に当事者・・・というより、何も知らない生徒達からすればすべての元凶であり、返す言葉もない程の悪役だから。
解決とまでいかなくとも、沈静化させる義務くらいは有るだろう。
だが、直接会いに行くというのは無い。
それは、むしろ状況を悪化させるだろう。
相手も、あの時にその話を持ち出さなかったことから、特にその点を意識していたという訳ではないだろうし。
「まあ、何にしてもだ。今日はもう遅いし、ここらで帰ることにしよう」
「・・・そうだね。刀夜が刺されないように、みんなで固まって帰ろうか」
どういう意味だ? 賢。
こんな冤罪で刺されたら、死んでも死にきれないぞ。
それこそ、もう一回転生してきてやる。
「じゃあ、僕はこの辺で失礼するね」
―――最上君は用事があるので先に帰るようだ。
彼は帰路も違うしな。
現在のメンバーは何時もの男子三名、真白とクラスメイト二人、そして美鈴か。
ずいぶん大所帯だな。
話していたせいで遅れていた帰り支度を進める。
取り敢えず先の件を忘れて世間話に興じる中、思い至ったように恭弥が手を叩く。
「そうだ。せっかくだし、学校帰りにどっか寄ってこうぜ?」
「お、良いじゃん。寧々っちとお話してみたいと思ってたんだー」
「私も、美鈴ちゃんはいい子だってクラスのみんなが言ってたから、友達になりたいと思ってたの」
俺と賢は、その会話を聞いて苦笑いする。
成程、これが女子か。
どちらも、クラスの中心的な人物という立ち位置。
表面上はとても微笑ましい会話の筈なのに、何故かマフィアの首領が会合を開こうとしている絵面が幻視されて。
「良い? 刀夜くん」
「あ・・・・ああ、一応、家に連絡してその旨を・・・なんだ?」
一斉にニヤニヤするな。
微笑ましげな、生暖かい目をするな。
「頼もしいね?」
「・・・ハァ、全くだ」
彼等は勿論、隣の少女も。
メンタルに関しては、俺の事を言えないよな。
準備が出来たので、俺たちは皆で固まって廊下へ出る。
心なしか俺を囲むようにして歩く仲間たち。本当に、自身が恵まれていると実感できて。
―――だが、それはそれとしてだ。
「どこか適当なファミレスとかに寄っていくとして、名目は必要だよな?」
この際だ。
恩の清算は、今のうちにしておこう。
一介の高校生に過ぎない自分がしてやれることなんて、たかが知れている。
俺の言葉に、思い至ったように頷く者、顔をしかめる者まで様々。
だが、皆が一様にある単語を発したのは確かだ。
「「―――勉強会!!」」
もうすぐ試験だしな。
これだけ人数が居れば捗ることだろう。
だが、異口同音を告げた俺たちの中に在って、一人だけ訳が分からないといった顔で首を傾げる者が居た。
やがて意味を理解した男の顔は、みるみる青ざめていく。
「・・・・・え?」
そう、恭弥。
ここ数週間で、彼の学力はほぼ調査済み。
結果として、この学校に入学できたのが不思議なくらい凄いという事が判明している。
まあ、そういう訳だから、彼にはみっちりと頑張ってもらうことにしよう。
―――なに、時間はたっぷりある。




