第八話:追憶と予感
「もっと家具増やしても良いんじゃないかな?」
「まあ、その内な」
「・・・刀夜君、そればっかり」
あれから二時間ほど。
教室に戻って荷物を回収した俺は、いつも通りの通学路で自宅へと帰って来ていた。
隣には彼女さんが居て、話をしながらテスト勉強に精を出す。
最初の中間テストはもう少し先なので、早すぎるという事は全くない。むしろ、進学校に通っている身としては、これが当たり前だろう。
他の皆も同じように取り組んでいる・・・筈だよな?
うちのクラスに限っていえば、断定できないのが悲しい所だ。
一度机から視線を移した俺は、リビングをぐるりと見渡す。
家具・・・ね。
前世の俺も一人暮らしだった。
一時期は頼まれて猫を飼っていた時期もあったが、基本的にはいつも一人で・・・特に金のかかる趣味も持ち合わせていなかったから、家具も家財も少なかったな。
故に、その癖が抜けていない。
ミニマリストという訳ではないが、うちにあるのは必要最低限。
生活費も殆ど貯蓄に回していて、食事も自炊が当たり前。
ある種、模範的な清貧さともいえるが、彼女が毎日のように隣にいる男の生活としてはどうなのだろうか。
コーディネートの心得など生まれる前に置いてきたので、頼れる彼女さんに話を振る。
「なにか部屋に欲しい物とか無いか? 人をダメにするソファーとか」
「・・・もうあるから大丈夫じゃない?」
成程、確かに。
果たしてそれがどちらを指す言葉なのか考えたが、双方向という事で手を打とう。ほっぺがぷにぷにで、心も体も温かいマシマロソファーさんだ。
座るというか、預け合うというか。
だが、それはそれとして、部屋に華やかさは要るだろう。無いとは思うが、推定友人たちに突撃されてきたときのために。
バイトでも始めるか?
うちの学校は勉学を重視した進学校である。
だが、高校から許可を貰えばバイトをすること自体は可能。
まあ、本当にバイトをしなければいけないのか、家庭環境を精査されるし、条件として学力の維持を約束させられるわけだが。
中には学校に秘密でやっている者も居るだろう。
俺の場合は・・・多分許可してくれるのではないだろうか。
一応、夏美先生に申請書を貰っておくことにしよう。
「・・・ねえ、刀夜君」
「ん? ・・・ああ、例の件か」
働くのなら、どんな場所が良いか考えていた俺は、真白の言葉を受けて我に返る。
俺としても、ああなるとは思わなかったからな。
今でも後悔しているわけではないが、もっと他に出来ることが有ったのではないだろうかと、自分なりに考えていたところだ。
話は数時間前に遡り―――
『・・・ほら、やっぱりダメだって。こんなことしないで早く帰ろ? 里奈』
俺の言葉に真っ先に反応したのは同行者。
ある種、当然の返答だと予想していたのだろう。
彼女は浅井さんの肩に手を置くと、諭すように話しかける。
だが、少女は俯いたまま反応しない。
それは、打ちひしがれている様子ではなかった。
沈黙が訪れた空間。
聞こえるのは、運動部の掛け声ばかり。
新入生を迎え、新たな形となった彼らの声が遠くからこだまする中・・・確かな呟きが耳に届く。
『・・・・・良いんです』
『里奈?』
―――聞き間違い?
おおよそ、聞いたこともない言葉。
いや、そんなことを言われるとは思わなかったので、面食らったのかもしれない。
『お願いします! 二番目でも良いんです! 私にチャンスをくれませんか?』
『里奈!? 何言ってんのよ! そんなの駄目に決まってるじゃない!』
・・・どうしてそこまで
そう口にする間もなく、差し込まれた驚愕の声によって場は混沌に。
俺自身、対処のしようが無いと理解することが出来たから、ただ傍観することしかできない。
『他にいくらでも選択は有るから! そんなの駄目!』
『・・・でも』
『でもじゃないよ! ・・・大体、端からOKされるわけないって言ったじゃん』
その一点には、俺も同意。
これで了承するのは、お人好しなんかではない。
彼女の事を何とも思っていない、愚か者だ。
だから―――
『その子の言う通りだ。そんなことをしたって、誰も幸せになんてならない。むしろ、皆が不幸になる考え方だ。ここは日本だから』
例外もあるだろう。
だが、そんなタラレバに付き合うような余裕はない。
前例を尊重し、可能性を考察し、割に合わないと分かったのならすぐに撤退する。
バカな事をするのは、本当に大切な物の為だけで十分。
諭すように言葉を投げかけた俺を睨みつける同伴者。
理不尽だと思わなかったわけではないが、これは仕方ないだろう。
この場において、悪役は間違いなく俺だ。
だからこそ、何時までもこの場に留まるのは誰のためにもならない。拒絶という行動は大きなシミを生み、後々まで付き纏うから。
これ以上の応酬をして、傷口を広げるのは御免だ。
俺は、背を向けてその場を後にする。
後ろから聞こえるのは、すすり泣く声と、それを慰める声。
向こうも、これ以上引き留めるつもりはないようだ。
いつもより歩幅が大きくなったのも、鼓動が早いのも、緊張から。
早く自宅へと帰るべく、俺は駆け足で教室へと足を向けていた。
「―――そのまま去ったのはマズかったかな?」
「ううん。それが一番だったと思う。―――でも、やっぱり気になるかも」
「・・・だよな」
真白は、誰よりも相手の機微を深く観察している。
相手の嫌がることも欲しいことも分かっているからこそ、誰とでも仲良くなることが出来るし、常に周りには友達がいるようになった。
だが、最初からそうだったわけではない。
一重に、彼女が努力を重ねた結果だ。
だから分かるのだろう。
たとえ会ったことが無かったとしても、同性であるが故に分かることもある。それに、異性である俺から見ても違和感はあった。
あの必死さは、ちょっと異常だ。
上手く言い表すことは出来ないが、こう・・・一種の強制力に動かされているかのような、そんな感じと言えばいいだろうか。
だが、それに関しては当事者という訳ではない俺たちには考察の仕様はない。
自然、この話はそこで止まってしまい、再び沈黙が訪れることになった。
「・・・もしも、変なことに巻き込まれちゃったら、すぐに言ってね? 私に出来ることがあるかもしれないから」
「ああ、勿論。本当に頼りにしてる」
対人関係では、この上なく。
女性同士の問題という点でも、今までに彼女は多くの事を解決してきた。
「・・・さて、そろそろ恵那ちゃんも帰って来るんじゃないか?」
時計を見れば、そろそろ七時になる頃。
後しばらくすれば妹さんも帰ってくる筈。
陸上競技部に所属している恵那ちゃんは、以前にも増して活発的にスポーツに励むようになっていて、大会での成績もぐんぐん伸びているという。
最初の内こそ、誠さんが大反対していた。
無論、帰りが遅くなるからという心配だ。
だが、幾つかの約束事と、何より数年前にこの一帯の通学路である事件が起きてからという物、ボランティアによる見まわりや補導が強化されていることもあり、彼女はその権利を勝ち得た。
「お父さんとどっちが早いかな? 遅くなったら、探しに行くかもよ?」
「はは・・・心配だって言ってもな、流石誠さんだ。でも、本当に恵那ちゃんは運動神経が良いよな」
「うん、私じゃあ絶対勝てないと思う」
・・・本当は、知っている。
かつて、恵那ちゃんが真白という存在に劣等感があった事を。
彼女にとって、真白は大切な姉であると共に、大きすぎる目標だったから。
二歳という年齢差を考えれば当然の事なのだが、本当の意味の真剣勝負において、彼女は真白との勝負に勝ったことが殆どない。
・・・自惚れかもしれないが、それには、俺も手を貸してしまったのかもしれない。
常に傍にいたからこそ、俺は真白に多くの知識を共有してあげることが出来たし、効率良く勉学を指導することが出来た。
だからなのだろう。
恵那ちゃんが、誰よりもスポーツにのめり込むことになったのは。
それが、最愛の姉に勝てるものであるから。
当初は、本当に思い付き。
だが、譲ることのできない核となる要因。
それが今では彼女を支え、大きな原動力となっているのだ。
「本当に、頑張り屋さんだよな。・・・いや、姉妹揃ってだよ?」
「・・・・・なら許します」
ご機嫌を損ねないように付け加える。
―――と、そんな時。
インターホンがの音が聞こえ、俺は腰を上げる。
「・・・っと、ちょっと行ってくる」
「うん」
確認を取り、椅子から立ち上がった俺は、親機で確認をとることなく、そのまま玄関へ向かう。
予想が正しいのなら、現在話題に上っていたタイムリーな少女だ。
・・・ガチャリという音、開く扉。
俺ではない。
自分は、まだ廊下の半ばまでしか到達していない。
歩いていた俺は警戒の姿勢をとり、ゆっくりと玄関ドアへと近づいていくが、鍵の開かれた扉はそのままゆっくりと開かれていき―――
現れたのは、見知った黒髪少女。
「ただいま! 刀夜お兄ちゃん」
「・・・お帰り、恵那ちゃん。でも、一つ言いたいことがあるんだ」
ただいまは大事だ。
勿論、お帰りも大事だ。
だが、それ以上に確認しなければいけないほど大事なことが存在する。
俺は、にこにこと可愛らしい笑みを浮かべながら入ってきた少女に確認をとる。
「ここ、俺の家なんだけど」
君んち、隣。
ここ、俺んち。
いや・・・それ以前に、どうやって鍵を開けたんだ?
怒らないから、お兄さんに言ってごらん?




