第三話:彼女の部屋は別世界
「いや、入学祝いだからといって今すぐ上がるのは・・・な?」
「大丈夫だよ。お母さんも歓迎してくれるし、恵那が帰ってくるまで一緒に遊んでよ?」
中村さんと別れ、家のあるマンションまで戻ってきた俺達。
今日は入学祝いだからと白峰家で夕食をご馳走になるという話は前からしていたが、さすがにそれまでの時間は自宅に居ようと思っていた。
しかし真白の考えは違うようで、そのまま俺を自宅に上げようとしているわけだ。
彼女と一緒に居られるのは俺としても大歓迎なのだが、節度ある交際が。
それにまだティネラさんは帰って来ていないだろうし、勝手に上がり込むのもな。
「さ、行こ?」
「・・・・・ハイ」
我に抵抗の二文字なし。
凄く情けない文脈だが、彼女に手を引かれてしまうと俺の意志は即座に霧散していった。
流石に守るべき一線は心得ているのでまあ、許してほしい。
嬉しそうにほほ笑む彼女に誘われるまま白峰家に上がり込むと、きれいに整理された玄関と廊下が目に飛び込んでくる。
この家の住人は皆綺麗好きで、特にティネラさんは暇さえあれば掃除を行っているくらいだ。
俺の家も散らかってはいないのだが、それは家主の趣味が殆どないのでただ物が少ないだけだしな。
靴を脱ぎ、廊下を抜けた先にある禁断の部屋に俺は足を踏み入れた。
「私お茶入れてくるね」
「あ、お構いなく」
俺を部屋に通した真白はパタパタと廊下へ出て行く。
気分的・・・というより、そのまま彼女の家に上がり込んだ男だな。
真白の部屋。
間取り的には俺が寝室として使っている部屋と全く同じはずなのに、カーテンやベッド、ぬいぐるみなどが女性の趣味に寄っていると、どうしてこんなにも別世界に思えてしまうのだろうか。
とりあえずは、ベッドを背にしてカーペットの上に座り込む。
白と桃色を基調とした世界に俺という存在がいるのが場違いに思えてしょうがない。
流石にこの部屋で男子高校生の変死体が見つかるのはマズいので、息を止めるわけにはいかないが、漂ってくる甘い香りは健全な男子高校生には猛毒だ。
今俺がとれる唯一の対策は―――
「おまたせー、・・・刀夜君? 何やってるの?」
「・・・ちょっと息止めの世界記録を樹立しようと」
頬を膨らませて目を閉じている俺に対する当然の疑問だろうな。
真白が戻ってきたので馬鹿なことはやめて返事を返す。
彼女はお茶の入ったマグカップが二つ乗ったお盆をテーブルの上にのせると、そのまま俺の隣に腰を下ろした。
白峰家で出されるのは大抵紅茶だ。
誠さんとかティネラさんは優雅なお茶会とかすごく似合いそうだしな。
マグを手に取り、その温かさを楽しむ。
鼻孔をくすぐるのは紅茶の芳香に交じった女の子特有の甘い香りで。
「入学式の答辞、カッコ良かったよ」
しばし俺たちが紅茶を飲む音だけが響いていた室内。
真白が先ほど下校していた時には話さなかった今日の出来事について話題を振ってきた。
俺は両手でマグを持っている彼女に目を奪われながらあの時の事を思い出す。
「ただ渡されたものを読んだだけだからね」
本当にそれだけ。
内容も舞台もあちらが用意してくれるから俺がやることと言えば本当に読むだけだ。
真面目に聞いていたのなんてそう何人もいないだろう。
事実、俺の隣のやつは全く聞いてなかったしな。
まあ、卒業式でしりとりをし始めようとしていた奴よりはマシだと思うが。
「真白の方はどうだったんだ? G組の話はあまり聞いてないけど」
主に俺達A組の話が話題だったからな。
今更ながら明日の登校が心配になってくる。
最悪の場合恭弥を生贄にして―――
「えっとね・・・真紀ちゃん以外にもとっても話しやすい子がいたよ。みんないい子ばっかりだったし、男の子たちもすっごく元気そうだったし。仲良く出来そう」
「・・・・・」
俺が振った質問に真白が簡単な説明をするが・・・それはどういう元気だ?
入学式初日から元気な野郎は余程の陽キャか高校デビューをしようと必死になっている奴くらいだ。
可愛い女の子の気を引こうと必死になってアピールしているという線もあるし。
聞かなければいけないはずなのに、聞きたくないような気もしてくる。
というか、うちのクラスの馬鹿どもで手一杯なのに、別のことを心配している暇がないな。
「あと、刀夜君のことも聞かれちゃった」
少しだけ申し訳なさそうに続ける真白。
俺と真白が一緒に登校しているところを見たのか、彼氏がいるのかという質問をされたのかは分からないが、これはむしろ僥倖だ。
俺としては真白に彼氏がいるという情報を聞いた男子が彼女に告白するのを諦めることを期待しているので、出来れば早いうちに広がってほしい所だからな。
「こっちのことは気にしなくていいよ。友達と話すのに話題は必要だしね」
「・・・・・ん、ありがと」
安心させるように頭をなでると、コテンと可愛らしく俺の方に頭を預けてくる真白。
電車で隣の席のオッサンにやられたらイラっと来るのに、大切な人にやられるとどうしてこんなにも心が躍るのだろうか。
話が途切れた部屋の中、瞼を閉じて肩を上下させる彼女の体温を感じながら静寂の時間を楽しむ。
「クセに・・・いや、依存症になりそうだ」
「沢山依存し合おうね?」
「それはそれで、どうかと思うけどね」
例えるなら闇落ちした天使の誘惑。
彼女の場合、こういうことに関しては確信犯なのだが・・・いったい誰が教えるんだ?
小さい頃からずっと一緒に居た少女と俺は今、こうして寄り添っている。
本当に、子供の成長というのは早いものだ。
時々我に返ると思うのだが、俺のやってることって光源氏計画そのものじゃないか?
傍から見れば女の子を自分好みに育てている酷い人間だ。
まあ、俺は誘惑なんて教えた覚えはないが。
むしろ俺に御享受してほしい所だし、恋愛ごとに関して俺は初心者もいいところだ。
このままいけば彼女の誘惑に負ける日も遠くない。
もっと頑張れよ前世の知識。
「もうすぐ結婚できる歳だよ?」
「真白はね。俺はまだかかるし、何より責任のとれる大人になっていない。ずっと一緒に居るために、やらなきゃいけないことはまだまだたくさんあるから気は抜けないよ」
社会的地位も、金銭的余裕もない。
普通、高校生になったばかりの恋人同士と言えば、別れる可能性も十分にあるのだろう。
でも、俺たちにはそんなつもりは欠片もない。
ずっとこの子と一緒に居たいし、幸せになってほしい。
まだケリを付けていない問題もあるのだから安心するのは早いだろう。
「私もいっぱい勉強するから。もし刀夜君が働けなくなっちゃっても大丈夫だよ?」
・・・・・いま、一瞬だけ彼女の蒼い瞳が怪しい光を宿していたような?
彼女は白峰グループの後継者に指名されていると誠さんから聞いている。
そして、俺が全力で調査した限りでは真実だと分かった――分かってしまった。
なら、俺のやることは決まっているのだが、今の光は一体・・・?
もしも何かも間違いで真白がヤンデレなんかになったりしたら・・・いや、アリだな。
―――ではなく、一方的な関係ではいけないのだ。
「常に一緒に居たいからね。男としては大変堕落的で魅力的だけど、却下だ」
「もちろん知ってるよ。私の大好きな刀夜君はそういう人だから。でも、絶対に一人で抱えちゃだめだよ?」
慈しむような声色で囁く真白。
堕落した天使でも厄介なのに、女神さまとはな。
だが、彼女の言うことは最もだ。
俺が外的要因の脅威を出来るだけ排除し、彼女は俺の心を守ってくれる。
今まで守り続けた鉄壁の布陣がこれだ。彼女は、いつでも俺の事を気にかけてくれているのだろう。
「分かってる。何かあったら絶対に相談するようにするよ」
「うん。・・・・刀夜君」
俺の言葉に頷いた後、そのまま瞼を閉じる真白。
これは・・・アレだ。
俺がその誘惑に抗えるわけもなく、こちらも目を閉じてそのまま・・・いや、ちょっとストップ。
『どんな時でも警戒を怠るな』これは爺ちゃんの言だが、彼に散々鍛えられた俺は常に周りの変化を感じ取るようにしている。
彼女の両肩に手をやって動きを止めると、部屋の入り口に視線を送る。
そんな俺の行動に疑問を持った真白も同じように視線をそちらに送り―――
「・・・・・大丈夫よ、続けて続けて?」
「「・・・・・・・・」」
少しだけ開かれたドアの隙間から話しかけてくるティネラさん。
その手にはまだ新しそうなカメラが握られていて。
音もなく帰ってくる技術も驚嘆ものだが、娘が男を連れ込んでいるのに随分と余裕だな、この母親は。
まあ、ティネラさんは俺たちの事を応援してくれているし、俺の事を信じてくれているので静観を決め込んでいたのだろう。
「うふふ、刀夜君の靴があるからワクワクして見に来ちゃったけど、良いもの撮れたわねー。最近のカメラはすっごく性能が良いらしいわ」
「お母さん! 自分は只今って言いなさいっていつも言うくせにズルいよ!」
「大人はズルいものなのよ?」
微笑ましい親子のじゃれ合い。
この光景は白峰家ではよく見られるものだ。ティネラさんの性格は恵那ちゃんよりで、人をからかうのが結構好きらしい。
俺も顔を真っ赤にして詰め寄る真白を収めたいので、是非ともあのカメラを借りたいところだ。
「ただいま真白。――刀夜君いらっしゃい、入学式カッコ良かったわよ。新しくカメラを買って本当に良かったわ」
「お邪魔してます。・・・今撮った写真か動画を後で共有させてもらっても?」
「勿論いいわよ。私はあまり詳しくないからお願いしていいかしら」
「お母さん! 刀夜君も!」
ティネラさんとほくそ笑みながら会話をする。
流石に真白でも今のを取られたのは恥ずかしかったのだろう。
だが、恥ずかしがってベッドに顔を隠してしまう仕草を見たティネラさんがさらにカメラを構えているのに気づいた方がいい。
このままでは愛娘の秘蔵コレクションが増えるばかりだ。
「さあ、今日は二人の入学祝だからいつもより豪華に行くつもりなの。真白、手伝ってもらってもいい? いつまでもそんなことしてたら刀夜君が呆れちゃうわよ?」
「・・・・うん」
いえ、大変可愛らしくていいと思います。
ひとしきり楽しんだ後、ようやくカメラを収めたティネラさんが真白に話しかける。
小学生の時から手伝いを始めた真白は俺なんかでは及びもつかないほどの料理上手になってしまったのだ。
俺なんて今でも少ないレパートリーでローテーションしてるしな。
前世でも一人暮らしだったが、真白やティネラさんの料理をお裾分けしてもらうと自分の料理のレベルの低さに嫌気がさしてくる。
『知らないことは幸せ』とはよくいった物で、知ってしまったら戻れないのだ。
「じゃあ、俺は家に戻って着替えてくるので」
「ええ、色々と新鮮なお話を期待してるわよ?」
ティネラさんは今日の出来事を聞きたいらしい。
とりあえず、下拵えのためにキッチンへ向かう二人と別れて俺は玄関へ向かう。
本当に、家が隣って凄いことなんだよな。
一緒に住んでいるような錯覚さえしてしまうのだから。
俺はどんな料理が食卓に並ぶのかを楽しみにしながら扉を潜った。




