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『あさきゆめみし』  作者: 八神 真哉
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第九十六話  『わが名は道摩』

【道摩】


――そうだ。

わが名は、「道摩」。


長の家に生を受けたその時より、壱支国の後継として皆の期待を一身に浴びてきた男だ。


さかのぼること四百年前、不意を衝いて攻め寄せる大和の大軍を一刻とかからず殲滅させた救国の英雄、荒覇吐様の血を引く男だ。

神として祀られた偉大なる呪術師、荒覇吐様の正統なる後継者だ。


だが、その壱支国では、わしを尊敬する者はいなかった。

天分の片鱗ひとつ見せることができなかったからだ。

父や母は言うまでもなく、臣下の者どもからも軽く見られた。


祖父に至っては、さらに辛辣だった。

「お前は、われらの血を引いていない」と、罵られたことさえある。


孤独だった。

ただ一人、「るり姫」と、呼ばれていた瑠子だけが、わしになついた。

出来の良い長兄とは齢が離れすぎていただけであろう。

力もないのに誇りだけは高いわしは好かれる性質ではなかった。

それがわかるだけの分別はあった。


     *


三つ上の兄、道尊は呪力にすぐれていた。

十一にして、式札はおろか一寸の石を一里先まで飛ばすことができた。

荒覇吐様の再来と謳われていた。

属国同然の壱支国を独立に導くに違いないと皆が期待した。


「自慢の兄上ですな」と、追従する者もいた。

鷹揚にうなずいて見せたが、(はらわた)は煮えくり返っていた。


そいつの顔には、幼いわしにもわかるほどのあざけりが浮かんでいたからだ。

同じ兄弟なのに、どうしてこれほどまでに天分が違うのか、と。

「修行に励みなされ」と、あからさまに口にする者もいた。


わしにとって兄は焦りの種、怒りの種にすぎなかった。

幼いころから、お前の兄は、この齢でこれができたと比べられてきた。

家柄に、兄の名に傷をつけぬようにと繰り返し聞かされてきた。


わしとて、呪術師としての天分が全くないというわけではない。

憑代(よりしろ)としての力は群を抜いていた。

霊を呼び寄せることが出来た。

二、三年もすれば国一番の憑代と呼ばれていただろう。


だが、憑代の能力は不当とも思えるほど評価されなかった。

荒覇吐様がそうであったように、わが国では相手をねじ伏せる類の呪力だけが評価された。


我が兄は、その呪力にすぐれ、学問にすぐれていた。

人当たりも良い、万事そつのない兄であった。


帝の軍勢が攻め寄せてくる八日前のことだ。

その兄が、誘ってきたのだ。

「道摩よ、わしは明晩、山に籠ろうと思うが、お前もいかぬか」と。

その優しさが、いかに弟を傷つけているかにも気づかず。


それでも、誘いを断ることができなかった。

たまに、遅咲きの者もいると聞いていた。

憑代としての能力はあるのだ。

コツさえつかめれば一気に能力が開花するのではないかと、藁にもすがる思いだった。


一晩、洞窟の中で、兄の懇切丁寧な指導を受けた。

にもかかわらず、式札を使いこなすどころか浮かすことさえできなかった。


屈辱に震えるわしを見て兄者は言った。

「落胆するな。わしに教える才覚がなかったのだ」


兄は、わかっていない。

わしは、偉大なる荒覇吐様の血を引く男なのだ。

民には、十二大師にも勝る圧倒的な力を見せつけねばならなかった。

それほどの宿命を背負って生まれてきたのだ。


黙り込むわしに兄は意外なことを口にした。

「父上に……長に頼んでみよう。お前を、この国一の法力を持つ鬼のもとで修業させて欲しいと」


兄以上の法力を持つ鬼だという。

初耳だった。

その昔、わしが生まれる前に弱法師と言う名の優れた呪術師がいた、と聞いたことはある。

が、その法師とて人間だったはずだ。


「そのような鬼がいるなど聞いた事がありません」

無理もない、と兄は続けた。

「酒呑童子……かつては青鬼と呼ばれていたそうだが、あやつは守護鬼にも選ばれておらぬからな――お前も見ているはずだ。今年の祝賀でな」


言われて思い出した。

新年の祝賀には十二大師と三十六法師が顔をそろえる。

荒覇吐神社参拝後、我が邸で酒宴を張る。

その庭先に天を衝くほどの大きな体をした青い目の鬼がいたことを。

落ち着かぬ様子で、皆が、その鬼の様子をうかがっていた。


二十四守護鬼と呼ばれる鬼の法師であろうと、思った。

が、前年まで鬼師の姿はなかった。

明らかに特例である。


守護鬼の頭であろうか。

従者にその理由を尋ねようとしたが、そいつまでが兄を讃え始めたため腹が立ち、聞きそびれた。

確かにあの時、鬼は、酒呑童子と呼ばれていた。


「だが、長を説得するには骨がおれよう。わしも一年ほど前、酒呑童子の元で修業したいと、お願いしたが許可はおりなかった」

「その鬼は、まこと、力があるのですか?」

「桁外れの力の持ち主よ。十三年前、その力を制御できず事故を起こして以降、役に就くこともなく表にも出ておらぬが」


力を制御できぬとは穏やかでない。

ゆえに、守護鬼という称号を与えられなかったのだろう。


しかし、荒覇吐神の血を引くわが長の一族が、人外の卑賎な鬼に教えを請うなどあってはならぬことだ。

「そもそも、師事するに足る鬼など、存在しましょうや?」

怒りを隠しきれず、兄を責め立てた。


無作法を咎めるでもなく、兄は穏やかにうなずいた。

「その力を目の当たりにすれば、つまらぬ誇りなど一瞬にして吹き飛ぼう。酒呑童子は、おのれの力だけで三間四方の大岩を宙に浮かべ、自在に操って見せた。こともなげにな――荒覇吐様は、わしの歳には、おのれの体を宙に浮かべることができたという。やっては見せなんだが酒呑童子もできるであろう。わしはと言えば、荒覇吐様の神宝の力を借りてようやく小石を飛ばせる程度だ」


三間四方の大岩を宙に浮かす……信じられなかった。


しかし、兄が嘘をついているとは思えなかった。

何より、荒覇吐様が鉄囲山にうがった大穴は壱支国の誰もが目にしている。

それほど圧倒的な力があればこそ、大和の軍勢を殲滅することができたのだ。


「兄上は、十一になったばかりではありませんか。その才能は、これから花開きましょう」

そうだ、わしとて八歳になったばかりだ。

荒覇吐様の血を引いているのだ。

眠っている力があるはずだ。


だが、兄は顔をゆがめた。

そして口にした。

わしの前で決して言ってはならぬことを。


「……天分が違うのだ。わし程度の力では、見世物にするのが良いところだ。国を守るなど絵空事にすぎぬ」

戯言だろうと思った。


兄が笑いだすのを待った。

しかし、兄は真顔だった。

それどころか愁いを帯びたその顔は青ざめてさえいた。


背筋が凍った。

体中の血が一瞬で消えうせた。

奈落の底に突き落とされた。


ならば……ならば、式札一枚飛ばせないわしは一体何者なのだ。

荒覇吐様の子孫であると口にすることさえできぬではないか。


しばらく口をきけなかった。

震えがとまらなかった。


そして……どす黒い感情が湧きあがってきた。

荒覇吐様の再来と担ぎ上げられてきた兄をあざ笑ってやりたくなった。

だが、できなかった。

才能の片鱗ひとつ見せることができぬわしに何が言えよう。


兄は続けた。

人前で口にしてはならぬと添えて。

「朝廷が――大和が、神記九年同様の大軍を送りこんで来るような事があれば、我が国は半日と持ちこたえられまい。十二大師、三十六法師、二十四守護鬼、武官、民、この国の総力をあげても、だ」と。


わが父が、わが一族が治めるこの国が、そのような脆弱な国であるはずがない。

「たとえ!」

わしは声を張り上げた。

「……たとえ大和の者どもが、日本と呼ぶ、この地のすべてを手に入れようとしたところで、わが壱支国を屈服させることなどできるはずがないではありませんか。わが国は荒覇吐様の鍛えし十種神宝に護られているのですから」


弱気をいさめた。

怒りを向けた。興奮してまくし立てた。

腰抜けじゃ、という言葉をようようのことで飲み込んだ。


温厚な兄と言えども、さすがに怒り出すだろうと思った。

反論するに違いないと思った。


ところが哀し気な視線を向け、絞り出すように口にした。

「酒呑童子であればできるやもしれぬが……」

あたかも、その鬼の法力が荒覇吐様に匹敵するかのように。


心が震えた。

それ以上、踏み込めなかった。

わしの心が折れてしまいそうだったからだ。


しかし、兄の言うことは穴だらけではないか。

「その酒呑童子とやらが、まことそれほどの法力を備えているのであれば、わが国が侵される心配などいらぬではありませんか。むしろ、その力で帝や朝廷で胡坐をかいている者どもを次々と葬ってしまえばよいのです」

悔しさをこらえ、震えながら言いつのった。


兄は、わしの目を見返した。

「酒呑童子には致命的な欠陥があってな。人はおろか、鳥獣の命ひとつ奪うことができぬのだ……仕掛けるどころか攻め寄せてきた相手とも戦えまい。それでも、使い道はある。お前の言うように朝廷の者どもにその圧倒的な力を見せつけることができれば、奴らは、かつて荒覇吐様に殲滅された過去を思い出すだろう」

父と十二大師は、今、その道を探っておる、と。


だが、やつらに心胆を寒からしめるだけの衝撃を与えねば、逆効果になる、とも口にした。

さらには、

「これからは呪だけで国を守ることはできぬ。我が国は変わらねばならんのだ。道摩よ学問を学べ。お前の負けん気は、この国が力をつけていくために役立てよ」

と、結んだ。


結局、兄は、その鬼に師事しようが、わしごときの天分では、見世物にさえならぬ、と言っているのだ。


長の後継たる兄が、この国をどう変えようとしているのかは知らない。

聞きたいとも思わない。


荒覇吐の血をひく長の一族に求められるのは偉大なる呪力、法力であった。

わしが欲しているのは、ただ一つ。

その力だった。


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