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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第九十七話  『神の血をひく者』

【道摩】


かつて宴の席で、伯父から聞かされたことがある。

法師として無能と判断された鬼どもは、山で働かされている、と。


穴の底で金脈を探す。

落石や湧き出す水、毒、あるいは病で命を落とす。

やつらは陽の当たる場所に出ることなく、忘れ去られ、一生を終えるのだ。

哀れなことよ、と。


その時わしは、例え鬼に生まれ変わることがあったとしても、そのような目にだけは遭いたくないと思った。


だが、あれから二年。

わしは、その、忘れ去られる鬼どもがうらやましいと思うようになっていた。


無能呼ばわりされながら姿を隠すこともできず。

国を出て行くことも許されず。

冷笑されながら生きていかなければならぬ辛さに比べれば、どれほどのことがあろう。


挫折を知らぬ兄には、それさえもわからぬのだ。

にもかかわらず、煮えくり返るほどの怒りを、後継たる兄にぶつけることが出来なかった。


おのれの弱さをさらけ出すことが恥ずかしかっただけではない。

脱落した鬼を羨ましく思う。その性根を長や一族に知られることになれば廃嫡もあり得た。

意気地のないことにそう思った。


この国から逃げ出し、どこぞの山奥で獣を狩り、木の実や山菜をとり、暮らしていけぬものか。

出来るはずもない日々を夢想した。

そうでもせねば狂い死にしそうだった。


逃げるように岩穴を出た。

生ぬるさの残る空気が頬を撫でる。

崖の層の段差を削り広げた道ともいえぬ道に立って空を見上げる。

いつもと変わらぬ星が瞬いていた。

涙がこぼれた。


兄が、追いかけるように出てきた。

どうして、そっとしておいてくれないのだ。

劣った者の気持ちが全く分かっていない。

誰もが褒めたたえる、その兄の前で涙を見せたくなかった。


袖で頬を拭いながら、距離を置こうとして岩につまずいた。

手を伸ばしてきた兄が崖際に押し付けてきた。

あわてて崖にすがりつく。


後方で、何かが滑り落ちる音がした。

ぶつかるような音とともに小石や砂が音を立て崖下に落ちていった。


血の気が引いた。


足が震えた。

ほとんど首さえ動かさず、恐る恐る崖下を見た。


――兄の姿があった。

月の明かりの下、苦痛に顔をゆがませている。

わしを救おうとして足を滑らせたのだ。


わしの足元から一尺ほど下にある灌木の枝を掴んでいる。

その手首は、赤黒く濡れていた。

落ちる時に岩か枝で切ったのだろう。


もう一方の手は、だらりとぶら下がっていた。

片手だけで捕まっていたのだ。


落ちるときに体を打ちつけてもいるだろう。

声も発しない。


ぱらぱらと落ちていく砂や小さな石の音だけが耳に届く。


絶壁と呼んで差し支えないほどの崖である。

片腕だけで全体重を支え続けているわけではあるまい。

わずかでも片足は岩にかかっていよう。

だが、枝を掴んだ片手は負傷し、もう片方の手は折れぬまでも、それに近い状況にあろう。


これでは印を切ることも、呪を唱えることもできない。

いや、できたところで、小石を飛ばす程度の力で、この窮地を脱することができるとは思えなかった。

気を高め、通常の何倍もの力を発揮する術もあると言うが、この状況でできるはずもない。


手を伸ばせば届いただろう。

だが、足元は狭い。

いや、広かったところで、わし一人の力で兄を引き上げられるとは思えなかった。


兄もそう思ったのだろう。

「縄を」と、消え入るような声を発した。

うめくような息遣い。


山に修行に入る際に螺緒と呼ばれる縄は身に着けている。

近くにあった木に結び付けようとするが、指が震えて螺緒をほどくことさえままならない。


胸がつぶれそうだった。

意識が途切れそうになる。

苦しげな兄の息遣いが焦りを誘う。

それでも、どうにか結び終えた。


しかし、縄をたらしても、兄が自力で自分の体に結び付けることはできまい。

ましてや、血にまみれ震えている腕で、縄を掴んで上がってくることなどできようはずもない。


このような場合は、自分の腰に縄を結び、兄の手首を掴み、引き上げるべきだ……と、わかっていた。

修行の中で学んでいた。

できるかどうかはともかく、やらねばならぬとわかっていた。


だが、できなかった。

自分の結んだ縄は本当にほどけぬだろうか。

もし、ほどけたら兄もろとも崖の下に落ちることになる。


奈落の底が、ぽっかりと、真っ黒い口を開けて待っていた。

その先には「死」があった。


「――兄上、縄が、たわぬ」


自分の声とは思えなかった。

兄の顔が哀しげに歪んだ。


顔を背けなければと思った――できなかった。

目を閉じなければと思った――できなかった。

わしは、兄の指が力を失い、枝から離れていくさまを食い入るように見つめていた。


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