第四話:白峰家の食卓で
「わー! 刀夜お兄ちゃんだー!」
「こんにちは恵那ちゃ――っとと」
「恵那? 刀夜君は私のだからね?」
俺の姿を見つけるなり猫のようにじゃれついてくる少女・・・恵那ちゃん。
真白の妹は誠さん譲りの黒髪に、ティネラさん譲りの蒼い瞳を持つ美少女だ。
真白を癒し系とするならば小悪魔系といった表現が合うだろうか。
一度自宅に戻って私服に着替えてきた俺だが、料理の下拵えをしている真白たちの会話に交じっているうちに恵那ちゃんが帰宅してきて現在に至る。
真白よりもやや小柄な少女は中学二年生。
後ろから抱きしめられるとまだまだ発展途上の身体が当たって非常にマズイ。どうやら台所の方から聞こえる真白の声は彼女の耳には届いていないようだ。
「えへへー、聞こえませーん」
うん、聞こえていないようだ。
細い腕を俺の首に回して頬ずりしてくる姿は本当に猫みたいだな。
前世の俺は一時期友人に頼まれて猫を飼っていたのだが、気分はまさしくあの時の猫吸い・・・いや、猫吸われ?
そんなことを考えながら現実から目を背けていると、「ああっ」という声と共に恵那ちゃんが離れる。
「お姉ちゃんばっかりズルいよ」
「恵那にはまだ早いの!」
「二年生の時から付き合ってるくせに!」
後ろを振り返ると、どうやら真白が恵那ちゃんを引っぺがしたようだ。
俺の後ろで繰り広げられる姉妹の口論はしかし、どちらも相手に手を出さないよう、自分を抑えるように行われている。
この辺はティネラさんと誠さんの教育が良いんだろうな。
「私と刀夜君は清い交際をしてるから良いんです」
道理の通らない姉の言葉に口をとがらせる妹。
確かに、俺たちの関係はいざ誰かに聞かれても「健全なお付き合いをさせていただいてます」と答えられる関係だ。
そうでなければ困ることも多いだろうしな。
「むむむ・・・お姉ちゃんは刀夜お義兄ちゃんと結婚するんだよね?」
「うん」
即答されるとかなり恥ずかしい。
恵那ちゃんの質問に一瞬のためらいもなく肯定する真白。
それ自体は恥ずかしいが、嬉しさが勝る。
だが、突然そんなことを言い始めた恵那ちゃんは一体何が狙いなんだ?
「二人は家族になって私も家族になるんだよね?」
「うん」
「つまりはわたしのお義兄ちゃんになるわけだからじゃれてもオールオッケーだよね?」
「うん・・・・うん?」
何かがおかしいと首を傾げる真白。
どうやら妹の術中に嵌まってしまっているようだ。
というか君たち楽しんでるよね? すでに二人の間の剣呑な雰囲気は無くなり、一種のゲームのようなやり取りが交わされている。
それでもそろそろ止めるべきだと思うので俺からも話題を振るか。
「恵那ちゃんは気になっている男子とか居ないの?」
彼女は内気だった真白とは違って小さい時から活発で社交的だった。
その容姿も相まって人気者であることは間違いないだろうし、告白だってされることはあるだろう。そんな彼女のことが気になって疑問を投げかけてみる。
「んー、今はいないかな。付き合うなら紳士的で、強くて、優しくて、大人っぽい雰囲気の人が良いなー」
理想が高すぎる。
まあ、恵那ちゃんはある意味早熟みたいなところがあったし、同年代の男子はどうしても子供っぽく見えてしまうということもあるのだろう。
あごに手を当てて考えながら話す恵那ちゃん。
その言葉に頷いている真白の好みも同じらしい。
この辺はやっぱり姉妹なんだな。性格自体はあまり似ていないが、趣味は似通ったものが多い。にしてもこの理想の男性像は・・・・・。
「誠さんみたいな感じかな?」
どう考えても誠さんだ。
あの人は紳士の具現化だからな。
俺は聞いたことが無いけど、もしかしたら『パパのお嫁さんになる』とか言っていたのかもしれない。
しかし、俺の言葉に恵那ちゃんは首を横に振る。
「パパは違うよ? ママのお尻に敷かれてるだけだもん」
・・・・哀れ、誠さん。
こんなところで白峰家の力関係を知ることになるとは。
確かに、四人家族で男一人ともなると民主主義の国では敗色濃厚だ。
まあ、彼からはよく惚気話を聞かされることもあるし、夫婦仲は非常にうまくいっているのだろう。
誠さんが幸せならそれでいいんだが。
「刀夜お兄ちゃんみたいな人が良い!」
「・・・・・そっか」
子供と猫を庇って赤ん坊になった人間はそう居ないだろうな。
恵那ちゃんが言っているのはそういう意味ではないのだろうが、俺と同じような人間は少ない方がいい。
自分で言うのもなんだが、何をやらかすか分かったものではないし。
最近では真白がいるからこそ行動にストップをかけられるようになってきた気すらして、もし彼女と会っていなかったら俺は今頃何をしていたのだろうかと思わないこともない。
「真白ー、そろそろ戻って来てくれないかしらー」
台所から聞こえてくるティネラさんの声。
どうやらちょっと長話になってしまったみたいだな。
「はーい」と元気よく言辞をして台所に戻っていく真白。今更だがエプロン姿が凄く似合ってるよな。
「お姉ちゃんに見惚れてるね?」
「ああ、世界一可愛いからね」
「ムム・・・一途な彼氏欲しいなー」
夢を語るかのように虚空を見上げる恵那ちゃん。
だが、どうしてこちらをチラチラ見てくるのだろうか。
俺が恵那ちゃんになびいた時点で、少なくとも一途ではない。
「きっと素敵な人が見つかるよ。恵那ちゃんは魅力的な女の子だからね」
「そうだと良いんだけどなー。じゃあ、私着替えてくるねー」
そう言い残して駆けていく恵那ちゃん。
彼女であれば告白してくる男子には事欠かないだろうが、モテる少女にも悩みがあるのだろう。最後に彼女が見せた物憂げな眼からそう感じた。
再び一人になったリビングルームでソファーに座りなおす。
しばらくすれば誠さんも帰ってくるだろうし、そうなれば賑やかになるだろうな。
あの人、会社でも重要な役割を担っているから忙しいはずなのに、必ず定時で帰宅してくるようなハイスペック人間だし。
俺は恵那ちゃんが戻ってくるのを待ちながら冷めた紅茶を飲み干した。
「イヤー、本当にめでたいな! 真白と刀夜君がもう高校生になるなんて・・・入学式」
「あなた、写真も撮ってますから」
「刀夜君、今日の唐揚げはどう?」
「最高だ。塩味も醤油味も良く染み込んでる」
食卓を囲むのは白峰ファミリー四人と俺。
どうやら誠さんは未だに入学式に来られなかったことを悔やんでいるようだ。
真白が俺の隣で料理の感想を求め、恵那ちゃんは一心不乱に料理を咀嚼する。
俺は一人静かな食事も嫌いではないが、やっぱり誰かと一緒に食べる喜びは比較にならない。
真白が担当したという唐揚げも最高に旨いしな。
「・・・刀夜君、本当に君には感謝してる。君がいてくれたから僕たち家族はこうして幸せに笑いあえているんだ」
「俺も感謝しかありませんよ。俺が今でもここに居られるのは誠さんたちの・・・真白のおかげです」
照れるように顔を赤くして俯く真白。
・・・本当にそうだ。
もしあの時この人たちがいてくれなかったら、真白がいてくれなかったら、俺は間違いなく普通の暮らしはしていなかっただろうからな。
本当に、転生者が聞いてあきれる。
身体ばかり大きくなって精神がまるで成長していない。
「君は本当に・・・修也と香奈枝さんも喜んでるさ」
「・・・ええ、きっと」
誠さんの双眸から感じるのは強い信頼の意思。
あの二人だったらなんて言ってくれただろうか。
・・・・いや、考えるまでもない。
父さんと母さんならとんでもないサプライズを用意しようとして俺を困らせて、でもその思いが何よりも嬉しくて。
父さんと母さんは常に俺を優先してくれて。
俺が幸せになるのを何より喜んでくれたことだろう。
だから、迷わない。
大切な人と添い遂げるために、必要なことを全て成し遂げて見せよう。
いつか、かのバカップルだった夫婦に自慢できる程幸せになって見せつけてやるのだ。
「さあ、ご飯食べてちょうだい? 今日は自信作ばかりよ」
感傷に浸るような空気になった食卓を盛り上げるために料理を進めるティネラさん。
量が量なので食べ切れるかどうかは分からないが、どれも俺が作るのを避けるような手の込んだものばかりだ。
この機会に存分に食い溜めしておくのが良いだろう。
再び食器の鳴る音、楽しく笑う声といった温かな空気が戻ってきたダイニング。
俺は夢中になって食に没することにした。
「あ、そうだわ。今日帰ってきたら真白と刀夜君がすっごくいい雰囲気だったから思わず動画を取っちゃったんだけど・・・・・」
「―――ほう? それは是非とも検閲しなければね」
「私も見たい!」
・・・そうだった。俺はティネラさんの高性能カメラに収められたあの時の光景を思い出す。
今更ながらあれを撮られたのは凄く恥ずかしいな。
無邪気に笑う恵那ちゃんはともかく、眼鏡をキラリと輝かせた誠さんの瞳には少しだけ剣呑な何かが宿っている。
さっきまで完全に忘れていた真白も思い出したようで、「ふぇ!?」と素っ頓狂な声を出して顔を真っ赤にする。
――これも永久保存版だな。
誠さんと恵那ちゃんは興味津々で開示を求め、ティネラさんもカメラを持って戻ってくる。
どうやら全員準備は万全のようだ。
「見ちゃダメー!!」
明るい部屋にこだまする真白の恥ずかしげな声。
いくら彼女が恥ずかしがったところでこの空気の中止めることは不可能だろうな。必死にティネラさんが席に着くのを防御しようとする真白を見ながら他人事のように考える。
本当に、この人たちに出会えてよかった。心からそう思える。
あとでデータを貰わないとな。




